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第2章 帝国騒乱 編
64.女帝の寝室
しおりを挟むside ルクセリア・バアル
「ふう・・・これでしばらくは休養がとれますね」
宮廷の奥に設けられた皇帝の私室にて、私は羽ペンを置いてため息をつきました。
ついこの間までろくに政務に関わらせてもらえなかった自分が、まさか自分の部屋にまで仕事を持ち込むようになるとは、本当にわからないものです。
バベルの塔の崩壊、3人の兄達の戦死と行方不明によって、私は仕方がなしに皇帝となってしまいました。
正直なところ、望んで得た地位ではありません。
私は皇女ということで最初から皇位継承権は持っていませんでしたから、当然の事ながら帝王学などは学んでいません。
今回の騒動によって身内を亡くした者の中にはバアル皇族に対して憎しみを持つ者も多く、命を狙われることだってあります。
それでも何とか政治の舵取りが出来ているのは、幕僚として集まってくれた有力者の方々の補佐と、エスティアやサラザール騎士団長の尽力があるからです。
私一人であったのなら、とっくに潰れてしまったでしょう。
「本当に、ディンギル様には感謝の言葉しかありませんね」
私は愛しいお方の顔を思い浮かべて、ほう、とため息をつきました。
マクスウェル家は帝国の騒動を収めるため、様々な形で力を貸してくれました。
私の後見人となることで帝位につく正当性を高めてくれて、さらに先の戦いでの賠償金も帝国の復興を待って分割払いで支払うことを認めてくれました。
捕虜となった兵士を無条件で解放することで私の実績を作ってくれたのも、私に叛意を持っている者達を認めさせるのに大いに役立ってくれました。
臣下の中には、マクスウェル家が帝国の政治に食い込んでくることを懸念する者もいるようですが、今のところメリットしかありません。
「これまでのように軍事ばかりを重んじるようでは、これから先、帝国は長く続かないでしょう。もっと柔軟な姿勢を身につけなければ」
私が目指すところは、父や兄達とは違う場所にあります。それはあるいは、歴代皇帝を裏切る道になるかも知れません。
しかし、無理な外征がどれほど民を苦しめることになるのか、今回の騒動で思い知りました。
帝国はもう十分な領土を得ています。これから先は国土の広さではなく、豊かさを追求していくべきでしょう。
「そのためには、まずは【雷帝神槌】で荒れた帝都周辺の復興、それに離れていった商人を呼び戻さないと・・・。
復興が終わったら、いっそのこと皇族の権力を最小限まで抑えてしまいましょう。今は混乱期だから私のような者でも受け入れられていますが、安定した時代になったら絶対にボロが出ますから」
一線を退いた後は、文化や芸術の振興に力を注いでみるのもいいかもしれません。今の帝国に必要なのは、きっと人々を安心させる心の豊かさですから。
「忙しそうだな、出直そうか?」
「いえ、仕事だったらもう・・・」
突然、かけられた声に思わず返しかけて、慌てて振り向きました。振り向いた先に立っていたのは、いつの間に部屋に入ってきたのか、私の愛しい男性です。
彼の背後では開いた窓から風が吹き込んでいて、カーテンがなびいて揺れています。
「ディンギル様・・・!」
「呼ばれたからやってきたぞ・・・少しやせたか?」
「ふふ、そうですね。皇帝の仕事は良いダイエットになったようです」
私は苦笑しつつ、冗談めかして答えます。
「一応は部外者である貴方がこんなに簡単に入ってこれるなんて、帝国の警備はどうなっているのでしょうね」
「あまり責めてやるなよ。この1ヵ月いろいろと時間を持てあましてたから、宮廷内の抜け道を探してたんだ。歴史が長いだけあって、きな臭い隠し部屋やら隠し通路やらがありやがる」
ディンギル様は肩をすくめて、「ところで」と本題を切り出しました。
「それで? 何で俺を呼びだしたんだ?」
バベルの塔の崩壊から1ヶ月、ディンギル様は帝都に滞在していました。
表向き、グリード兄様を討ち取ったのは私と近衛騎士団ということになっています。そこにいるはずのないディンギルは身分を隠して、傭兵としてふるまっています。
本当は大々的に表彰をして、いかに目の前の殿方が帝国のために戦ってくれたかを国中に知らしめたいところです。
しかし、先のブリテン要塞での戦いや過去の戦争での因縁は決して浅くはありません。帝国内にはマクスウェル家に身内を奪われた人間が大勢います。それは攻め込んだこちらの自業自得ではあるのですが、人の心はそんな理屈で納得できるものではありません。
私がマクスウェル家の後援を受けていることにすら、良い顔をしていないものも多いのですから。
「ディンギル様もそろそろ王国に帰らないといけませんよね?」
「んー、そうだな。親父の堪忍袋も限界だろうし、帝都の周りは十分、観光したからな」
「そうですね。本当に、お世話になったようで感謝しています」
ディンギル様はおどけたように言っていますが、この1ヶ月間に帝都周辺で火事場泥棒を働いている夜盗などを討伐してくれていたのを私は知っています。
宮廷に侵入しようとした賊が何者かに討たれていたという報告も入っています。これはきっとサクヤさんの仕業でしょう。
公にお礼をすることはできません。
しかし、私にできる精いっぱいの感謝の気持ちは、彼に伝えなければいけません。
「でしたら、約束していた報酬をお渡ししたいと思います」
「ほう?」
ピクリ、とディンギル様の眉毛が上がりました。
私を見つめてくる視線に頬が熱くなってしまいます。私は顔を伏せて椅子から立ち上がりました。
「約束通り、私の全てを貴方に差し出します。どうぞ受け取ってくださいませ」
そう言って、私は羽織っていたガウンを落としました。
その下に来ていたのは白い半透明のネグリジェと黒い下着のみ。ルーナや他のメイド達と相談に相談を重ねて選んだ服です。
「いいんだな? 後から返せって言われても知らないぜ?」
「もちろんです。私の全てを、貴方の色で染めてください」
「結構、実に結構だ。存分に堪能させてもらおうか」
「ん・・・」
私はディンギル様に抱き上げられて隣の寝室まで連れて行かれました。愛しい殿方の腕の中で、私は陶然と溜息をつきます。
「初めて会ったときから、お前を抱くと決めていた。ようやくその日がやってきた」
「ふふふ、それはこちらのセリフですわ」
(なんとなく、こうなる気がしてました。貴方と初めて会ったその日から・・・)
それは女の直感か、はたまた本能か。私は最初から分かっていたような気がします。
自分はいつか、この殿方の子を産むのだろうと。
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