R. I. P. 【6 feet under】

ギイル

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一章

追記

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古城を思い起こさせる高いコンクリートの壁は膝下にいる者の空を半分覆い隠す。街の無機質な白とは違う、けれどどこか冷たい白は城壁のようにセーフラインを断ち切るように立ちはだかっていた。
背丈よりも倍以上高い黒塗りの門は隙間なく閉じられ向こう側の音を遮断している。他の建物は壁に背を向けるように建てられており、人通りもない閑散とした道は一層寒々しい。
真昼間なのにどこかひんやりと涼しい影の中で、メイムは門を叩く。
「あのー、すみませーん。誰かいませんか?」
まるで似つかわしくない間伸びした呼びかけに応える声はない。一度出直そうかと思い始め、折角ここまで来たのだからという二つの気持ちの間で天秤が揺れ動く。
「あのー」
まるで空き家に声をかけているようだ。次第に不安が雲のようにもくもくと膨れ上がっていく。
メイムは無意識に蛍光色のトレナーの裾を握りしめた。
「すみませーん」
もう一度と挫けることなく声を張り上げる。するとメイムの目線より少し上のあたりで、覗き穴のような穴が空いた。背伸びをして穴から向こうを覗こうと踵を上げる。するとその体の傾きに応じるように扉が開いた。
「こんにちは」
顔を出したのは若が言っていた通り、黒服の、人間というよりどちらかと言えばゴリラに近い体格の、強面の男だった。メイムを冷たい目で見下げ口を真一文字に惹き結んでいる。
とりあえず口角だけ上げて笑って見せるも男は無表情を崩さない。
「えっと…白狼を…」
「ガキ、帰れ」
「え、いや、だから白狼を…」
「帰れ」
有無を言わぬ口調で男は言い放つ。流石にむっとしたのでメイムは露骨に不満を顔に表した。
「頼れって言ったのはあんたらのアンダーボスだよ」
「黙れ、ガキ。『G R』の服を来てなきゃ首をへし折ってやってるところだ」
「そっ…れはちょっと困る」
「じゃあ帰れ」
これではずっと平行線の押し問答だ。どうしたものかと頭を抱える。すると男の後ろにもう一人別の者の足音がした。
「どうしたんだ。あんまり扉を開けっぱなしにして長話するもんじゃないだろ」
どこか聞き覚えのある声だ。しめたとメイムは口の端を持ち上げる。どうも運はメイムに味方したらしい。
「おっさんと一緒にいたおっさん!」
「お、坊主。なんだ偉い早い再会じゃないか」
ガタイのいい男の後ろからひょっこりと顔を出したのはやはりレイと一緒にいた構成員の男だ。わざとらしく笑ったメイムを見て困ったように眉毛を下げているが、どうやら追い出すようなことはしなさそうだ。
「コンシエーリ、知り合いですか」
「ああ、こいつは本当にレイの客だよ」
「それは、失礼しました」
打って変わって態度を軟化させた男は礼儀正しくお辞儀をする。逆に気持ちが悪いなと思ったものの余計なことは言わない方が良さそうだ。
「まあ立ち話もなんだ、入れ」
レイと同じように人の良さそうな困り顔を浮かべながら、男は顎で門を潜れと指図する。そのタイミングでガタイのいい男が横にずれて道を開ける。
男の傍を通って中へ足を踏み入れると背後で重々しい扉の閉まる音と、鍵をかける金属の擦れる音が聞こえた。
「どこの誰が触れ回ってるのかしれないが、レイに会いたいって頼りにしてくるガキが増えてきてな。ちょっと警戒してただけだ。すまなかったな」
「別に気にしてない」
メイムが中に入ったのを確認すると男は前を歩き出した。ガタイのいい男の方は門番なのか、扉の側で仁王立ちしていた。
「あいつよりもあんたの方が偉いの?」
「今ちょっと弱そうって思ってただろう」
「否定はしない」
男は正直なガキだなと呆れた顔を作ったものの、傷ついている雰囲気はない。
「まあ、そこそこな。アンダーボスのことをレイと呼べる程度には偉い」
「へえ」
興味がなかった訳ではないが、淡白な返事をしてしまった。ちらりと男を伺うと特に気にした様子も無さそうだった。どこにでもいそうな面構えをしている彼は、やはり偉い人間には見えない。じっと顔を見つめていると男は左頬にあるほくろをかいた。
