千年巡礼

石田ノドカ

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第1章 『昔日の誓い』

5.馬鹿者

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 表情からだけでなく、場を飲み込まんばかりの気迫からもそれを察したユウは、内容こそ分からないながらも、それがのっぴきならない報せであることは理解し、押し黙る。

「場所は?」

『北方の第三監視所だ。今し方『監視所がのまれた』とだけ伝令があった。仔細は現在確認中。姿が確認されたわけではないとのことだ、完全に復活したわけではないのだろうが、見たことのない程の軍勢、尋常ならざる妖気は、まず間違いないだろうと』

 監視所。
 正しくは『妖気観測所』と言い、敵である妖魔、そして封印されている親玉、悪鬼酒呑童子の妖気を観測するための拠点である。
 いち早い脅威の察知及び対応だけでなく、特別強力な妖魔のいない今の時代は、桜花に入り切らない妖らの生活拠点としても利用されている。
 東西南北とその四方の間、計八方向に、桜花から等間隔で三つずつ設置されており、今回襲撃された第三は、桜花からは最も遠い場所。
 しかし北方というのが一つ問題で、それは現在、酒呑童子の封印されている場所から最も近い場所にあるのだ。
 妖魔の大群、異質な妖気、それらが飲み込んだ場所が北方の第三拠点――疑いようは、もはやないと言える。

「のまれた……? 具体的には?」

「文字通りだ。その軍勢らによって、一瞬の内に跡形もなくなってしまったようだ。鏡を通していつも通りに方々の妖気を確認していた雲外が、第一監視所に在った全妖気の消失、それと代わるようにして異質な妖気を持つ大勢の生き物と、その最奥にとりわけ気味の悪い妖気を察知した、とのことだ」

 ハクの説明に、咲夜は少し思考を巡らせた後で、努めて優しい表情と声音で、ユウの肩に手を置いた。

「ごめんなさい、ユウ。私は少し、お買い物へ出かける用事が出来てしまいました。今日のとこはもう、おうちへ帰って休みましょう。ね?」

 そんな言葉が嘘であることくらい、子どものユウでもすぐに理解した。

「さくやさま――」

「ハク。雲外に、菊理と第一・第二部隊の全員を、北方の第一監視所へと飛ばすよう伝えなさい。早急に」

『御意』

 第三監視所が既に陥落しているのなら、目指す先はまず第二監視所だ。
 ではなぜ、第一監視所へと飛ばそうと言うのか。
 これ以上、無駄な犠牲を増やさない為だ。

「菊理、第一監視所に到着次第、第一部隊を妖魔の群れへと向かわせ、後詰として第二部隊を展開させるよう指示。間に合わなくとも構いません」

「第二監視所はどうするのです?」

「準備が整い次第、雲外には私を飛ばしてもらいます。極力、強い力を持つ妖魔を倒しつつ、最奥の酒呑童子を目指します。なので、隊員らには、その後始末を」

「何を馬鹿なことを…⁉ それでは貴女が――」

「考えている暇などありません。従ってください」

「冗談はよせ咲夜…! お前の命は、そのまま民草全ての命なんだぞ…!」

「黙って従いなさい、菊理ッ…‼」

 咲夜の怒号に、菊理は珍しく気圧され、言葉を切った。
 普段は柔和で落ち着いた物腰の咲夜から放たれる、聞いたことのない声音と言葉遣いに、菊理はやがて渋々頷く。

「異質な妖気の正体が酒呑童子でなければ、それで良い。でももし真に酒呑童子のものであるのなら、放っておけば悪戯に被害を増やすだけです。今、桜花で最も強いのは、貴女でしょう。ですが、私は貴女にも死んで欲しくはないのです。これは私の我儘――しかし、もし私でも負けるようなことがあれば、それこそ桜花を、この国全体を護ることなど叶いません。ならば最前線へ赴き、そこで討伐、或いは封印が成るのなら、それに越したことはないでしょう?」

「し、しかし……」

「ありがとうございます、菊理。国と同じく私の身も案じてくれる貴女のそういうところ、私は大好きですよ」

「……冗談なら帰ってからにしろ、馬鹿者が」

「ふふっ。ええ、そうですね」

 苦しい嫌味に、咲夜は苦笑いを浮かべると、そのまま踵を返し、庭園を後にした。
 菊理は苦虫でも嚙み潰したような表情を変えないまま、ユウの方へと振り返る。

「少年、今すぐ元居た世界へ帰れ。いいな」

「く、くくりさま……でも、さくやさまが――」

「買い物だ、と言っていただろう。心配はいらん」

「うっ……う、うん……」

「いい子だ。また会おう」

 それはさながら、死地へと赴くヒーローのようで。

 行かないで――

 そう言えない自分が悔しくて、少年は唇を嚙み、力なく俯いてしまった。
 菊理までいなくなったことで、庭園は一気に寂しくなった。
 辺りにはただ、花々が風に揺られ踊る音、そして噴水の水が流れる音ばかりが響いている。
 つい余計なことを考えてしまいそうになる静寂の中、ユウは頭を振ってそれらをどこかへ追いやると、納得は出来ないまでも噴水の前へと立った。
 ここにいても、自分に出来ることは何もない。
 あれだけ真剣な顔をしていたのに、何をしにいくのか、そもそも何をしている国主とその傍付きなのかも知らない。
 ただただ感じる無力さに流されるまま、ユウは元の世界へと意識を集中する。

『――――小僧』

 もう帰れるだろうか、という頃、ハクの声が耳を打った。
 これ以上まだ何か言われることがあるのかと、半ば怯え、身構え、振り返ることなく固まった。

『命さえ有れば、いずれまた出会うことは叶おう。今は生き急がず、此度はただ、あの子らの意に頷いてくれると助かる。まだ幼いその命、このようなところで散らすものではない』

「いきて……」

『ああ。心配なら無用だ。あの子は強い。ニンゲンの想像など及ばぬ力と知恵を携えておる。起きたこと全て、夢であったかのように、晴れやかな顔で戻ってくることだろう』

 そんな言葉に、ユウは固唾を飲み込み、覚悟を決めた。
 震えていた足も落ち着き、乱れていた呼吸も、不思議と安定してきた。

『そうだ、それでよい。そのまま噴水に意識を集中していれば、じき元の世界へと意識は戻ろう。礼を言うぞ、小僧。我ももう行く』

 それだけ言い残すと、ハクもふたりの後を追い、庭園を後にした。
 ハクの駆けてゆく足音が聞こえなくなった、その後で。
 ユウは意気込み、一歩、大きく踏み出した。
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