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第2章 帝国騒乱 編
62.もう一つの結末
しおりを挟むディンギルが仲間と合流した場所から少し離れた地点。
宮廷に造られた庭園、その端にある林の奥にその男は倒れていた。
「・・・私は、生きているのですか」
帝国第二皇子グリード・バアル。【雷帝神槌】の力によって強引に皇帝となったその男は、木の幹に背中を預けるようにして倒れていた。
「う・・・何故、いったい何が・・・」
塔が放つ雷撃とゴーレムが放つ爆炎に巻き込まれたグリード。彼はどうして生きてここに居るのだろうか?
それは奇跡のような偶然の産物であった。
爆発によって吹き飛ばされたグリードの身体は、そのまま雷で崩落した壁の隙間を通って塔の外へと吹き飛ばされた。
そのとき、偶然にも塔の下から上へと激しい上昇気流が巻き起こり、グリードが落下する勢いを軽減させた。
風にあおられたグリードの身体は、そのまま庭園に生えていた高い木の枝に受け止められ、幹を滑り落ちるようにして緩やかに地面に落下した。
おまけに、爆発に巻き込まれたときに刺された傷口が火傷によって止血され、出血も最小限に抑え込まれていた。
まさに奇跡。数万分の一、あるいは数憶分の一ともいえる幸運によって、グリード・バアルという男は死神の刃から免れていた。
「やはり私は神に愛されていた人間・・・いや」
肩で息をしながら、グリードは天を仰いだ。
空は皮肉なほどに晴れていて、どこまでも澄んだ青空が広がっている。
「違いますね・・・生かされたのですね、己の罪を償うために」
愛する者には拒絶され。
臣下や側近には逃げられて。
手にいれた神の力も、皇帝の権威も全てを失った。
にもかかわらず、グリードの心には不思議なほどに悪感情が湧いてこなかった。
ルクセリアに対する愛憎も、ディンギル・マクスウェルに対する嫉妬も、もはやグリードの心にはない。
まるであの雷と炎によって浄化されてしまったかのように、グリードの心は静かに凪いでいた。
「不思議なものです。全てを失ってようやく、自分の愚かしさに気がつくなんて」
思い返してみれば、どうして自分はあんなに愚かな人間だったのだろう。
皇帝の座に固執して姉弟で殺し合い。
実の妹に恋慕して、拒絶されたら八つ当たりをして。
おまけに皇帝という地位につきながら、自分が治める国を無茶苦茶にしてしまった。
それがグリードには不思議でならなかった。
なぜ自分が自分の愚かしさに気がつかなかったのか。あんなにも、自分の正しさに固執することができたのか。
今となっては、全くわからなかった。
「そうか・・・だから、私は神に生かされたのですね。自分の罪をかえりみるために、生きて罪を償うために」
そうとでも考えなければ、この奇跡に説明がつかなかった。
「これからは自分のことは考えずに、誰かに尽くす生き方をしましょう。一生をかけても自分が傷つけてしまった人々に償いを」
グリードは固く誓って、木の幹から身体を起こした
「ぐ・・・ううっ・・・」
動いた途端、全身の節々が痛みを訴える。おそらく、何本か骨折もしているだろう。命に関わるほどの外傷はなさそうだが、痛いものは痛かった。
「・・・ふ、ふふ、命があるだけ、まだマシですね。これも自分への罰と思えば、耐えられないことはありません」
痛みを跳ねのけるようにして立ち上がり、グリードは足を引きずるようにして宮廷の庭を歩いて行く。
ディンギル・マクスウェルとその仲間達に見つかれば、今度こそとどめを刺されてしまうだろう。
いまさら彼らに対して敵意は持っていないが、自分の罪を償う前に死ぬことだけはあってはならない。
「私は生きなければなりません・・・天に救われた命を、今度こそ全うしなければ・・・」
幸いにしてこの場所はグリードが与えられている部屋から近い位置にあった。自室まで戻ることができれば、保存してある【薬品魔具】の力によって傷を癒すことができる。
宮廷の外へと通じる隠し通路もあることだし、生きてこの場所から逃れることができるだろう。
「いずれ、ディンギル・マクスウェルとルクセリアにはきちんと謝罪をしないといけませんね。私が彼らに胸を張って会えるようになってからになりますが」
その日までは生きなければ。
改めて決意を固めて、グリードはのろのろと宮廷を歩いて行く。
やがて自室の扉が見えてきた。宮廷で働く者達がこぞって逃げてしまっていたため、誰とも会わずに来ることができた。