「こっちに来てから自生してる植物を始めて見た」
「この世界では希少だからな。全部ボスの趣味だ」
門の中は外の冷たい印象とは真逆の、温室のような庭だった。どちらかといえば植物の間を縫うようにして繋がれた道は、奥のコンサバトリーのような建物まで続いていた。
屋根の下には四角い箱が地面から頭を出している。柱に着いたボタンが押されると箱が口を開けた。
「地下に全部埋まってるの?敵襲とか爆弾避け?」
「あー」
男は歯切れが悪そうにまたほくろをかく。
「表向きはそうだな。けどほんとのところはボスの趣味だ」
「なるほど」
『La M』のボスは想像とは違い植物を愛する優しい奴らしいとメイムは勝手に予想をつけた。
エレベーターに乗り込むと男は慣れた手つきで懐から取り出したカードをかざし、三列にも並んだボタンの中で真ん中に近いところを押した。
「おっさんは今いるの?」
「一応組織の2番目だからな。お前と会った時みたいに外にいる方が稀だし、あんなとこにいるのはもっと稀だ」
「じゃあ普段は何してるの?」
「書類仕事」
地味だなと示唆するような変な顔をすると、男は意図を読み取ったのかぷっと吹き出す。
「大切な仕事だ。レイの前でそんな顔してやるなよ。泣くぞ」
「はーい」
悪びれることなく返事をする。男は表向きは呆れた顔をしつつも、目は穏やかにメイムを見ていた。
軽快なベルの音で到着を知らされる。
「そういえばDEMディムは入れてないんだね」
「あんな奇妙なものは嫌いだとボスが言うからな」
ゆっくりと扉が開いてオレンジ色の照明が印象的な薄暗いエレベーターホールへと誘われる。
金の刺繍が施された赤く毛の長い絨毯。対になるよう隅に置かれた花瓶は繊細な筆跡で鳥が描かれており、活けられた花束に見劣りしない。壁に一定間隔でかけられた絵画も実に見事で、額縁まで繊細な装飾が施されているあたり高価なものに違いなかった。
廊下の突き当たりには扉は一つしかない。
「レイ、入るぞ」
ノックも無しに男は無遠慮に扉を開けた。
男の背中越しに光が差す。思わず目をつぶって光を遮ろうと右手を挙げる。
ようやく目が慣れた頃、目の前にいた男は部屋の中に入り、メイムは開け放たれた出入り口にぽつんと立っていた。
「自然光?」
「そうプログラムされた人工的な光だ」
光を背にして立つ男の隣で書類に顔を埋めるようにして座っているシルエットが答えた。
「まあ外と同じプログラムで書かれた光だよ」
「なるほど」
「突っ立ってないでそこ座れ。これ終わらせたら話そう」
シルエットは顔を上げることもなく言って、逆に側に立っていた男が机の前にある革張りのソファを指差す。
メイムは大人しく従ってソファに深く腰掛けた。
「やば、高そう」
「最初の感想がそれか。もっと感性磨け」
「じゃああんたならなんて言うの」
「俺か?ふわふわ、とか、ふかふか、じゃないか?」
「俺と変わんないじゃん」
どこから出したのか男は客人用のコーヒーをメイムの前に出すと、机に齧り付いているレイにも出して、自身もカップを手にメイムの近くに立った。
「あんたの感性も大概だね。一緒に磨いてこ」
「そうだな」
冗談混じりの言葉に男も笑って返事をする。
あらかた笑い終えた時ちょうど雷が立ち上がった。
「仕事中の俺を差し置いて談笑とはいい度胸だ。今度オペラにでも連れて行ってやろう」
先程手渡されたコーヒーを片手にメイムの前のソファに腰を下ろす。
「うへえ。地獄」と舌を出して苦い顔をするメイムに呆れたような顔をする雷の目元には深いクマができている。どうやら書類仕事に忙殺されているらしい。よりおっさんらしくなったなとメイムはこっそり心で思った。
「で、何だ。随分と早い再会だが、遊びに来た訳でもないだろ」
今日は濡れていない髪を乱雑にかきあげ雷は背もたれに体を沈める。折角かきあげた髪が数束顔にまた落ちて面倒臭そうに息を吹きかけ退けていた。
「ちょっと困ったことになっててさ」
「坊主、お前は何に首を突っ込んだんだ」
どこからか椅子を出してきてメイムの隣に座った男が咎めるように言う。
「結構ヤバめな事に首を突っ込んでたみたいで。わざとじゃないんだよ!」
「わざとだったら俺がもう一度お前の頭を撃ち抜いてやるよ」
