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幕間 花咲く乙女
南洋の紫蘭⑤
しおりを挟む「殿下―、もう帰りましょうよー」
呆れた様子でその変質者の・・・もとい王太子の背中に声をかけたのは、アリオテ付きの侍従の青年である。
護衛でもある青年は腰に剣をぶら下げて、呆れかえった目を使える主人に向けている。
「うるさいぞ、ベイム! 今、いいところなんだから邪魔をするな!」
「いいところって・・・」
ひょい、とベイムと呼ばれた青年がアリオテの肩越しに路地から顔を出す。
アリオテの視線を追いかけると、そこには大猿の肩の上に座ったスーが差し入れのサンドイッチを頬張っている姿があった。
ただの食事風景のなにがいいところなのだと首を傾げていると、アリオテが荒い鼻息を噴きながら恍惚とつぶやく。
「はあ・・・スーレイアの舌ベロ、なんて可愛らしいんだ。細長くて、それでいてぶ厚くて、色はチェリーのように赤くて・・・あの白い歯すらもまるで大理石の芸術品じゃないか。ハアッ、ハアッ・・・あの舌ベロで僕の顔を舐めて欲しい。尖った犬歯で僕の耳たぶを噛んで欲しい・・・ハアッ、ハアッ・・・!」
「気持ち悪っ! なんだこの変態は・・・!」
ベイムは思わずドン引きして、一歩二歩とアリオテと距離をとった。そんな侍従を、アリオテは横目でにらみつける。
「・・・おい、ベイム。お前、主を変態とか言わなかったか?」
「いや、言いましたけど。それがなにか?」
「あっさり認めるな! 侍従だったら否定しろよ!」
アリオテが噛みつくように侍従に怒鳴っているうちに、スーは食事を終えて再び復興作業へと取り組んでいった。
そんな少女の後姿を残念そうに見送り、アリオテは沈痛な面持ちで溜息をついた。
「スーレイア・・・ああ、君に会いたい。早く僕に会いに来てくれ・・・」
「・・・そんなに会いたいのなら、会ってくればいいじゃないですか。ストーキングなんてしていないで」
「できるわけないじゃないか! 僕のほうから話しかけるなんて恥ずかしいだろ!」
「俺は今、恥ずかしい! アンタを主人と呼ばなければいけないことが恥ずかしい!」
ヘタレストーカーに怒鳴り返して、ベイムはうんざりと頭を掻いた。
「バ・・・じゃなくて殿下。今のままでいいと思っているんですか?」
「お前、馬鹿って言いかけたか? 言いかけたよな?」
問い詰めてくるアリオテを無視して、ベイムは言い含めるように言葉を重ねる。
「スーレイア様に思いを寄せている野郎はいくらでもいるんですよ? 彼女は宰相の娘で、獅子王国をこの国から追い出した英雄だ。そうでなくても、あの美貌です。今に年頃の若者からの縁談が雨あられと舞い込むでしょうな」
「なっ・・・そんなことが許されるものか!」
「嫌だったら、今のうちにモーションを仕掛けたほうがいいですよ? 一応は元・婚約者候補。一歩先んじてはいるんですから」
「うぐ・・・む・・・」
アリオテは懊悩に眉を寄せて考え込み、やがてポンと拳で手を叩いた。
「そうだ! 彼女の周囲に密偵を張りつかせて、近づく男に圧力をかけて排除しよう! 他に縁談がなければ、僕以外に結婚する相手がいなくなる! 自然と僕のもとにやってきて・・・」
「そういうことじゃねえ! さっさと口説きに行けって言ってんだよ!」
ベイムが壁を殴りつけて一喝する。
そもそも、どうして相手の接触待ちなのだろうか? この王太子には自分から秋波をかけるという発想はないのだろうか?
「馬鹿殿下。このままでは本当に嫌われてしまいますよ?」
「うん、完全に馬鹿って言ったな! 無礼打ちだ、そこに直れ!」
「これは噂ですけど、スーレイア様には男がいるって話ですよ? このまま指を咥えていたらそいつに全部持っていかれて・・・」
「なんだと、スーレイアに男っ!?」
アリオテは顔を真っ赤にしてベイムの胸ぐらをつかむ。そのあまりにも必死な形相に、さすがのベイムも目を丸くする。
「へ、あ・・・噂ですけどね? タダの噂」
「僕のスーレイアだぞ! 彼女は僕の、僕だけのものだ! 他に男なんていていいわけがない! 彼女に近づく男は一人残らず火刑にかけてやる!」
「あー・・・」
激憤に表情を歪めるアリオテに、ベイムは困ったように瞬きを繰り返す。
ひょっとしたら地雷を踏んでしまったのかもしれない。迂闊な発言を後悔するも、すでに時は遅い。
アリオテは建物に両手をついて、ガンガンと木の壁に額を叩きつける。
「くそっ・・・こうなったら手段は選んでいられない・・・! なんとしてでも、どんな手段を使ってでもスーレイアを僕のものに・・・!」
ブツブツと狂ったように妄言を吐き続ける主の背中から目を逸らし、ベイムは現実逃避をするように空を見上げた。
「うーん、いい天気だなあ・・・・・・・・・転職するか」
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