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「そ、そんな……私は毒なんて飲まされていませんわ」

 私は紅茶を飲む前に、ストレスから血を吐いて倒れたのだ。
 自分を捨てたクレインのことは憎たらしいが、自分が病弱であるためにありもしない罪を被せるつもりはない。
 そもそも『どく』とつぶやいたのは、『毒』ではなく『ドクター』と言おうとしたのだ。医者を呼んでくれと伝えたかっただけなのに、思わぬ騒ぎになってしまった。

「いくらクレインとはいえ、無実の人間を罪人にするわけにはいきませんわ! 早く説明をしないと……!」

「ご心配なく。パーシー伯爵令息は無実ではありませんでした。彼は毒が入ったビンを持っていたのです」

「はい?」

「彼は貴女を陥れようとしていたのです。そのために、毒のビンをポケットに入れていたのですよ」

 マリウス先生の説明を聞くにつれ、私は愕然とさせられることになった。

 私が倒れてからすぐ、騒ぎを聞いて駆けつけた教員によってクレインは取り押さえられることになった。周囲で見ていた野次馬の生徒が、私が最後に『どく』とつぶやいていたことを告げたからである。

 もちろん、クレインは自分はやっていないと抵抗した。
 だが……教員がクレインの身体を調べると、上着のポケットから毒物が入ったビンが出てきたのだ。
 限りなくグレーだったクレインはたちまち『黒』になり、そのまま牢屋に囚われることになったらしい。

 しかし、尋問を受けたクレインの口から語られたのは『毒殺』とは違った醜悪な計画である。
 クレインはどうやら、キャシー・ブラウンに毒を盛った罪を私に被せるつもりだったようだ。

 最後に運ばれてきた紅茶を飲んで、キャシーが悲鳴を上げて倒れる演技をする。
 そして、クレインが「カトリーナがキャシーに毒を盛ったんだ!」と私を犯人に仕立てて騒ぎ立て、身柄を捕らえるふりをして毒のビンを私に持たせる。
 そうやって私を毒殺犯に仕立て上げることにより、婚約破棄によって発生する慰謝料や賠償金を有耶無耶にしようとしていたのだ。

 クレインも『愛の力』で責任を逃れられるとは思っていなかったらしい。
 伯爵家の次期当主という地位を失いたくなくて、全ての責任を私に押しつけようとしたのだ。

「いや……あれだけの人達が見ている前で、私にどうやって毒を盛ることができるんですか? そもそも、浮気相手を紹介されたばかりの私が、毒を用意していることが不自然じゃないですか」

「その辺りは勢いで押し切るつもりだったようだね。非常に考えが浅いことだ」

「そんな無茶苦茶な……」

 もしも血を吐いていなければ、そんなくだらない騒動に巻き込まれていたのか。
 呆れ返って胃の痛みがぶり返してくるが、すぐさまマリウス先生が薬湯の入ったコップを差し出してくれた。
 お礼を言いながら薬湯を口に運び、身体に沁み込むような温かな液体に「ほう……」と溜息をこぼす。

「それで……クレインはどうなるのでしょうか?」

「彼が毒を盛っていないことはすぐにわかったようだが……すでに学園中に噂が広まっていたようでね。最終的にはセルディス侯爵様の訴えにより、このまま毒殺犯として処理することになったようだよ」

「お父様の……?」

「ああ、『娘を罪人にしようとした男には平民落ちすら生温い』とのことだ」

 クレインは私を嵌めようとしたが、実際には行動に移すことなく未遂で終わってしまった。本来の罪で裁くとなれば大きな罪にはならないだろう。
 とはいえ、自分の娘を一方的に婚約破棄して吐血するまでに追い詰め、ありもしない罪を被せようとした男を父は許さなかったようである。

 クレインは極刑こそ免れたものの、鉱山での百年の労働刑を科せられたらしい。実質的な終身刑だ。
 共犯者であるキャシーは1番厳しい修道院に送られることになり、生涯を奉仕作業に捧げることになるとのこと。

 どちらも今後、顔を合わせることはないだろう。
 私は安堵から深い溜息をついた。

「もう一度、眠ると良い。何も心配事はないよ。起きた頃には侯爵様が全てを処理してくれているから」

 マリウス先生が穏やかに言ってきて、イスから立ち上がる。
 おそらく、メイドを呼んで後を任せようとしているのだ。それを察して、私は咄嗟に白衣の裾を掴む。

「ん、どうかしたかい?」

「先生……このまま、傍にいてください」

 ポツリと、消え入るような声で懇願する。
 心配はいらないとマリウス先生は言ってくれたが、瞼を閉じると、どうしてもクレインやキャシーの顔が浮かんでしまう。
 傍にマリウス先生がいてくれれば、何故か彼らの顔も消える気がしたのだ。

「いいよ。君が寝るまでここにいるとしよう」

 マリウス先生はこちらの心情を察してくれたらしく、穏やかな笑みを浮かべてイスに腰を下ろした。
 私は安堵に表情を緩ませて、ゆっくりと瞳を閉ざした。

 目を閉じたことで敏感になった嗅覚に、マリウス先生の白衣に沁み込んだ薬品の匂いが香ってくる。
 人によっては不快感を覚える匂いだったが、私にとってはどんなアロマよりも安心する香りだった。



 こうして、私――カトリーナ・セルディスの婚約破棄騒動は幕を下ろした。
 それから私のところには大勢の貴族から婚約の打診が寄せられたが、どうしても受け入れる気になれず、新しい婚約者はなかなか決まらなかった。

 私が一回り年上のお医者様と恋仲になるのは、それから2年後のこと。
 周囲の反対を押し切ってようやく結婚できたのは、さらに1年後のことであった。
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