「その節はどうも!」
歯を見せて全力で「いーっ、だ」としてやると大人二人はわざとらしく両手を持ち上げて肩をすくめた。
「というより、お前その服どうした。それ『G R』の服だろう。入ったのか?」
「借りた。殴られないだろうからって」
「なるほどな、賢いやり方だ。よかったな、首をへし折られなくて」
あのゴリラに首をへし折られていた未来もあったのかと背筋が震える。
「やっぱ、これ目立つよね」
「まあな。しかも前開きじゃないあたり結構上の奴と会ったな」
「助けてもらった」
メイムは平然としているが、大人二人は驚いたようで目を丸くしている。
「運がいいやつだな」
「レイ、それを言うなら運だけで生きてる奴だ」
「それもそうだ」
遠回しに貶されているような気がする。
黙って不満気な表情を隠す事なくしていると、雷が眉尻を下げた。
「お前は間違えれば即死の分かれ道を今のところ正しく選択してるみたいなもんだ。なんとなくでいいからわかっとけ」
口調は穏やかだが釘を刺しているらしいとメイムは黙って頷いておいた。
「『G R』入ってるなんて言った日にや、助けるのは難しかったからな。お前はほんといいタイミングでいい選択をする」
「ありがとう」
「褒めてるわけじゃ…いや、褒めているが手放しにじゃないぞ。もっと慎重に動け。そのうち厄介な事に巻き込まれるぞ」
「もう巻き込まれてる」
「度合いによるな。大人の力で解決できる範囲なら、俺達に泣きついた時点で解決したも同然だが」
「坊主の運の良さなら俺達の手に負えないものを引っ提げてきそうだな、レイ」
「全くだな」
雷は眉間を押さえ軽く揉む。
「で、何に巻き込まれたって?」
コーヒーに口をつけて雷はメイムの言葉を待つ。
どこから説明したものか。メイムは暫く黙り込んだ後、掻い摘んで説明しようと言葉を選ぶ。
「インポスターに追いかけられた」
「ぶっ」
大人が二人してコーヒーを噴き出した。雷に至っては気管に入ったのか苦しそうに咽せている。
「お前!ほんとに何した!」
「それ、若にも言われた」
「若?お前、まじか。まさかインポスターに追っかけられた挙句、『G R』のガキ大将と知り合ったって?ほんとお前の運はどうなってやがる」
「若の事知ってるの?」
雷は目を逸らしあともうともつかぬ口を開けて固まっている。そんな上司の様子を見かねた男が咳払いを一つして口を開いた。
「うちのボスが目をかけてやってチームのボスにのしあがったガキだよ。まあ、最後には『La M』の領地内に自分達のシマをつくりやがったがな。恩知らずだとうちのボスがカンカンに怒って、レイがなんとか宥めて事をおさめた」
なんて巡り合わせだとメイム自身も流石に舌を巻いた。
よくよく考えればR Ⅴアール5R Ⅵアール6の間にシマがあると聞いていた時点で違和感を抱くべきだったのだ。
「まあ、なんだ。レイはその辺には寛容だ、安心しろ」
寛容の部分でダブルピースを二回ほど折り曲げたような気がしたが、何も言うまいとメイムは口を固く閉じた。
「で?インポスターに追いかけられたお前は安全なここに逃げ込んだのか。厄介な事になったな」
「やっぱりインポスターって相当やばいの?」
「聞きたいか?」
眉を上げて問う、まるで聞けば後悔するぞという口ぶりに恐ろしさよりも好奇心の方が勝つ。前のめりになって頷けば雷は重々しく口を開く。
「もう昔の話だが、運営側の機密情報を持ち出した奴がいた。そいつがインポスターに追いかけられた最初の人間だ。セーフラインとかの情報が出回り出したのもこの頃だ」
「その人はどうなったの?」
「さあな。無事で済むわけはないだろうが、何せインポスターに捕まった奴がどうなったかなんて知る由もないからな。そいつがどうなったか真相は闇の中だ」
「今の話だとインポスターがほんとに怖いとかわからないじゃん」
雷の目線が鋭くメイムを射た。
「腕をもがれかけてもか?」
雷がコーヒーをローテーブルに置いた。陶器同士がぶつかり合う音が嫌に響いた気がした。
「それはどういうこと」
疑問というよりも確認に近い気持ちで問いかけた。
雷は瞼をそっと閉じると溜息を一つ、そしてゆっくりと目を開けた。
「レイ、喋りすぎじゃないか」
横槍を入れたのは今まで黙っていたメイムの隣に座っていた男だ。先程までの和やかな雰囲気はなりを潜めている。
