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第2章 帝国騒乱 編

28.転落の始まり

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「くそっ! マクスウェルめ、卑劣な手を使いやがって!」

 帝国第1軍団の陣地にて、ラーズ・バアルが憤怒に顔を歪めている。視線の先では、ブリテン要塞の東壁に向かった帝国兵がマクスウェル兵によって蹂躙されている。

「殿下! ここは一度兵を下げて態勢を整えましょう!」

 攻めているはずの自国の兵士が逆に追い詰められているのを見て、ラーズの傍に控えていた騎士が慌てて進言する。

「くっ、やむを得ないか・・・!」

 ラーズはぎりぎりと奥歯を噛みしめながら唸った。
 火薬による攻城兵器の破壊も面倒だが、それ以上に毒が厄介である。鎧と鎖帷子を着込んだ帝国兵にとって、ただの弓矢であればよほど当たり所が悪くない限り致命傷にはなりえない。しかし、矢尻に塗られた毒のせいで矢がかすっただけでも死者が出てしまっている。
 目の前で首を掻きむしって苦しむ同胞の姿を見て、矢を受けていない兵士まで及び腰になってしまっている。戦意を失った兵士など案山子と同じ。これ以上の攻撃は被害を大きくするだけだろう。

「兵士達を陣に戻す! 撤退の笛を鳴らせ!」

「なりません! 殿下!」

 ラーズの命令に異議を唱えたのは側近のスノウ・ハルファスである。

「ここで兵を引き下げてしまえばマクスウェル兵を勢いに乗せてしまいます! 我々の失態を知ったグリード殿下にも付け入るスキを与えてしまいますし、ここは強気に攻め続けなければ!」

「しかし・・・これでは戦死者が増える一方だぞ?」

「あれほど強力な毒を大量に用意できるとは思えません! このまま攻め続けていれば、遅からず毒が尽きて攻撃が弱まるはずです!」

「馬鹿な! 正気ですか、ハルファス卿!?」

 非情ともいえるハルファスの案に騎士が非難の声を上げた。
 マクスウェル家がどれだけの毒と火薬を用意しているかはわからないが、それが尽きるまでにどれだけの戦死者が出るのかわからない。

「あなたは兵士の命を何だと思っているのだ!? 彼らにだって故郷に家族がいるのだぞ!」

「はっ、それがどうしたというのです? 家族がいるならば、なおさら恥じ入るような戦いはするべきではないでしょう?」

 騎士の言葉を鼻で笑い、ハルファスは唇を歪める。
 ハルファス自身、マクスウェル家の予想外の抵抗に焦りを感じていた。しかし、うかうかしていたら兄の仇を第2軍団や近衛騎士団に奪われてしまうかもしれない。その思いが、若き知将から冷静な判断力を奪っていた。

(兵士の損害など知ったことか! マクスウェル家を滅ぼすのは私だ。他の奴らになど譲ってやるものか!)

 そもそも、ラーズの命を狙うハルファスにしてみれば第1軍団の兵士が減るのは願ってもない状況である。兵が減るほどラーズの周囲が手薄になって、グリードが優位になる。
 第1軍団を疲弊させつつ、ブリテン要塞を強引に落とす。そのためにも、ここで兵を退かせるわけにはいかない。

「・・・もう一度、命じる。撤退の笛を鳴らせ。今すぐだ」

「殿下!?」

「承知しました!」

 騎士が角笛を鳴らすと、待ってましたとばかりに兵士達が引き上げる。武器も攻城兵器も投げ捨てて、命綱の大楯だけを両手で頭上に掲げながら一目散に逃げだしてくる。
 意外なことに、帝国兵が撤退を始めると城壁から飛んでくる弓矢がピタリと止まった。帝国兵が倒れた仲間を助け起こしていくのも見逃してくれる。

(怪我人を見逃して足枷を増やす気ですか・・・小賢しい!)

「殿下・・・よろしいのですか? これは失態ですよ?」

「兵の損害を減らすために負けを認めることを失態とは思わん。敵が一枚、上手であったというだけだ」

「・・・・・・」

 予想外に冷静なラーズの態度にハルファスは目を見開いた。
 ハルファスは気がついていなかったが、幾度かの大敗を経験したことでラーズも将として成長していた。短慮で感情的な面が目立つラーズ・バアルという男は決して将として無能ではないのだ。

(これは想像以上に面倒ですね・・・武人としてはグリード殿下よりも少しだけ上かもしれません)

 政治的な判断力、広い局面を想定しての知略に関してはグリード・バアルが明らかに上だろう。しかし、現場の指揮官としての判断力や行動力についてはラーズ・バアルに一端の長がある。

(第1軍団と第2軍団、戦えば第2軍団が勝つと思っていましたが・・・これはわからなくなりましたね)

 政治的な争いならまだしも、戦場で戦えばラーズがグリードを降すかもしれない。そうなったら、自分の復讐も栄光も水の泡だ。

(もう後戻りはできない・・・二人の殿下が争う前に、もっと第1軍団の兵力を削っておかなければ・・・)

 騎士としてあるまじき考えを巡らしながら、ハルファスは戦場から撤退してくる兵士を忌々しそうに見やる。
 そんなハルファスを周囲の騎士達が憎しみの目で睨みつけていたのだが、復讐に目が曇って視野の狭くなった男は気がつくことはなかった。

 かくして、ブリテン要塞の戦いの初日はマクスウェル家の大勝で幕を下ろしたのであった。
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