扉をくぐって、グリードは一息をついた。
「これで・・・とりあえずは安心ですね。ええと、ポーションは・・・」
その瞬間、机の影から飛び出してきた何かがグリードの胸元へと飛び込んできた。視界の端に、流れる金色の線が舞う。
「ぐうっ・・・!」
どん、と勢いに押されるようにしてグリードはあおむけに倒れた。自分に何が起こったのかまるでわからなかった。
「・・・がっ・・・ああっ・・・!」
胸のあたりを灼熱が焼いている。視線を下ろして確認すると、真っ赤に熱された火箸が突き刺さっていた。
「ひぎっ・・・い、いたい・・・熱い・・・! いった、なに、が・・・!」
片方の肺を刺し貫かれているため、うまく声を出すことができなかった。
それでも、グリードは必死に声を絞り出して悲鳴を上げる。
「・・・刺した、やった」
「あ、なた・・・は・・・」
グリードは自分を刺した相手を目にした。それはビスクドールのようなドレスを身に着けた金髪の少女であった。
グリードが商人から購入した奴隷の娘。かつて「人形」と呼んで玩んでいた少女の一人である。
「刺した、やったよ」
「刺したね。やったね」
「弱ってるね。やったね」
「ひっ・・・!?」
机の影、本棚の裏、大時計の振り子の裏、部屋中のあらゆる場所から金髪の少女達が這い出てくる。
少女達の濁った瞳には燃え盛るような憎悪と殺意が浮かんでいて、グリードをブレることなく睨みつけている。
「きみ、達は・・・」
グリードは震える声でつぶやいた。
その少女達もまた、グリードが償わなければならない被害者であった。
さんざん身体をもてあそんで、ときに殴ったり首を絞めたり、殺してしまった娘もいるのだから。
少女達は身動きがとれないグリードを囲んで、表情を変えることなく口を開いた。
「弱ってる、ね」
「うん、弱ってる」
「倒れてる、ね」
「うん、倒れてる」
「殺せる、ね」
「うん、殺そう」
「殺そう」
「殺そう」「殺そう」
「殺そう」「殺そう」「殺そう」「殺そう」「殺そう」「殺そう」「殺そう」「殺そう」「殺そう」「殺そう」「殺そう」「殺そう」「殺そう」「殺そう」「殺そう」「殺そう」「殺そう」「殺そう」
「ひいいいいいいいいいっ!」
人形のような少女達から放たれた殺害宣告。
抑揚のない声がひたすらにグリードの死を望んでいる。
怖かった。
恐ろしかった。
おぞましかった。
まるで、自分が犯した罪が人の形を作って襲いかかってきているように見えた。
「や、やめろ! やめて、くれ!」
グリードは必死に叫んだ。
ここで死んでしまったら、罪を償うことができない。
何も成し遂げることなく、本当に大勢の人々を傷つけて迷惑をかけただけの人生になってしまう。
せっかく奇跡的に拾った命をこんな形で散らすわけにはいかなかった。
「きみたちに、謝らなければならない・・・わかってる、罪は償う、贖いはする・・・だから・・・」
それは嘘偽りのない、心からの言葉であった。
その言葉にははっきりとした誠意が籠められている。
「殺そう」
「がっ・・・!」
一人の少女がグリードに向けて手を振り下ろす。手には木でできた置物が握られていた。
「や、やめっ・・・!」
「殺そう」
「ぐげっ・・・」
別の少女がグリードの腹部を蹴り飛ばす。つま先がルクセリアに刺された傷口をえぐる。
「殺そう」
「殺そう」
「殺そう」
「殺そう」
「殺そう」
「やめ、てくれええええええええっ!」
いくら誠意があったとしても、それが相手に伝わるとは限らない。相手が許してくれるかどうかとなれば、なおさらである。
少女達は抵抗のできないグリードへと暴力を続ける。
グリードが泣いて謝罪をしても、それは止まることはなかった。
「や、やめ・・・許してくれええええええええええ・・・!」
悲痛な男の叫びを1時間ほど続いた。
たっぷりと時間をかけてなぶり殺しにされたグリードは、それでも気が収まらなかった少女達によって包丁で切り刻まれ、百を超える部品へと解体された。
解体された部品は、まるで存在そのものをなかったことにするかのように暖炉へと放り込まれ、炎の中へと消えて行った。
グリードを殺害して仲間の仇討ちを成し遂げた少女達は、部屋にあった金品を持てるだけ持って、いずこかへと消えて行った。
崩れたバベルの塔から遺体が発見されなかったグリード・バアルがどうなったのか、その憐れな結末を知る者は誰もいなかった。
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