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1話 月白の翼、月白の王女(D)
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あの日、見た光景を忘れられるわけがない。
* * *
ずっと探してる女性がいる。
僕が十三歳の時、隣国への留学が終わり国へ帰って、大伯父の領地の東南端、南の隣国へ続く巨大な山々の麓で狩りをしていた。
とは言っても僕は全く乗り気じゃなかった。狩りは好きではない。大伯父も同じだ。だからついてこなかったし、そもそも最近の大伯父は消沈して以前の快活さが見えなくなっていた。
「つまらないな」
「帰りますか」
「いや……もう少し」
「では新しく淹れ直しましょう」
唯一連れてきた両方に仕える年若い侍従二人は僕の様子に淡々としていた。まったく主人が憂いているなら少し気を遣ってもいいと思うけど。
でも一緒に屋敷で育った兄姉みたいなものだ。彼彼女だから気兼ねなくいられる。
「ん?」
銃声が遠く聞こえる。誰か狩りに出ていたかな。ここは大伯父の管轄地域だから、いつ誰が狩りに出ているか管理されてるはず。今日この一帯で銃を伴った狩りを許可してる者はいない。
「へえ」
「捕らえますか」
「そうだね。音が近くなってるから、もう少ししたら出よう」
「畏まりました」
空を見上げれば鷹が鳴いて旋回している。
そのさらに上に何かが飛んでいるのが見えた。
「なんだ?」
目を凝らして見れば、それは段々近づいて来る。それが滑空ではなく落ちていると悟ったのは、その形がはっきりと分かる頃だった。
「人……」
大きな白い翼が太陽の光を反射して輝いている。その翼は人を抱えてきた。
人だ。
人の背に翼がある。
鳥が人を捕らえているわけではなく、決して紛いものではない白練の翼。
「!」
落ちてきた人は、目の前の泉に飛沫を大きくあげて沈んだ。
思わず腰が上がる。
落ちてくる一瞬、目があった。
「え?」
「ダ、ダーレ様!」
「何か拭くもの持ってきて」
状況を把握しきれなかった二人は目を白黒させて戸惑っていたけど、僕の言うことにすぐに冷静になる。一人は警戒して臨戦態勢に、一人は僕の言う通り布を探す。
「君!」
「……!」
泉に到達する時にはすでに水の中からあがり、むせて息を荒げていた。
落ちてきたのは少女だった。
翼はない。
さっきのは見間違えだったのだろうか。あの綺麗な翼が見えなくて、それが見たいと欲が疼く。
違う、今は彼女を助けることが先だ。
「だいじょう、」
「来ないで!」
目があった彼女の瞳は少し濡れて怯えていた。座ったまま少し後ろに引いて。
「怪我は?」
「こ、こないで」
「大丈夫、何もしない。君を助けたいだけだから」
「来ないで」
そこに拭くものが調度よくやってきた。今にも泣きそうな彼女を包むように被せると、彼女はびくりと肩を鳴らし、次に驚いて可愛らしい瞳をさらに丸くして僕を見上げた。
「な、な、」
「怪我はなさそう?」
するりと頬を包むと、彼女の頬が上気して、場に合わずも可愛いと思ってしまった。驚いて固まる彼女をしり目にあらかた身体を確認したけど、折れてるとか血を流してるとかそういうのはなさそうだった。
「……よかった」
「!」
笑うと、彼女はそこで我に返ったらしい。触れてる手を叩かれ、さらに距離をあけた。
彼女の瞳の色が変わる。それは泉に落ちる瞬間に見た色と同じ。けど、その色はすぐに失われた。それに動揺したのは僕ではなく彼女自身だった。
「う、うそ……どうして……」
「君?」
「も、戻れない、なんて……」
彼女の顔色が変わる。同時、遠くで銃声が聞こえ、彼女はその方向を見て、さらに青ざめた。
「追われてるの?」
手を伸ばす。
けど、掴めなかった。
代わりに視界を飛び越えるぐらい、大きな白い羽が広がっていく。
「やっぱり」
「……」
