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午前零時
子供のいたずら
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凍てつく外気が肺を満たした。深い闇の底から意識が浮上するのを無意識に感じながら、数度目を瞬いた。不意に覚醒したばかりの頭で振り返る。開け放たれた窓から粉雪混じりの冷たい風が暖かい部屋へと流れ込んだ。
「優?」
揺れるカーテンの隙間、影が部屋へと迷い込む。倒れた瓶から漏れ出したインクが、まるで涙のように提出書類に滲みをつくった。
「疲れているのか?」
声がそう問いかけた。見れば来客用のソファに腰掛ける少女。
「燈……」
おかえりと口を開く前に彼女は言葉を投げかけた。
「カルロが死んだ」
隣国の攻略という議会の任務に同行し、帰還はまだ先になると思われた友人。三週間ぶりの再会の第一声は訃報まがいな言葉だった。
「良い奴だったのにな。ロストだった」
膝に置いた刀をそっと手がなぞるように伝った。彼女の脳裏にはきっとあの化け物の姿が映っているのだろう。
「仕方ないよ……」
そう言い放つ優の目は諦めの色が浮かんでいた。
能力者は代償として人ならざる者としての死を背負う。能力の暴走により人の姿を保つ事が不可能となるロストは必ず通る終着点。変えようのない地獄への一本道をカルロは行き着いた、それだけなのだ。優達が担うのは崩壊者の討伐任務。祖父の時代から続く汚れ仕事は、まだ若くして台頭した優の負担となっていた。
「カルロは私が葬った」
「そっか……。それで、指揮官が消えて帰ってきたの?」
「私だけじゃないぞ。連合軍ごと議会に帰還した」
結った髪を解きながら、傲然な態度でソファに鎮座する燈は一通の手紙を投げ渡す。差出人の名も宛名もない。封をした青い楼だけが議会からの手紙ということを暗に示していた。中身を確認しなくてもなんとなく予想はできている。
「僕らにその任務が回ってきたわけ?」
封を切り優は小さく顔を顰めた。手紙の内容は至ってシンプル。議会は死んだカルロの代行として、優率いるギルド『黒猫団』へ任務の引き継ぎを命じた。
「戦争には加担しないって契約じゃなかったっけ」
燈のいない間、溜まりに溜まったデスクワーク。さらにギルドを挙げての総力戦が優の胃に圧をかける。頭を抱える優を尻目に燈はそそくさとお茶の支度を整え始めた。浮き足立っている様にも見える燈に、優は溜息を吐く。
「僕の話聞いてる?」
「戦争だろ?」
「そう。僕らは行かないって話」
途端に燈が静止した。大きな藍色の瞳が優の顔を凝視する。
「どうしてだ?」
不服そうな表情を浮かべ燈はそう問いかけた。
「まず負担が大きい。僕らみたいな少数精鋭ギルドから人を出すなんて無理がある。次に僕らは子供だ。戦争に出られる力なんて持ち合わせてない」
「だが、命令は命令だ」
「契約違反だ。議会にギルドを所属させたのは人を殺す為じゃない」
「それもそうだが……」
燈はしょぼくれた顔で床を蹴る。
「優の能力は戦争で役に立つ。傷つく人間が減るんだ。お前は特別なんだ」
純粋無垢な眼光が優を射た。逃げるように視線を外し、冷え切った書類を手でなぞる。
「僕はお祖父様のように偉くもないし燈のように強くもない。何度も言ってるでしょ。行くならみんなで行きなよ。僕はここで待ってるから」
この話題になるといつも気不味い空気が流れる。双方口を開かぬまま、ノックの音が沈黙を破った。
「お持ちいたしました」
侍女が湯気の立つケトルを手にお辞儀を一つ扉を開けた。
「ありがとう。そこへ置いといて」
燈の手から茶葉の缶を取り上げると、手際よくポットを用意する。
仄かな香りが部屋を包み込んだ。
足が床に着いたように微動だにしない燈。優は構わずまだ飲むには熱い紅茶に口をつけた。
「最近ロストが増えている。もし戦地で崩壊者が出たら?私達だけじゃ手に負えんかもしれない」
絞り出すように燈が言葉を零す。
「お前が来てくれると私は嬉しい」
今度は優の手が止まった。燈の目が訴えかけるように優を捕らえて離さない。反らしたくなる衝動を堪え二人は向き直る。
「僕はいかない」
あまり期待しないでよ。言いかけた言葉は呑み込んだ。冷え切った部屋で紅茶が静かに湯気を立てていた。
「……わかった。すまないな、我儘を言ってしまった!私達に任せろ。ちゃんと手柄は取ってくる」
一変して満面の笑みを浮かべるのは、燈なりの配慮なのだろう。
「出発は2週間後。刻とセザールを呼び戻さないと」
ギルド唯一の交渉役と暗殺者はどちらも出払っていて今は地方の街にいる。他方に散った仲間の招集は思うよりも手こずるだろうと、優は情報管理局に電話を回す。
「燈はメンテナンスを怠らないこと。身体の調子は刻が帰ってから軽く見てもらって」
電話片手に言うと燈は大きく頷いてみせた。受話器の向こうへいくつか伝言を残すと優は受話器をそっと戻す。
「お茶が冷めちゃう」
