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第4章 『水とともに生きる:後編』
第11話 理由
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例の民宿はマコトさんの身内で、外江さんという方が営んでいるらしかった。表に管理者を示しているらしい札があった。
そんな外江さんから、料金は結構だからゆっくりしていけ、と有難いおもてなしを受ける運びとなっていた。
いいのかな、と私は内心思っていたけれど、クリスさん曰くは、先方からのお誘いの言葉を『それでは駄目です』と遠慮するのは、却って失礼に当たる場合もあると。
諸々の説明を受けた後で、私は改めてマコトさんにお礼を言いに行った。
件の民宿は、とても綺麗に手入れされている一軒家だった。
リビング、キッチン、お部屋等は全て区画として分けられており、一晩泊まるのに不自由なことは何もない設備。
夕餉を頂いている間、ジブリールさんはずっとテンションが上がりっぱなしだった。
密やかな思い人である相手との再会は、つい数時間前まで抱いていた悩みを吹き飛ばすには、十分だったらしい。
向こうでは食べたこともないお刺身や味噌汁を、ジブリールさんは警戒することなく口へ運び、その度美味しい美味しいと零しながら食べ進めていた。
調理担当はマコトさん。
何でも完璧にこなせそうなクリスさんが調理は不得手、私もそこまでやれる訳ではないということで、日々ご自分の食事を準備しているマコトさんに頼む運びとなったのだ。
マコトさんも『特別美味しいものは作れませんが』と言っていたけれど、この近辺でとれる魚の扱いに関しては一級品。どれも、食べたことがないようでどこか懐かしい、そんな味をしていた。
沖島というこの土地に根付いた味なんだろうな。手際も完璧だった。
食事の後は、シャワーだけ軽く頂いてから、話題はすぐに例の絵のことになった。
どうしてここが分かったのか。
言いにくそうにしているジブリールさんに代わって、クリスさんが口を開いた。
それは私が解読致しました、と。
「クリスティさんが――なるほど、やはり」
「クリス、で結構です。しかし、それは私の誤った選択でもありました。ある小さな謎を解決する代わりに、本当に悩んでいることを教えてくださいと、私の方から条件を付けるように聞きだしてしまったものですから。しかし、マコトさん……」
「ええ、クリスさんの思っている通り。アレは、リルには解けない謎でした――いえ、しばらくは、と言った方が正しいかも分かりませんが」
マコトさんの言葉で思い当たることは幾つかあった。
聖職者という言葉、桜という字に似ている漢字、内陸県にあって漁師というキーワードで思い付くこと――どれも、ただある程度の言葉を話せるだけの外人さんには、難しすぎる謎だ。
でも、そうと分かっていながら仕掛けたのは、どうしてだろう。
時間稼ぎ……でも、何で。
「妹尾さん。どうしてそんなことを、と思っておられますか?」
「えっ? ええ、まぁ……本当に会いたいのなら、ここまで難しい謎にしておくことはなかったな、とは思います。いえ、そう言うとまるでマコトさんが本当は会いたくなかったと言っているようにも聞こえますけど、とてもそうは思えません。先ほど、ジブリールさんと再会した貴方は、困ったようにも、複雑だというようにも見せませんでしたから」
「そうですね。ええ、その通りです。僕は彼女との再会を望んでいました。が、すぐにとはいかなかった。理由は幾つかありますが――はっきり言ってしまうと、僕にその気がなかったから、というのが大きいですね」
「えっ……」
ジブリールさんが目を見開く。
しかし、それも本心ではありながら、本心ではない言葉だったのだろう。
マコトさんはすかさず、ジブリールさんに向き直ってフォローを入れた。
「あくまで当時の話だ。高卒で社会人になったばかりのあの頃、色々あって打ちひしがれてしまったんだけど、一番大きかったのは、両親の経営だった仕事が、その二人ともの急死によって、僕に引き継がれた点だ。僕はそれまで、二人のことは全く手伝ったことがなかったんだ。だから自分なりに時間をかけても上手くいかず、大きすぎる壁に突き当たってしまった。そんな自分の心を癒す為に、幼少からの憧れであったヴェネツィアに発った。ほんの息抜きのつもりだった」
当時を懐かしむように笑いながら、マコトさんは記憶を手繰り寄せる。
それは存外浅い部分にあるのか、いやずっと気にかかっていたのか、思いだそうとする間もなく溢れているようだった。
「そこで出会ったのが、リル、君だった」
「わたし……」
「うん。酷く傷ついていた心には、目には、君はその名前の如く、天使のように映った。全てを包み込むように温かくて、初めて話すと言っていた異国の人間である僕にさえも優しくて、あの数日間はかけがえのないものに思えた」
そこで、マコトさんは「でも」と流れを切る。
「その数日間の間、僕は君に甘えてばかりだった。初めて見るもの、触れるものが目新しく、楽しいものであったことは事実だけれど、君が進んで連れ出してくれることにばかり甘えてしまっている自分にさえ嫌気がさしていたんだ。仕事のこともあったから、君の好意は嬉しくても、それに答えることが出来なかった」
マコトさんは苦笑いしつつ続ける。
「君に『結婚したいね』って言われた時は、素直に嬉しかった。僕だってそう返したかった。でも、君はまだまだ若かったし、僕も向こうで暮らしている訳でもなかったから、それを本気で信じさせる訳にはいかなかった。無垢な子どもの頃に抱いた夢は、そのまま信じて持ち続けることもある。忘れず失わず、大人になって必ず果たすんだって信じ続けることはよくある話だ」
