183 / 317
幕間 王都武術大会
18.二度目の変身
しおりを挟む
次の日の朝。太陽がようやく地平線から顔を見せ、一番鶏が巣から起きあがった頃。
スフィンクス家の屋敷から、塀を乗り越えて一人の女性が敷地の外へと出た。
「・・・誰も、気づいてないよね?」
きょろきょろと周囲を見回して道へ踏み出したのはナーム・スフィンクスである。
昨日と同じように魔具の指輪で大人の姿に変身したナームであったが、着ている衣装は先日のように露出の高いものではない。白い簡素なドレスに灰色のコートという地味な出で立ちであった。
ナームが早朝から人目を忍んで出かけたのは、もう一度、自分にキスをした男を捜すためであった。
「・・・もう一度あの人に会って、一発叩いてあげないと気が済まない! それだけ、そう、それだけだから!」
感情がグチャグチャになって自分でも処理しきれなくなったナームは、子供らしい無鉄砲さを発揮して一人で屋敷から抜け出してしまった。
身体は魔具の力で大人のものになっていたが、そこに昨日のような悠然とした余裕はまるでない。ただ、自分に狼藉を働いた男にその感情をぶつけてしまいたい、そうせずにはいられない。そんな幼稚な願望だけで街へ飛び出してきていた。
朝焼けで赤く染まった王都には人々が起き出していて、店の前を掃除している商人や、露店で下ごしらえをしている料理人の姿などが見られた。
人を探して辺りを見回しながら歩いているナームとすれ違いざまに視線が合うが、昨日と違ってコートで身体のラインを隠しているため、それほど好奇の視線を集めることはなかった。
「・・・ちょっと早く出てきちゃったかな?」
まばらな人の姿を見て、今更のようにナームがつぶやいた。
日中は人の波でごっちゃ返しになる大通りであったが、さすがに早朝は人通りも少ない。こんな朝からあの男は外に出てきているのだろうか?
当たり前すぎる事柄を気がつかなかった自分を恥じて、ナームは羞恥に顔を染める。
「そ、そうよ、ひょっとしたら朝の散歩に出てくるかもしれないし、昨日の場所に行ってみればあの人の手がかりがあるかもしれないし」
そんなふうに自分に言い訳をして、ナームはあの男と出会った裏通りへと足を向けた。
「・・・ちょうどいい、裏道に入るぞ」
「ああ、チャンスだな」
その背後に、彼女を狙う怪しげな影があった。
人探しに気を取られたナームはその気配に気がつくことなく、自ら人通りのない暗い路地へと入っていったのであった。
「・・・やっぱり、誰もいないよね」
路地裏へと入ったナームは、当然ながら求める人影のない光景に肩を落とした。暗い裏道には誰が捨てたかもわからないゴミが転がっているが、件の男性につながる手掛かりになるものはなさそうだった。
ナームは地面に転がっている石をつま先で蹴った。石はコロコロと路地裏を転がっていき、やがて所在なさげに動きを止める。
「名前・・・聞いておけばよかったな」
相手の素性も確認していなかったことを、ナームは遅ればせながら後悔をした。
(どうしてこんなに会いたくなっちゃうのかな? わたし、どうしちゃったんだろ?)
自分に乱暴を働いた嫌な人。自分よりも強くて、たぶん兄と同じくらい強い人。
好きか嫌いかと聞かれれば間違いなく嫌いだと断言できる。
それなのに、もう一度会いたくて仕方がない。顔が見たくて、声が聴きたくて、胸が絞めつけられて痛くなる。
こんな感情は生まれて初めてであった。
「・・・一度、家に帰ろう。兄さんに聞いてみれば何かわかるかもしれないし」
探し人の男性は兄と同年代であり、そして、同じく剣の達人だ。それなりに身分のよさそうな格好をしていたし、おそらくは貴族の出身だろう。王都の貴族学校に通う兄ならば、ひょっとしたらあの男性のことを知っているかもしれない。
そう考えて、ナームは一つ頷いた。路地裏から出るべく、日の当たる方向へと身体を向き直った。
そこで、ようやく道をふさぐように立ちふさがっている男達の姿に気がついた。
「・・・どなたですか?」
ナームは緊張をはらんだ声で、男達に問いかけた。
武術には自信のある彼女であったが、自分などよりも強い男がいることは昨日の敗北で痛いほどに学んでいる。
(昨日、倒した奴らの仲間かな? 昨日の仕返しのつもりかしら?)
