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第2章 帝国騒乱 編
13.犯さず、襲わず、押し倒さず
しおりを挟む「・・・っ、サクヤ!」
「はっ、ここに」
「えええっ!?」
とっさに俺は暗殺者の少女を呼んだ。突然、目の前に現れたメイド服姿の少女に、ルクセリアが驚きの声を上げる。
「針を出せ!」
「はい、どうぞ」
「おう!」
俺はサクヤから針を受け取り、ためらうことなく自分の左腕に突き刺した。
「ええっ!? 何をしてるんですかっ!?」
「痛っ~~~~!」
俺は左腕から伝わってくる痛みを堪えながら、再度、ルクセリアの顔を見る。
驚愕に顔を染めている金髪の皇女。肌は真珠のように白く、唇はバラのように赤い。目と鼻の形も良く、これでもかとばかりに絶妙なバランスで顔に配置されている。
まさに神が作りたもうた芸術。信心深くはない俺だって、彼女の姿を見ていると神の存在を信じてしまいそうだ。
(美しい・・・でも、耐えられないほどじゃない)
痛みで気を散らしたおかげで、目の前の絶世の美女の色香にも耐えることができていた。もしも針を刺していなかったら、この場で襲っていたに違いない。
(親父があれだけ危惧していたのも無理はないな。これは傾国だ・・・)
目の前にいる美女は、間違いなく使い方次第では国を滅ぼす毒になるだろう。たとえば、サリヴァンあたりだったら彼女の色香に耐えられず、帝国にランペルージ王国を差しだしていたかもしれない。
(これほどの女を使わずに宮廷に隠していたとは、死んだ皇帝は随分と暗愚だったんだな。それとも、娘にだけは甘かったのか?)
「あ、あの、大丈夫ですか? 血が出ていますが・・・」
ダラダラと左手から血を長している俺に、ルクセリアが心配そうに問いかけてくる。俺は努めて明るい口調で、
「ああ、問題ない。ちょっと腕に蜘蛛がついていたものでね。騒がせて悪いな」
「く、蜘蛛がいたら腕に針を刺すんですか・・・?」
「ああ、タチの悪い毒蜘蛛だったからな。あのまま放っておいたら、とんでもないことになっていたかもしれない」
この場合、とんでもないことになっていたのは、俺ではなく目の前の皇女殿下である。
「そ、そんなに恐ろしい蜘蛛がいるんですか!? マクスウェル領には!?」
どうやら傾国の皇女様は蜘蛛が苦手だったらしい。ルクセリアは慌てて自分の手足を交互に見て、パタパタと手でドレスの裾を払う。
「ルクセリア様、我々も見ていますから、大丈夫ですよ」
「は、はい。よろしくお願いします」
護衛の騎士が気遣わしげに言うと、ルクセリア皇女はこほん、と小さく咳払いをして、
「見苦しいところをお見せしました。お話を続けましょう」
「先に騒いだのはこっちだ。気にしないでくれ」
それにしても、と俺は言葉を続ける。
「俺の妻になる、ってのは随分と思い切った決断をしたものだな」
「そうでもしなければ、帝国で起こっている混乱を沈めることはできませんから。もちろん、マクスウェル家ともなれば、帝国で何が起こっているかはご存知でしょう?」
「ああ、継承争いで酷いことになっているらしいな」
「ええ」
ルクセリアは隠すことはなく、俺の言葉に頷いた。
「帝国は現在、3人の皇子が皇帝の座を巡って混乱となっています。早急に継承戦を終わらせなければ、多くの民が政争の犠牲になってしまいます」
「なるほどな。それで君は第一皇子のラーズに味方するわけか?」
俺に嫁いでランペルージ王国を滅ぼそうとしている以上、そういうことになる。
(会ったことはないが・・・ラーズが皇帝の器には思えないんだけどな。他の皇子はもっとダメなのか?)
少し話しただけだが、目の前の皇女が聡明な人物であることは伝わってきている。彼女が皇帝として推すということは、3人の兄弟の中でラーズがもっとも皇帝にふさわしいということだろう。
「ラーズ兄様はたしかに失敗が続いているようですが、情が深く、臣民を思いやることができる人物です。私や、貴方のような人が支えてくれれば、十分に皇帝としてやっていくことができるはずです!」
「ふーん・・・」
まあ、5年前に戦ったあの英雄ベイオーク・ザガンが主君として認めた男だ。まったく王の素養がないわけではないか。
「その兄のためになら、自分を敵国に差しだしてもいいと? 知っているかもしれないけど、俺って結構クズだぜ?」
美貌の皇女の身体を上から下まで、じっくりと眺める。ほっそりとした皇女の身体は肉付きが薄く、胸などははっきり言って貧相である。しかし、見るからにきめ細やかそうな白い肌は間違いなく一級品で、さぞや触り心地がいいだろう。
「うっ・・・」
ルクセリアは俺の不躾な視線にブルリと背筋を振るわせつつ、しかし、気丈にこちらを睨みつけてくる。
(へえ・・・)
身体は売れども、心は売らない。
強いまなざしから、はっきりとした覚悟が伝わってくる。
(これは、いい女だ。顔だけじゃない。しっかりとした芯を持った女だ)
この女をベッドに押し倒して、長年の経験で培った技術の全てを使って屈服させてやりたい。きっと、さぞや気持ちがいいことだろう。
俺がそんな妄想をしていると。
「姫様をよこしまな目で見るのはおやめください!」
横から連れの侍女が割って入ってきた。二人の背後では、女騎士もこちらを射殺すような目で睨みつけている。
「ルーナ、いいのよ」
「ですが!」
自分を庇うようにしてくれた侍女を、ルクセリアが優しい声でなだめる。
「ディンギル様は私の夫になるかもしれないお方です。無礼ですよ」
「くっ・・・」
ルーナと呼ばれた侍女は、メガネごしに俺を睨みつけながらもしぶしぶと横に退く。それでも納得していないのは明白で、俺に視線で全力の敵意をぶつけてきている。
(ふむ、こっちの侍女も、後ろの騎士もなかなかの粒揃いだな。3人そろって押し倒してやりたいもんだな・・・しかし)
俺は深々とため息をついた。
実を言うと、迷うまでもなく最初から答えは決まっていた。
(ああ、残念だ。心の底から残念でならない)
本当に惜しい、そう思いながら俺は口を開く。
「そうか、そちらの覚悟ははっきりとわかった」
「では・・・」
「残念だが、断らせていただこう。君達、帝国に手を貸すことはできない」
ルクセリアの魅力に流されそうになりながらも。俺ははっきりと、そう宣言した。
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