追放済み聖女の願う事

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38話 後ろからぎゅぎゅっと

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「う、そ」

 その字の時点で私は急降下。
 死角になってたとこが盛大な崖とは。
 やはり自然の山は侮ってはいけない。
 身体能力を強化しても、決してむやみに走り回るものではなかった。

「主!」
「え?」

 頭上からサリュが降ってきた。
 いやいや、お待ちください。
 私は自分を強化してるから、結構高いけどここから落ちても問題なく着地できるよ?
 という台詞を言わせてくれる時間はなかった。

「チッ」

 おっと今初めて舌打ちした。
 真面目が珍しい。

「いやそれよりも」

 落下中のこの状態がおかしい。
 追って落ちてきたサリュが私を後ろから抱えている。
 お腹に回された片腕。
 頭上から落ちてきた舌打ちのおかげで、ツッコむ順番間違えたかもしれない。
 抱えられている事にツッコむのが先だったね。

「サリュ」

 途端、水が私達を飲み込んだ。
 サリュの力か。
 落ちる衝撃を緩和して、木々に突っ込んで、そのままワンバウンドで大地に戻れたのは行幸。
 お尻が痛いと言う事もなかった。

「……くそっ」

 頭上から飲み込んだ水が雨のように降ってくる。
 衝撃に弾けたのかな。
 暖かい季節で良かった。風邪はひかなくてすむ。

「おお……」
「本っ当、世話の焼ける!」
「大変申し訳御座いません」

 逃がすまいとする片腕の拘束に加え、サリュの足の間にすっぽりおさまった私に謝罪以外の選択肢はない。
 ここまで来たら逃げる事は出来ないだろうし。
 もう片方の手が私のお腹を通る。
 逃がす気、本当ないんだね。
 これは土下座コースだろうかと遠い目をしてしまうよ。

「……」
「サリュ?」

 ぽたぽた水が滴る。
 あ、今振り返る事が出来たら、水も滴るいい男が見られるって事?
 それ誰あての御褒美?

「む」

 けど見ようにも見られなかった。
 サリュの両腕の拘束がしっかりしすぎて。
 逃がしたくない気持ちも分かるけど、これじゃ後ろから抱きしめられてるようなものだ。

「……くく」

 すると背中からサリュが震えているのが分かった。
 しかも声まで漏らして。

「あれ、サリュ、もしかして」

 途端、背後で笑いだした。
 何が起きた。
 頭ぶつけたとかじゃないよね?
 サリュが笑うなんて見たことない。
 皆の前ではあったかもしれないけど、私の前ではデレた時の微笑みぐらいしかなかった。
 そのサリュが声をあげて笑っているなんて。

「はは、想像を超えるな」
「え?」
「ああ、くそ」

 ぎゅぎゅっと腕に力が込められて、より密着する事になった。
 いややめよ?
 濡れてるのもさながら、サリュの頭だか顎だかを私の頭に預けてるのが感触で分かる。
 それはやめよう、過剰摂取すぎる。
 てかここ最近本当触れ合い過剰だけど、サリュが無事でも私の精神が持たない。
 なんだろう、デレ期? 雨期乾期的な?

「もう逃げないから離れてよ」
「ふふ、ふ」

 こやつ、まだ笑いのツボがおさまらないらしい。
 ぎゅぎゅっとされてる手前、身体震わせて笑い続けているのがわかる。
 仕方ないので、おさまるまで待つことにした。
 そんなに時間はかからず、すっと震えが引いたので軽く声をかけてみる。

「そんなに面白かったの?」
「……ええ、そうですね」

 声音から少し落ち着いてきたのが分かった。
 腕の力が緩くなったので気が済んだよう。やっとか。

「この程度の崖なら着地出来るよ」
「それでも心配ですので」
「過保護ですねえ」

 腕が完全に取り払われたので、水も滴るいい男を見ることにした。
 それはもう楽しそうに笑っていたけど。

「楽しそうだね」
「これ程、愉快な事もないでしょう」
「追いかけっこが?」

 訓練でもなんでもない、本当に純粋な追いかけっこが楽しいと?
 そんなに楽しいなら、今度全員参加追いかけっこを企画してもいいかもしれない。

「普通の追いかけっこでは崖から落ちません」
「それもそうだね」

 追いかけっこの内容が予想外?
 訓練でこの山を使ってるって事は普段走り登ってるものだと思ってたけど。
 まああれか、聖女と精霊が山の中で追いかけっこはしないか。
 師匠なんてそんな事ありえないとか言いそうだし。
 そうこう考えている内にサリュは満足したらしい。
 ゆっくり立ち上がるから、それに合わせて私も立ち上がる。
 その表情は妙にすっきりしていた。
 般若がなくなってよかったわ。

「では戻りましょう」
「はーい」
「道中逃げないように」
「はーい……」

 なんだ、さっきまで笑ってたくせに、ちゃっかりお説教モードか。
 気まずくて視線を逸らすと、明らかにじっと見てきてるのがわかった。
 水をかぶって少しは冷静になってくれたと期待していたけど、それも駄目そう。
 山下るまで説教はいやだなあ。

「エクラ」
「なに?」
「手を」
「ん?」

 すっと差し出される右手に首を傾げる。
 怪我をしてるわけじゃないから治癒は必要ない。
 瘴気は完全に浄化してるし、他にやり残したことあったっけ?

「また見当違いな事を」
「え?」

 盛大な溜息。
 察して欲しいという方が俄然無謀だと思うよ?
 言葉で伝えてよ、私千里眼持っていないから。

「お、」

 するりと左手をとられた。
 そのまま歩き出すから、つられて私も足を踏み出す。

「逃げないように、です」

 斜め後ろから見るサリュの耳が赤い。
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