まだ子供だった僕にはただただ綺麗という言葉しか浮かばなかった。
落ちて来るときに見えた美しい羽。それが動いて風が起こり、彼女を持ち上げていく。
その翼が本物であることがただただ嬉しくて僕の気持ちは高ぶるばかりだった。
「ま、待って」
「っ!」
僕の言葉に応えることはなく、彼女は空へ羽ばたいた。瞳の色を変えて、すぐに見えなくなる。
「……」
「ご無事ですか? 何かされました?」
「何も」
少し濡れただけだった。でもそれが、彼女に触れていた現実を思い起こさせる証明でもあった。
そうだ、彼女は存在している。幻を見ていたとか、そういうものじゃない。
「フィー」
「はい」
「アン」
「はい」
「彼女を探す」
「はい?」
「彼女にもう一度会いたい」
「ダーレ様……」
この時から、彼女を探す日々が始まる。
* * *
「ふふふ」
「どうかしました、主人」
「ついに頭が湧いたのでは」
「ひどいな! 彼女のことを思い出してただけだ!」
「あ、湧いてましたね」
「とんだ変態です」
あまりにひどい応酬。
まがりなりにも主人に言う台詞じゃない。
「ひどすぎだろ……」
「事実ですよ、主人。何年かかってると思っているのですか」
「えっと」
「八年です。やはり変態ですね」
「一途って言おう?」
あと一年ですよ、とも言われる。わかってる。もう延ばせない。
幼少期に決められた婚約者と結婚しなければならない。その前に彼女になんとしてでも会いたかった。
「ほら、主人着きましたよ」
山奥の頂上に至る手前に城が見えた。歴史ある城は堂々とそびえ立つのに、多くの木々の中に隠れるように存在していた。
「姫様!」
「ねえ、ひめさまあ」
近くで子供が呼んでいた。その姿を見留め、言いようのない思いが全身を支配する。
「姫様ったら」
「ええ、今行くわ」
浅く息をつく。ずっと待ち続けた瞬間だった。
「いた……」
「あ、主人」
制止も無視して、茂みを掻き分け、彼女の元へ行けば、気づいた彼女が目をしばたたかせて、こちらを向いた。
「やっと、会えた……」
ずっと探していた女性。
* * *
ずっと探してる女性がいる。
僕が十三歳の時、隣国への留学が終わり国へ帰って、大伯父の領地の東南端、南の隣国へ続く巨大な山々の麓で狩りをしていた。
とは言っても僕は全く乗り気じゃなかった。狩りは好きではない。大伯父も同じだ。だからついてこなかったし、そもそも最近の大伯父は消沈して以前の快活さが見えなくなっていた。
「つまらないな」
「帰りますか」
「いや……もう少し」
「では新しく淹れ直しましょう」
唯一連れてきた両方に仕える年若い侍従二人は僕の様子に淡々としていた。まったく主人が憂いているなら少し気を遣ってもいいと思うけど。
でも一緒に屋敷で育った兄姉みたいなものだ。彼彼女だから気兼ねなくいられる。
「ん?」
銃声が遠く聞こえる。誰か狩りに出ていたかな。ここは大伯父の管轄地域だから、いつ誰が狩りに出ているか管理されてるはず。今日この一帯で銃を伴った狩りを許可してる者はいない。
「へえ」
「捕らえますか」
「そうだね。音が近くなってるから、もう少ししたら出よう」
「畏まりました」
空を見上げれば鷹が鳴いて旋回している。
そのさらに上に何かが飛んでいるのが見えた。
「なんだ?」
目を凝らして見れば、それは段々近づいて来る。それが滑空ではなく落ちていると悟ったのは、その形がはっきりと分かる頃だった。
「人……」
大きな白い翼が太陽の光を反射して輝いている。その翼は人を抱えてきた。
人だ。
人の背に翼がある。
鳥が人を捕らえているわけではなく、決して紛いものではない白練の翼。
「!」
落ちてきた人は、目の前の泉に飛沫を大きくあげて沈んだ。
思わず腰が上がる。
落ちてくる一瞬、目があった。
「え?」
「ダ、ダーレ様!」
「何か拭くもの持ってきて」
状況を把握しきれなかった二人は目を白黒させて戸惑っていたけど、僕の言うことにすぐに冷静になる。一人は警戒して臨戦態勢に、一人は僕の言う通り布を探す。