肩を竦め、そう催促すると大人しく燈は席に腰を下ろす。まだ開けたままの窓から吹き付けていた風がようやく止んだ。
部屋の空気はすっかり入れ替わってしまった。優は風で散った書類を纏め、暖房をつけ直し窓を閉めた。
「優?」
揺れるカーテンの隙間、影が部屋へと迷い込む。倒れた瓶から漏れ出したインクが、まるで涙のように提出書類に滲みをつくった。
「疲れているのか?」
声がそう問いかけた。見れば来客用のソファに腰掛ける少女。
「燈……」
おかえりと口を開く前に彼女は言葉を投げかけた。
「カルロが死んだ」
隣国の攻略という議会の任務に同行し、帰還はまだ先になると思われた友人。三週間ぶりの再会の第一声は訃報まがいな言葉だった。
「良い奴だったのにな。ロストだった」
膝に置いた刀をそっと手がなぞるように伝った。彼女の脳裏にはきっとあの化け物の姿が映っているのだろう。
「仕方ないよ……」
そう言い放つ優の目は諦めの色が浮かんでいた。
能力者は代償として人ならざる者としての死を背負う。能力の暴走により人の姿を保つ事が不可能となるロストは必ず通る終着点。変えようのない地獄への一本道をカルロは行き着いた、それだけなのだ。優達が担うのは崩壊者の討伐任務。祖父の時代から続く汚れ仕事は、まだ若くして台頭した優の負担となっていた。
「カルロは私が葬った」
「そっか……。それで、指揮官が消えて帰ってきたの?」
「私だけじゃないぞ。連合軍ごと議会に帰還した」
結った髪を解きながら、傲然な態度でソファに鎮座する燈は一通の手紙を投げ渡す。差出人の名も宛名もない。封をした青い楼だけが議会からの手紙ということを暗に示していた。中身を確認しなくてもなんとなく予想はできている。
「僕らにその任務が回ってきたわけ?」
封を切り優は小さく顔を顰めた。手紙の内容は至ってシンプル。議会は死んだカルロの代行として、優率いるギルド『黒猫団』へ任務の引き継ぎを命じた。
「戦争には加担しないって契約じゃなかったっけ」
燈のいない間、溜まりに溜まったデスクワーク。さらにギルドを挙げての総力戦が優の胃に圧をかける。頭を抱える優を尻目に燈はそそくさとお茶の支度を整え始めた。浮き足立っている様にも見える燈に、優は溜息を吐く。
「僕の話聞いてる?」
「戦争だろ?」
「そう。僕らは行かないって話」
途端に燈が静止した。大きな藍色の瞳が優の顔を凝視する。
「どうしてだ?」
不服そうな表情を浮かべ燈はそう問いかけた。
「まず負担が大きい。僕らみたいな少数精鋭ギルドから人を出すなんて無理がある。次に僕らは子供だ。戦争に出られる力なんて持ち合わせてない」
「だが、命令は命令だ」
「契約違反だ。議会にギルドを所属させたのは人を殺す為じゃない」
「それもそうだが……」
燈はしょぼくれた顔で床を蹴る。
「優の能力は戦争で役に立つ。傷つく人間が減るんだ。お前は特別なんだ」
純粋無垢な眼光が優を射た。逃げるように視線を外し、冷え切った書類を手でなぞる。
「僕はお祖父様のように偉くもないし燈のように強くもない。何度も言ってるでしょ。行くならみんなで行きなよ。僕はここで待ってるから」
この話題になるといつも気不味い空気が流れる。双方口を開かぬまま、ノックの音が沈黙を破った。
「お持ちいたしました」
侍女が湯気の立つケトルを手にお辞儀を一つ扉を開けた。
「ありがとう。そこへ置いといて」
燈の手から茶葉の缶を取り上げると、手際よくポットを用意する。
仄かな香りが部屋を包み込んだ。
足が床に着いたように微動だにしない燈。優は構わずまだ飲むには熱い紅茶に口をつけた。
「最近ロストが増えている。もし戦地で崩壊者が出たら?私達だけじゃ手に負えんかもしれない」
絞り出すように燈が言葉を零す。
「お前が来てくれると私は嬉しい」
今度は優の手が止まった。燈の目が訴えかけるように優を捕らえて離さない。反らしたくなる衝動を堪え二人は向き直る。
「僕はいかない」
あまり期待しないでよ。言いかけた言葉は呑み込んだ。冷え切った部屋で紅茶が静かに湯気を立てていた。
「……わかった。すまないな、我儘を言ってしまった!私達に任せろ。ちゃんと手柄は取ってくる」
一変して満面の笑みを浮かべるのは、燈なりの配慮なのだろう。
「出発は2週間後。刻とセザールを呼び戻さないと」
ギルド唯一の交渉役と暗殺者はどちらも出払っていて今は地方の街にいる。他方に散った仲間の招集は思うよりも手こずるだろうと、優は情報管理局に電話を回す。
「燈はメンテナンスを怠らないこと。身体の調子は刻が帰ってから軽く見てもらって」
電話片手に言うと燈は大きく頷いてみせた。受話器の向こうへいくつか伝言を残すと優は受話器をそっと戻す。
「お茶が冷めちゃう」
肩を竦め、そう催促すると大人しく燈は席に腰を下ろす。まだ開けたままの窓から吹き付けていた風がようやく止んだ。
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