雷はその言葉を無視して裏地の派手なスーツを脱ぎ肘置きに掛けた。そしてブラウスのボタンを上からいくつか外し、右の袖を落とした。
「インポスターに抉られた傷は治らない。つまりこれはどういうことか分かるな」
露わになった右肩には腕を一周するように傷跡があった。辛うじて皮一枚で繋ぎ止めたのだろう。傷は腕の肉を輪のように抉っていて歪な繋ぎ目になっている。
「死や病気のない世界で治らない傷なんて致命的なバグだ」
「…レイは何したの」
流石に踏み込みすぎたと自覚した頃にはもう声に出ていた。しかし雷はとことん答えてくれるらしい。隣で口を開きかけた部下を手で制する。
「この世界からな、出ようとしたんだ」
「そんなこと」
「できないさ。けどあの頃の俺はどうかしていた」
自嘲するような顔をした雷は昔を思い出しているようで、伏せられた目からは光が消えている。
「まあ、それでこのザマだ。それ以来は大人しくしているからインポスターも見逃してくれているんだろうな」
傷を隠すようにスーツを皺一つなく着込む。
「お前がインポスターに追われるということは、それほど何か大きな事をしでかしたってことだ」
「原因は、分かってるんだ」
今度はメイムが俯く番だった。膝の上で組まれた指を動かして、どう話したものかと思い悩む。話してしまえば巻き込む気がして気が引けた。
しかし雷はいつまで経ってもメイムの言葉を待っている。とうとうメイムは腹を括った。
「これ」
一言、それだけを言って、ポケットの中に締まっていたあの一錠の薬をローテーブルの上に置いた。
「ドラックか?」
雷が躊躇なく薬の入った袋を摘み上げた。
色は珍しいがどこにでもありそうな錠剤だ。二人も若達と同じく、目を細めて疑わし気な反応を返す。
「これのためにお前はインポスターに追われてるのか」
「そうみたい」
「どこから持ち出した」
「友達の部屋」
「そいつは今どうしてる」
「行方不明」
二人はまた一層眉を顰める。
「嘘はついていないな?」
「うん」
悩まし気に顰められた顔をした雷はメイムの表情をじっと伺う。本当のことを話しているようだと確信を得たようで、目で話の続きを促した。
メイムは事のあらましを洗いざらい二人に話した。
友人の部屋に行ったこと、友人が行方不明になっていたこと、友人の部屋にあった薬のこと。
「6FU」
雷が薬の名前を口の中で転がした。そして突然立ち上がるとあの書類に埋もれた机に向かう。いくつかの山の中からバインダーを数冊取り出してもう一度ソファへと戻ってきた。
「どっかで聞いた名前だ。多分判を押した書類のどっかに書いてあったんだろうな」
大人二人は黙々とページを捲っている。『La M』のドラック関係の機密情報なのだろうし、流石に拝見するわけにはいかないとメイムはすっかり冷めたコーヒーを啜った。やはり砂糖を貰っておくべきだったと心の中で悔しがった。
コーヒーも殆ど無くなって舌に苦味が十分に広がった頃、雷がはたと顔を上げた。
「あったぞ」
その一言の吉報にメイムは思わず立ち上がり、ソファの背もたれ越しに雷の背後まで回り込む。覗き込んでも怒られる心配はなさそうで、メイムは書類の文字に視線を滑らせた。
それを追うようにして雷の声が右耳に聞こえた。
「6FU。詳細は不明」
「何それ」
「形状不明、効果不明、実在を確認できず」
「そんなのよく調べさせようと思ったね」
記録されたのは随分と昔のようで紙が少し黄ばんでいる。
「確か、この頃は。俺が。そうだ」
雷は一人ぶつぶつと何か呟いている。横目で盗み見ると相変わらず手入れのされていない無精髭を指の腹で撫でている。もう片方の指は書類の上の文字をなぞる。
「あの頃の俺はどうかしていた。だから藁にもすがる思いだったんだ」
そう告げた雷はまたあの光の宿っていない瞳をしていた。
指が撫でて止まったのは追記と走り書きされた文字で、噂だがと丁寧に前置きがしてあった。書かれたその文字を雷は読み上げる。
「『R. I. P.』から離脱できる」
三人は各々文字から目を離せずにいた。
メイムは心臓の鼓動が酷く五月蝿いと初めて感じた。
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