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幕間 花咲く乙女
西方の向日葵④
しおりを挟むside ナーム・スフィンクス
その日は剣のレッスンがある日だった。
私は動きやすい服に着替えて、いつも通りに木で作った訓練用の模造剣を携えて庭へと出た。
時間は約束の時間の10分前。
私が剣を教わっている師匠であるカイロ卿は時間に厳しい方なので、ちゃんと早めに行動をする。
「あれ?」
しかし――屋敷の庭に肝心のカイロ卿の姿はない。
庭にいるのは執事服を着た使用人が一人。なぜか申し訳なさそうな顔をして立っている。
私はキョロキョロと左右に首を巡らせながら使用人に近づき、口を開いた。
「先生はどうしたの? まさか、遅刻?」
「それが・・・カイロ殿は急に来られなくなったとのことで・・・」
「急用? なにかあったの?」
「ええとですね・・・」
私が首を傾げて尋ねると、使用人は困惑した表情のまま事情を説明してくれる。
ヒゲを生やした年配の使用人の口から語られたのは、予想もしていなかった難事についてである。
「は・・・魔物の大量発生って本当に?」
「はあ、そのようです・・・」
私が瞬きを繰り返しながら尋ねると、使用人は神妙な面持ちで頷いた。
使用人の話によると、西方辺境の北側にある山間部で、突如として魔物が大量発生したらしい。
魔物が発生したのはトルク子爵家が治めている領地で、すでに領都テーベにまで避難民が流れ込んできているとのことである。
私の剣の師であるサイード・カイロもまた魔物への対処を命じられており、スフィンクス家の兵士を率いて北に向かったとのことであった。
「トルク子爵・・・名前は聞いたことがあるけど、どんな人だったっけ?」
「そうですねえ、『白肌』の貴族の方で、旦那様とはあまり親交がないようでして・・・」
「ふうん」
私は気のない返事をした。
そもそも、魔物というのはダンジョンと呼ばれる古代文明の遺跡から発生する生き物で、ダンジョンがほとんど確認されていない西方辺境では魔物と遭遇する機会はまずなかった。
それが大量発生するなど、いったいどんな事態が生じたのだろうか?
「カイロ卿からは『しばらく来られないが、鍛錬を怠らないように』との言伝を預かっております」
「・・・それはしょうがないけど、どうして魔物が出たのかな?」
「さあ、私にはわかりませんが・・・ひょっとしたら、新しいダンジョンでも見つかったのかもしれませんね」
「むう、ダンジョン・・・」
困ったように首をひねっている使用人を下がらせて、私は地面の上にペタリと座り込んだ。
先生が来ないとなれば、どうやって鍛錬をすればいいのだろうか。
素振りや筋トレができなくはないが、先生の不在が長く続くようであれば剣の鍛錬が滞ってしまう。
そうなれば、ディンギルさまの隣に歩くという私の目標が遅れてしまうことになる。
「それは、ダメ。絶対にダメ」
ならばどうしようか。
『恐怖の軍勢』の騒動が終わってからずっと鍛錬に励んでおり、ようやくコツをつかみかけていたというのに。この間は初めて先生から一本取ることができたというのに、このままではまた技が鈍ってしまう。
「むう・・・困った、困ったな。ディンギルさまだったら、こんな時にどうするかな?」
私は頭の中に愛しい殿方の顔を思い浮かべた。
同時に、ポワポワと胸にあったかいものが湧き出てくる。
胸を焦がすほどに熱く、けれど決して不愉快ではない感覚。まるで羽毛に包まれているような心地よさと高揚感が襲ってくる。
頬を抑えて転がり回りたくなってしまう。その衝動を堪えてディンギルさまの行動を予測する。
(スフィンクス家を救ってくれた英雄。兄さんよりも強く、誰よりも格好いいディンギルさまだったら・・・)
深く考えるまでもなく、決まっている。
あの比類なき英雄であれば、絶対にみんなを救うために自ら行動を起こすはずだ。
「うん、決まった」
私は自分の行動指針を定めて、コクコクと頷いた。
私はディンギルさまの隣を歩けるくらい強くならないといけない。だったら、ダンジョンや魔物などを恐れるわけにはいかない。
魔物などを恐れていては、あの人と一緒にいる資格なんてない。
「これも剣の修行ね! 魔物退治に行こう!」
私は決然と両手を握り締めて、意気揚々と宣言した。
その日の内には荷物をまとめて屋敷を抜け出し、馬車を乗り継いで北へと向かった。
私の不在に気づいた父が泡を吹いて卒倒したことを知るのは、それから少しだけ先のことであった。
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