ナームは注意深く男達を観察する。
3人組の男達は腰に剣を刺しており、タダ者ではない空気をまとっている。多勢に無勢、おまけにこちらは丸腰である。明らかに勝ち目は薄かった。
ナームは腹をくくり、絞り出すように言葉を発そうとする。しかし、それよりも先に男達が口を開いた。
「西方辺境貴族、バロン・スフィンクスの婚約者殿とお見受けする。ご足労だが、我々と一緒に来ていただく!」
「え・・・?」
見当違いともいえる断定の言葉に、ナームは黒い瞳を見開いて絶句した。
王都を取り巻く陰謀の黒雲は、予想もしない形で幼い少女の身へと降りかかってきたのであった。
スフィンクス家の屋敷から、塀を乗り越えて一人の女性が敷地の外へと出た。
「・・・誰も、気づいてないよね?」
きょろきょろと周囲を見回して道へ踏み出したのはナーム・スフィンクスである。
昨日と同じように魔具の指輪で大人の姿に変身したナームであったが、着ている衣装は先日のように露出の高いものではない。白い簡素なドレスに灰色のコートという地味な出で立ちであった。
ナームが早朝から人目を忍んで出かけたのは、もう一度、自分にキスをした男を捜すためであった。
「・・・もう一度あの人に会って、一発叩いてあげないと気が済まない! それだけ、そう、それだけだから!」
感情がグチャグチャになって自分でも処理しきれなくなったナームは、子供らしい無鉄砲さを発揮して一人で屋敷から抜け出してしまった。
身体は魔具の力で大人のものになっていたが、そこに昨日のような悠然とした余裕はまるでない。ただ、自分に狼藉を働いた男にその感情をぶつけてしまいたい、そうせずにはいられない。そんな幼稚な願望だけで街へ飛び出してきていた。
朝焼けで赤く染まった王都には人々が起き出していて、店の前を掃除している商人や、露店で下ごしらえをしている料理人の姿などが見られた。
人を探して辺りを見回しながら歩いているナームとすれ違いざまに視線が合うが、昨日と違ってコートで身体のラインを隠しているため、それほど好奇の視線を集めることはなかった。
「・・・ちょっと早く出てきちゃったかな?」
まばらな人の姿を見て、今更のようにナームがつぶやいた。
日中は人の波でごっちゃ返しになる大通りであったが、さすがに早朝は人通りも少ない。こんな朝からあの男は外に出てきているのだろうか?
当たり前すぎる事柄を気がつかなかった自分を恥じて、ナームは羞恥に顔を染める。
「そ、そうよ、ひょっとしたら朝の散歩に出てくるかもしれないし、昨日の場所に行ってみればあの人の手がかりがあるかもしれないし」
そんなふうに自分に言い訳をして、ナームはあの男と出会った裏通りへと足を向けた。
「・・・ちょうどいい、裏道に入るぞ」
「ああ、チャンスだな」
その背後に、彼女を狙う怪しげな影があった。
人探しに気を取られたナームはその気配に気がつくことなく、自ら人通りのない暗い路地へと入っていったのであった。
「・・・やっぱり、誰もいないよね」
路地裏へと入ったナームは、当然ながら求める人影のない光景に肩を落とした。暗い裏道には誰が捨てたかもわからないゴミが転がっているが、件の男性につながる手掛かりになるものはなさそうだった。
ナームは地面に転がっている石をつま先で蹴った。石はコロコロと路地裏を転がっていき、やがて所在なさげに動きを止める。
「名前・・・聞いておけばよかったな」
相手の素性も確認していなかったことを、ナームは遅ればせながら後悔をした。
(どうしてこんなに会いたくなっちゃうのかな? わたし、どうしちゃったんだろ?)
自分に乱暴を働いた嫌な人。自分よりも強くて、たぶん兄と同じくらい強い人。
好きか嫌いかと聞かれれば間違いなく嫌いだと断言できる。
それなのに、もう一度会いたくて仕方がない。顔が見たくて、声が聴きたくて、胸が絞めつけられて痛くなる。
こんな感情は生まれて初めてであった。
「・・・一度、家に帰ろう。兄さんに聞いてみれば何かわかるかもしれないし」
探し人の男性は兄と同年代であり、そして、同じく剣の達人だ。それなりに身分のよさそうな格好をしていたし、おそらくは貴族の出身だろう。王都の貴族学校に通う兄ならば、ひょっとしたらあの男性のことを知っているかもしれない。
そう考えて、ナームは一つ頷いた。路地裏から出るべく、日の当たる方向へと身体を向き直った。
そこで、ようやく道をふさぐように立ちふさがっている男達の姿に気がついた。
「・・・どなたですか?」
ナームは緊張をはらんだ声で、男達に問いかけた。
武術には自信のある彼女であったが、自分などよりも強い男がいることは昨日の敗北で痛いほどに学んでいる。
(昨日、倒した奴らの仲間かな? 昨日の仕返しのつもりかしら?)
