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幕間 花咲く乙女
西方の向日葵⑤
しおりを挟むside サイード・カイロ
西方辺境の北部にある山間部地域。おもに銀や翡翠などが採掘されている地域に突如として魔物が大量発生した。
発生した魔物は主に虫型のモンスター。巨大な食肉昆虫の群れである。
事態が発生してからすぐにこの地域に住んでいる人々は避難を始めたが、逃げ遅れた者達がすでに奴らの餌食となっていた。
「・・・どうやら思った以上に事態は重いようだな」
虫の大群に覆いつくされている町を少し離れた場所から眺め、私は重々しくつぶやいた。
町の建物には人間の頭部ほどの大きさの甲虫がびっしりと貼りついている。町を守る防壁の上からは竜のように巨大なムカデが頭を出していて、哀れな被害者の骸を大きな顎で噛み砕いていた。
被害を受けているのはライシャ・トルクという名前の『白肌』貴族が治めている町である。
トルクはかねてからスフィンクス家に敵対的な行動をとっており、マッサーブと同様に警戒していた男である。
ちなみに、ライシャ・トルクの生死は明らかになっていない。避難民の中に彼の姿はなく、行方を知る者もいなかった。
「主君の政敵がいなくなったことを喜ぶべきか・・・否、それは不謹慎というものだな」
トルクは私の主であるベルト・スフィンクスにとっては忌むべき敵であったが、意外なことに領主としてはそれほど悪人というわけではなかった。
今は亡きナーヒブ・マッサーブは自分の領地に重い税を課して民衆を苦しめていたが、トルクは自領の人々に対しては良心的な政治を行っていた。
領民からの評判も決して悪くはなく、目立った不正もしていなかったためにマッサーブ子爵の没落に巻き込まれずに済んでいたのだ。
(これで『黒肌』への差別思想を持っていなかったらよき友となれたであろうに・・・それを言っても詮無きことか)
「一度、陣地に戻る。ついてまいれ」
「はっ!」
私は部下を率いて陣地に馬を走らせた。
町から少し離れた場所に設置された陣地には、主君であるベルト・スフィンクスから預かった兵士の他に、近隣の町村からやってきた義勇兵の姿もあった。
少し前に『恐怖の軍勢』を追い払ったばかりだというのに、再び勃発した西方辺境の危機に、多くの者達が武器を手に集まってくれた。
「・・・戦後であることが幸いしたな。これほど迅速に兵が集まるとは」
陣地の片隅で武器の手入れをしている義勇兵を見やり、私は感心しながら顎ヒゲを撫でた。
『恐怖の軍勢』の襲来のため、近隣の町村の人々はいざという時に備えて武具を用意していた。マクスウェル家の嫡男の活躍で使わずに済んだそれが、こんな場面で役に立つとは思いもしなかった。
まだ魔物が発生してからまだ1週間ほどだというのに、すでに陣地には十分な戦力が集まりつつある。
「戦場を経験した者は兵士であれ民であれ、成長をするということか・・・」
先の戦いでは多くの命が失われ、私自身、息子を奪われてしまった。しかし、それでも得る物が一つでもあったというのは救われる話である。
「義勇兵のまとめ役はいるのか? できれば会っておきたいのだが?」
「はっ・・・義勇兵をまとめているのは、先の戦いでディンギル・マクスウェル様に従っていた冒険者のようです」
「冒険者・・・たしかマクスウェル卿に従っていた者は、彼と一緒に東方に移り住んだのではなかったのか?」
『恐怖の軍勢』との戦いの際に多くの傭兵や冒険者が雇われたが、彼らは戦いの後、指揮官であるディンギル・マクスウェルとともに東方辺境に旅立ったはずだった。
「その男はアルバトロスというのですが、西の娘と一緒になったらしくて近くの村で猟師として生活をしているようです」
「ほう」
「案内をいたします。こちらへ」
私は部下の案内で、陣地に張られている天幕の一つを目指して歩を進めた。
途中で何人かの義勇兵とすれ違ったが、彼らの目には西方辺境を脅かす新たな脅威に立ち向かう戦意に燃えている。
民兵というのはときに周りの指揮を下げて正規兵の足を引っ張るものなのだが、この調子ならば心配はなさそうである。
「こちらの天幕になります。カイロ卿」
「うむ・・・おっと」
「あら?」
義勇兵が寝泊まりしている天幕の一つに入ろうとしたとき、中から出てきた人物とぶつかりそうになってしまった。
天幕の入口から現れたのは背の高い女性である。
胸部を盛り上げる豊かな乳房と匂い立つように色気を纏う髪の毛には、年を取って性欲というものが枯れつつある私でさえドキリとさせられてしまう。
「ごめんなさい、失礼しました」
「ああ、こちらこそすまない。おじょうさ・・・」
軽く頭を下げる女性に頷きかけて、私は思わず足を止めた。棒立ちになった私の横をすり抜けるようにして女性は歩き去る。
女の背中を部下がじっと目で追いかけ、ゴクリと唾を飲んだ。
「あ、あんな女も義勇兵に参加しているようですね。まさかこんな所に娼婦がいるわけでもあるまいし」
「・・・・・・」
「しかし、あれほどの美女は見たことが・・・カイロ卿?」
見惚れるように女の背中を見つめていた部下であったが、黙り込んでいる私に気がついて首を傾げた。
部下のいぶかしげな声を受けながら、私は思考停止をして呆然とその名を漏らす。
「まさかマーニャ様・・・」
「はあ・・・?」
私が口にした女性の名前。
それは主君であるベルト・スフィンクスの亡き妻であり、バロンとナームの母親である女性の名前であった。
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