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第2章 帝国騒乱 編
63.とある歴史家の手記
しおりを挟むとある歴史家の手記より
大陸の中世史において最も大きな事件の一つとして、「勝者なき戦争」があげられる。
バアル帝国皇帝スペルビア・バアルの病死に端を発するこの継承争いは、隣国ランペルージ王国を巻き込んで巨大な戦乱へと発展した。
継承争いを制したのは第二皇子であるグリード・バアル。現代では『最愚帝』の呼称で知られる歴史的暴君である。
グリード帝はひたすらに贅の限りを尽くし、たった一ヶ月という短い治世で帝国の国力を半分以下にまで低下させた。
帝都は荒れに荒れ、国土は枯れはて、人心は大いに混乱した。周辺諸国との緊張もあって、帝国は崩壊の危機を迎えてしまった。
そんな危機から帝国を救ったのは、バアル帝国最初の女帝となる第一皇女ルクセリア・バアルである。
ルクセリア殿下は近衛騎士団の側近を率いてグリード帝が籠もる塔へと奇襲を仕掛け、かの暴君を討ち取ることに成功した。
これにより、帝国はそれ以上の国力低下を免れて、滅亡の危機を脱したのである。
優しく聡明な皇女殿下がいかなる心境で実の兄を討ち取るに至ったのか・・・それは偉大なる名君を敬愛する筆者としても、心中察するに余りあるものである。
かくして、暴君が討ち取られたことで「勝者なき戦争」は終結を迎えた。
その後、ルクセリア皇女は近衛騎士団のサラザール騎士団長、地方の有力貴族、豪商、宗教関係者を幕僚として招いて、新政権を築いた。
新政権の中ではバアル皇族そのものに責任の所在を求める声も大きく、ルクセリア皇女の皇帝即位に反発する者も多かった。中には殿下に毒杯を勧める者さえいたというのだから、不敬極まる話である。
これは反皇族主義の貴族も幕僚に迎え入れたルクセリア皇女の度量ゆえに起こったことであったが、それを察することができる賢人は新政権の中に多くはなかった。
設立してから早々に崩壊の危機を迎えた新政権であったが、予想外の方向からこの政治的混乱は収められることになる。
隣国の大貴族であるマクスウェル家がルクセリア皇女の後見人として名乗りを上げて、殿下の皇帝即位を支持したのである。
新政権が抱える大きな問題の一つとして、隣国ランペルージ王国との対立があった。
特にマクスウェル家とはブリテン要塞をめぐって戦争をしたばかりで、まさに戦火の只中にあったのだ。
マクスウェル家がルクセリア皇女を支持して隣国との戦争が回避されるのであれば、それは渡りに船なことである。
新政権は喜んでルクセリア皇女の皇帝即位を支持した。
これにより、バアル帝国最初の女帝である『賢美帝』ルクセリア1世が生まれたのである。
これも全ては外遊訪問でマクスウェル家と良好な関係を築いていた、ルクセリア帝の手柄といえるだろう。
かの聡明で美しい皇帝は、あるいは最初からこの事態を見越していたのかもしれない・・・そう考えてしまうのは、果たして筆者の買い被りであろうか?
さて、こうして皇帝となったルクセリア帝であったが、その治世は戦後とは思えないほど安定したものであった。
それというのも、ルクセリア帝は国内の混乱が収まってから早々に皇帝の政治的権力を放棄して、有力者による共和制を起こしたからである。
共和制への移行によって皇帝は国家統合のための象徴的な存在となり、それまでルクセリア帝に対して叛意を持っていた者達の声も鎮まることになった。
宮廷における政治的混乱は収められ、帝国は復興への道を進むことになったのである。
では、内憂が収まったところで外患はどうかというと、西方のランペルージ王国はマクスウェル家によって抑えられて帝国に攻め込むことはなかった。
北方遊牧民は事前に築かれていた長城によって阻まれて侵入することができず、東方の煌王朝もこの時期に大規模な内乱が起こり始めたため、帝国に侵略する余裕を失っていた。
煌王朝の内乱の原因については、多くは分かっていない。
一説にはルクセリア帝が送り込んだ間者によってもたらされたものだと主張する研究者もいるのだが、流石にそれは想像を膨らませすぎである。
それはもはや、天がルクセリア帝の治世を祝福して帝国へと攻め込めないようにしたという宗教家の主張と同レベルの妄言である。
かくして、中興の祖として安定した治世を布いたルクセリア帝であったが、彼女の生涯には大きな疑問が一つ、残されている。
多くの歴史家たちの頭を悩ませ、同時に詩人や劇作家たちを楽しませることになった疑問とは、ルクセリア帝が生んだ「不義の子」についてである。
かの子供の父親が誰なのか、それはいまだに解き明かされていない歴史の謎の一つである。
側近の騎士と身分違いの恋に落ちたのか、それとも戦時中に敵兵から語るに堪えないような狼藉を受けたのか。
研究者の中には、3人の兄皇子のいずれかが父親であるために秘密を闇に葬ったと主張する者もいる。
偉大なる女帝を尊敬する筆者でさえ、かの子供の父親については下世話な好奇心をかき立てられるばかりである。
はたして、これから未来にルクセリア帝の隠された夫が何者であるのかが解き明かされる日が来るのか。それは神のみぞ知ることである。
ちなみに、ここから先は完全に余談である。
先日に発表された演劇の舞台では、マクスウェル家での外遊訪問の際に知り合ったディンギル・マクスウェルこそが子供の父親であるとされていた。
たしかに、同時代において英雄と名高い人物が父親であったのならばこれほどのロマンスはないだろう。
しかし、ルクセリア帝が妊娠したとされる時期にディンギル・マクスウェルが帝都にいたという記録はどこにも残っていない。
これは完全に、劇作家が頭の中で作り上げた想像上のデマである。
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