ナームは注意深く男達を観察する。
3人組の男達は腰に剣を刺しており、タダ者ではない空気をまとっている。多勢に無勢、おまけにこちらは丸腰である。明らかに勝ち目は薄かった。
ナームは腹をくくり、絞り出すように言葉を発そうとする。しかし、それよりも先に男達が口を開いた。
「西方辺境貴族、バロン・スフィンクスの婚約者殿とお見受けする。ご足労だが、我々と一緒に来ていただく!」
「え・・・?」
見当違いともいえる断定の言葉に、ナームは黒い瞳を見開いて絶句した。
王都を取り巻く陰謀の黒雲は、予想もしない形で幼い少女の身へと降りかかってきたのであった。
0
お気に入りに追加
6,111
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

高身長お姉さん達に囲まれてると思ったらここは貞操逆転世界でした。〜どうやら元の世界には帰れないので、今を謳歌しようと思います〜
水国 水
恋愛
ある日、阿宮 海(あみや かい)はバイト先から自転車で家へ帰っていた。
その時、快晴で雲一つ無い空が急変し、突如、周囲に濃い霧に包まれる。
危険を感じた阿宮は自転車を押して帰ることにした。そして徒歩で歩き、喉も乾いてきた時、運良く喫茶店の看板を発見する。
彼は霧が晴れるまでそこで休憩しようと思い、扉を開く。そこには女性の店員が一人居るだけだった。
初めは男装だと考えていた女性の店員、阿宮と会話していくうちに彼が男性だということに気がついた。そして同時に阿宮も世界の常識がおかしいことに気がつく。
そして話していくうちに貞操逆転世界へ転移してしまったことを知る。
警察へ連れて行かれ、戸籍がないことも発覚し、家もない状況。先が不安ではあるが、戻れないだろうと考え新たな世界で生きていくことを決意した。
これはひょんなことから貞操逆転世界に転移してしまった阿宮が高身長女子と関わり、関係を深めながら貞操逆転世界を謳歌する話。
間違い召喚! 追い出されたけど上位互換スキルでらくらく生活
カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
僕は20歳独身、名は小日向 連(こひなた れん)うだつの上がらないダメ男だ
ひょんなことから異世界に召喚されてしまいました。
間違いで召喚された為にステータスは最初見えない状態だったけどネットのネタバレ防止のように背景をぼかせば見えるようになりました。
多分不具合だとおもう。
召喚した女と王様っぽいのは何も持っていないと言って僕をポイ捨て、なんて世界だ。それも元の世界には戻せないらしい、というか戻さないみたいだ。
そんな僕はこの世界で苦労すると思ったら大間違い、王シリーズのスキルでウハウハ、製作で人助け生活していきます
◇
四巻が販売されました!
今日から四巻の範囲がレンタルとなります
書籍化に伴い一部ウェブ版と違う箇所がございます
追加場面もあります
よろしくお願いします!
一応191話で終わりとなります
最後まで見ていただきありがとうございました
コミカライズもスタートしています
毎月最初の金曜日に更新です
お楽しみください!
勇者一行から追放された二刀流使い~仲間から捜索願いを出されるが、もう遅い!~新たな仲間と共に魔王を討伐ス
R666
ファンタジー
アマチュアニートの【二龍隆史】こと36歳のおっさんは、ある日を境に実の両親達の手によって包丁で腹部を何度も刺されて地獄のような痛みを味わい死亡。
そして彼の魂はそのまま天界へ向かう筈であったが女神を自称する危ない女に呼び止められると、ギフトと呼ばれる最強の特典を一つだけ選んで、異世界で勇者達が魔王を討伐できるように手助けをして欲しいと頼み込まれた。
最初こそ余り乗り気ではない隆史ではあったが第二の人生を始めるのも悪くないとして、ギフトを一つ選び女神に言われた通りに勇者一行の手助けをするべく異世界へと乗り込む。
そして異世界にて真面目に勇者達の手助けをしていたらチキン野郎の役立たずという烙印を押されてしまい隆史は勇者一行から追放されてしまう。
※これは勇者一行から追放された最凶の二刀流使いの隆史が新たな仲間を自ら探して、自分達が新たな勇者一行となり魔王を討伐するまでの物語である※
スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活
昼寝部
ファンタジー
この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。
しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。
そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。
しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。
そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。
これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。

チートな嫁たちに囲まれて異世界で暮らしています
もぶぞう
ファンタジー
森でナギサを拾ってくれたのはダークエルフの女性だった。
使命が有る訳でも無い男が強い嫁を増やしながら異世界で暮らす話です(予定)。

特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった
なるとし
ファンタジー
鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。
特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。
武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。
だけど、その母と娘二人は、
とおおおおんでもないヤンデレだった……
第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。
貴族家三男の成り上がりライフ 生まれてすぐに人外認定された少年は異世界を満喫する
美原風香
ファンタジー
「残念ながらあなたはお亡くなりになりました」
御山聖夜はトラックに轢かれそうになった少女を助け、代わりに死んでしまう。しかし、聖夜の心の内の一言を聴いた女神から気に入られ、多くの能力を貰って異世界へ転生した。
ーけれども、彼は知らなかった。数多の神から愛された彼は生まれた時点で人外の能力を持っていたことを。表では貴族として、裏では神々の使徒として、異世界のヒエラルキーを駆け上っていく!これは生まれてすぐに人外認定された少年の最強に無双していく、そんなお話。
✳︎不定期更新です。
21/12/17 1巻発売!
22/05/25 2巻発売!
コミカライズ決定!
20/11/19 HOTランキング1位
ありがとうございます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。