「君!」
「……!」
泉に到達する時にはすでに水の中からあがり、むせて息を荒げていた。
落ちてきたのは少女だった。
翼はない。
さっきのは見間違えだったのだろうか。あの綺麗な翼が見えなくて、それが見たいと欲が疼く。
違う、今は彼女を助けることが先だ。
「だいじょう、」
「来ないで!」
目があった彼女の瞳は少し濡れて怯えていた。座ったまま少し後ろに引いて。
「怪我は?」
「こ、こないで」
「大丈夫、何もしない。君を助けたいだけだから」
「来ないで」
そこに拭くものが調度よくやってきた。今にも泣きそうな彼女を包むように被せると、彼女はびくりと肩を鳴らし、次に驚いて可愛らしい瞳をさらに丸くして僕を見上げた。
「な、な、」
「怪我はなさそう?」
するりと頬を包むと、彼女の頬が上気して、場に合わずも可愛いと思ってしまった。驚いて固まる彼女をしり目にあらかた身体を確認したけど、折れてるとか血を流してるとかそういうのはなさそうだった。
「……よかった」
「!」
笑うと、彼女はそこで我に返ったらしい。触れてる手を叩かれ、さらに距離をあけた。
彼女の瞳の色が変わる。それは泉に落ちる瞬間に見た色と同じ。けど、その色はすぐに失われた。それに動揺したのは僕ではなく彼女自身だった。
「う、うそ……どうして……」
「君?」
「も、戻れない、なんて……」
彼女の顔色が変わる。同時、遠くで銃声が聞こえ、彼女はその方向を見て、さらに青ざめた。
「追われてるの?」
手を伸ばす。
けど、掴めなかった。
代わりに視界を飛び越えるぐらい、大きな白い羽が広がっていく。
「やっぱり」
「……」
まだ子供だった僕にはただただ綺麗という言葉しか浮かばなかった。
落ちて来るときに見えた美しい羽。それが動いて風が起こり、彼女を持ち上げていく。
その翼が本物であることがただただ嬉しくて僕の気持ちは高ぶるばかりだった。
「ま、待って」
「っ!」
僕の言葉に応えることはなく、彼女は空へ羽ばたいた。瞳の色を変えて、すぐに見えなくなる。
「……」
「ご無事ですか? 何かされました?」
「何も」
少し濡れただけだった。でもそれが、彼女に触れていた現実を思い起こさせる証明でもあった。
そうだ、彼女は存在している。幻を見ていたとか、そういうものじゃない。
「フィー」
「はい」
「アン」
「はい」
「彼女を探す」
「はい?」
「彼女にもう一度会いたい」
「ダーレ様……」
この時から、彼女を探す日々が始まる。
* * *
「ふふふ」
「どうかしました、主人」
「ついに頭が湧いたのでは」
「ひどいな! 彼女のことを思い出してただけだ!」
「あ、湧いてましたね」
「とんだ変態です」
あまりにひどい応酬。
まがりなりにも主人に言う台詞じゃない。
「ひどすぎだろ……」
「事実ですよ、主人。何年かかってると思っているのですか」
「えっと」
「八年です。やはり変態ですね」
「一途って言おう?」
あと一年ですよ、とも言われる。わかってる。もう延ばせない。
幼少期に決められた婚約者と結婚しなければならない。その前に彼女になんとしてでも会いたかった。
「ほら、主人着きましたよ」
山奥の頂上に至る手前に城が見えた。歴史ある城は堂々とそびえ立つのに、多くの木々の中に隠れるように存在していた。
「姫様!」
「ねえ、ひめさまあ」
近くで子供が呼んでいた。その姿を見留め、言いようのない思いが全身を支配する。
「姫様ったら」
「ええ、今行くわ」
浅く息をつく。ずっと待ち続けた瞬間だった。
「いた……」
「あ、主人」
制止も無視して、茂みを掻き分け、彼女の元へ行けば、気づいた彼女が目をしばたたかせて、こちらを向いた。
「やっと、会えた……」
ずっと探していた女性。
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