俺もクズだが悪いのはお前らだ!

レオナール D

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幕間 花咲く乙女

南洋の紫蘭⑪

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「なっ・・・・・・ひぎいっ!?」

 疾風のように右手を切り裂いた衝撃に振り返るが、今度は僕の顔面が切り裂かれた。突然の衝撃に床にひっくり返って倒れて悲鳴を上げてしまう。

「な、ななな・・・なにが起こったんだ!?」

 右手で顔に触れると生温かい液体の感触があった。それが自分の血によるものだと気がつき、僕は半狂乱になって叫んだ。

「だから言ったじゃないですか。どうして私の忠告を無視するんですか?」

 自由になったスーレイアが立ち上がり、床に転がる僕のことを見下ろしてくる。
 スーレイアはワンピースドレスの裾を叩いて身体についたホコリを落とし、左手を宙にかざした。闇夜の中から人間の頭部ほどの影が飛び出してきて、その細腕に停まる。

「わざわざ助けに来てくれてありがとう」

「ふ、フクロウ・・・?」

 それは灰色の翼をはためかせたフクロウだった。夜行性の猛禽類が青白く鋭い瞳で睨みつけてくる。

「ひ、あ・・・ひいいいいっ!?」

 驚愕の事態はなおも終わらない。
 ガタガタと、ギシギシと、まるで建物全体を揺さぶられているかのように屋敷が鳴動する。
 スーレイアの足元に数十、数百のネズミの大群が集っていく。蝙蝠の群れが窓から飛び込んできて部屋の中を飛び回る。
 気がつくと、窓の外に巨大な猿のような動物がしがみついていて、僕のことをまっすぐと見据えている。

 破られた窓から吹き込んだ風がスーレイアの髪を撫でながら、やわらかく吹き抜ける。青みがかった黒髪が差し込んでくる月の光を反射して淡い紫色に染まっていた。
 満月のような金色の両目が僕のことを見下ろしている。それはまるで、人間の愚かしさを嘆く超常の存在のごとく鬼気迫る威圧感のある瞳であった。

 動物を、魔物を従える美貌の超越者。

『大淫婦ガーネット』

「き・・・君は、神だったのか? それとも、悪魔・・・?」

「どちらでもありませんよ。私は恋焦がれる殿方にお仕えする、愛の奴隷でしかありません」

 きっぱりとスーレイアが答えて、ふう、と物憂げに嘆息した。

「殿下・・・貴方はこの国の王太子です。だから、貴方を殺すようなことをすれば、それだけこの国の復興が遅れてしまいます。そうなれば、ご主人様に会えるのが遅くなってしまいます・・・」

「だ、だったら・・・」

 縋るように私は声を上げた。
 もはや、私の中にスーレイアをどうにかしようという気持ちは消え失せていた。
 彼女に対する恋慕が消えたわけではない。しかし――スーレイアは人間ではない。人間が触れていい存在ではない超常の魔神に違いない。
 私の心を恐怖と畏怖が支配する。どうにかして、偉大なる神の慈悲に縋ろうと許しを請う。

「僕が間違っていた・・・許してくれ! どうか、命だけは・・・!」

「そうですね・・・反省しているのなら、もういいかもしれませんね?」

「そ、そうか。なら・・・!」

 目の前に突き付けられた希望に、僕は必死にしがみつこうとする。しかし――スーレイアの口から放たれた言葉に凍りついた。

「だから、拷問だけにしておきますね?」

「へ・・・?」

「私の大切なお友達の、サクヤさんという人に教えてもらったんです。『人間は許容できない恐怖を与えられると、その出来事に関する記憶を忘れてしまう』って。だから、殿下には今晩の出来事をすべて忘れてもらいます」

「ひ・・・!」

 スーレイアの周りにはべっていたネズミの大群が足元へとにじり寄ってくる。感情の読めない無数の瞳が鏡のように僕の顔を映し出し、カチカチと剥き出しの前歯を鳴らしている。

「い、いやだっ! 許してくれ!」

「大丈夫ですよ。殺したりしませんから・・・たぶん」

「たぶんって・・・ああアアアアアアッ!!」

『チュウウウウウウウウウウウウ』

 無数のネズミが僕の身体に覆いかぶさってくる。
 服の中へと潜り込んできて牙を突き立てられる鋭い痛みに、かつてないほどの悲鳴を上げる。

「殺したらダメですよー。やりすぎないでくださいねー」

 困ったようなスーレイアの声を最後に、僕の意識は闇の中へと呑み込まれていった。


〇      〇      〇


 獅子王国の侵略を退けてから数ヵ月後、平穏を取り戻していたガーネット王国を一つの事件が襲った。ガーネット王国の次期国王と目されているアリオテ・フォン・ガーネットが行方不明になったのである。
 アリオテは決して優秀な後継者とは言えなかったが、それでも現・国王のたった一人の息子である。国中の兵士がアリオテのことを捜索して、血眼になってその行方を追った。
 しかし、アリオテが姿を消してから一週間が経過してもその消息は一向に知れず、兵士達の間からもアリオテの生存を伺う声が上がり始めた。

 そんなとき・・・。

「やあ、皆さん。いったいどうされたのですか?」

 何事もなかったかのような爽やかな笑顔を浮かべて、アリオテが王宮へと帰ってきた。
 その清々しいまでに明るい表情に、捜索をしていた兵士はもちろん、国王すらも目を丸くして言葉を失った。
 誰もが口をそろえて無断で何処に言っていたのかと問い詰めると、アリオテは穏やかな笑みを崩さないままに肩をすくめる。

「ちょっとネズミの国に行ってきたのさ。落としたパンを追いかけていたら穴に落ちてしまってね?」

「は・・・お、お前は何を言っているのだ?」

「ほら、見てくださいよ。お土産だってもらったんですよ? 大きい宝箱と小さい宝箱があって好きなほうを選ぶように言われまして」

「お、おい・・・アリオテ、気でも触れたのか?」

 ケラケラと笑いながら訳のわからないことをのたまうアリオテに、父親である国王が顔をひきつらせた。
 そんな父王にアリオテは軽く肩をすくめて、両手を叩いて音を鳴らせる。

「冗談ですよ。本気にしないでください、父上」

「じょ、冗談?」

「当たり前じゃあないですか。ご心配をおかけしたのは申し訳ないことですけど、ちょっと飲み屋で意気投合した男と連れたって遊びまわっていただけですよ」

「そ、それならいいのか・・・?」

 仮にも王太子が無断で行方をくらませておいてよいことなどなにもないのだが、先ほどの気が狂ったようなアリオテに度肝を抜かれていた父王は首を傾げた。

 その日以来、アリオテは人が変わったかのように明るい性格に変わった。
 もともと根暗で内向的だった王太子の変化に戸惑う者は多かったが、人当たりがよく社交的になったアリオテはおおむね好意的に受け入れられることになった。

 彼の身になにが起こったのか知る者はいない。
 けれど、まるで怪物に魂を奪われたかのように別人と化したアリオテは国の復興に積極的に貢献し、後世に名君として讃えられることになるのであった。
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