「でも、わたしが……ゆめのこと、話した……マコトのことだって――」
「忘れてた、って言ってたね。あの頃は、その方が良かった。だから、わざとあんなに分かりにくい謎にしたんだ。アレを本気で解こうと思っても、それなりに日本の文化なんかには触れる必要がある。それでも簡単に解けるとも思えない。諦めてもらうには絶好の謎かけだった……」
そこまで一息に話したマコトさんは、小さく息を吐くと、再びジブリールさんの方を見やった。
「これが、あの絵に込めた思いさ。弱くて弱くてどうしようもない、自分じゃ気持ちの踏ん切りも付けられないような人間の、せめてもの――」
「本当に、それだけでしょうか?」
マコトさんの言葉を遮るように、クリスさんが口を挟んだ。
そんな外江さんから、料金は結構だからゆっくりしていけ、と有難いおもてなしを受ける運びとなっていた。
いいのかな、と私は内心思っていたけれど、クリスさん曰くは、先方からのお誘いの言葉を『それでは駄目です』と遠慮するのは、却って失礼に当たる場合もあると。
諸々の説明を受けた後で、私は改めてマコトさんにお礼を言いに行った。
件の民宿は、とても綺麗に手入れされている一軒家だった。
リビング、キッチン、お部屋等は全て区画として分けられており、一晩泊まるのに不自由なことは何もない設備。
夕餉を頂いている間、ジブリールさんはずっとテンションが上がりっぱなしだった。
密やかな思い人である相手との再会は、つい数時間前まで抱いていた悩みを吹き飛ばすには、十分だったらしい。
向こうでは食べたこともないお刺身や味噌汁を、ジブリールさんは警戒することなく口へ運び、その度美味しい美味しいと零しながら食べ進めていた。
調理担当はマコトさん。
何でも完璧にこなせそうなクリスさんが調理は不得手、私もそこまでやれる訳ではないということで、日々ご自分の食事を準備しているマコトさんに頼む運びとなったのだ。
マコトさんも『特別美味しいものは作れませんが』と言っていたけれど、この近辺でとれる魚の扱いに関しては一級品。どれも、食べたことがないようでどこか懐かしい、そんな味をしていた。
沖島というこの土地に根付いた味なんだろうな。手際も完璧だった。
食事の後は、シャワーだけ軽く頂いてから、話題はすぐに例の絵のことになった。
どうしてここが分かったのか。
言いにくそうにしているジブリールさんに代わって、クリスさんが口を開いた。
それは私が解読致しました、と。
「クリスティさんが――なるほど、やはり」
「クリス、で結構です。しかし、それは私の誤った選択でもありました。ある小さな謎を解決する代わりに、本当に悩んでいることを教えてくださいと、私の方から条件を付けるように聞きだしてしまったものですから。しかし、マコトさん……」
「ええ、クリスさんの思っている通り。アレは、リルには解けない謎でした――いえ、しばらくは、と言った方が正しいかも分かりませんが」
マコトさんの言葉で思い当たることは幾つかあった。
聖職者という言葉、桜という字に似ている漢字、内陸県にあって漁師というキーワードで思い付くこと――どれも、ただある程度の言葉を話せるだけの外人さんには、難しすぎる謎だ。
でも、そうと分かっていながら仕掛けたのは、どうしてだろう。
時間稼ぎ……でも、何で。
「妹尾さん。どうしてそんなことを、と思っておられますか?」
「えっ? ええ、まぁ……本当に会いたいのなら、ここまで難しい謎にしておくことはなかったな、とは思います。いえ、そう言うとまるでマコトさんが本当は会いたくなかったと言っているようにも聞こえますけど、とてもそうは思えません。先ほど、ジブリールさんと再会した貴方は、困ったようにも、複雑だというようにも見せませんでしたから」
「そうですね。ええ、その通りです。僕は彼女との再会を望んでいました。が、すぐにとはいかなかった。理由は幾つかありますが――はっきり言ってしまうと、僕にその気がなかったから、というのが大きいですね」
「えっ……」
ジブリールさんが目を見開く。
しかし、それも本心ではありながら、本心ではない言葉だったのだろう。
マコトさんはすかさず、ジブリールさんに向き直ってフォローを入れた。
「あくまで当時の話だ。高卒で社会人になったばかりのあの頃、色々あって打ちひしがれてしまったんだけど、一番大きかったのは、両親の経営だった仕事が、その二人ともの急死によって、僕に引き継がれた点だ。僕はそれまで、二人のことは全く手伝ったことがなかったんだ。だから自分なりに時間をかけても上手くいかず、大きすぎる壁に突き当たってしまった。そんな自分の心を癒す為に、幼少からの憧れであったヴェネツィアに発った。ほんの息抜きのつもりだった」
当時を懐かしむように笑いながら、マコトさんは記憶を手繰り寄せる。
それは存外浅い部分にあるのか、いやずっと気にかかっていたのか、思いだそうとする間もなく溢れているようだった。
「そこで出会ったのが、リル、君だった」
「わたし……」
「うん。酷く傷ついていた心には、目には、君はその名前の如く、天使のように映った。全てを包み込むように温かくて、初めて話すと言っていた異国の人間である僕にさえも優しくて、あの数日間はかけがえのないものに思えた」
そこで、マコトさんは「でも」と流れを切る。
「その数日間の間、僕は君に甘えてばかりだった。初めて見るもの、触れるものが目新しく、楽しいものであったことは事実だけれど、君が進んで連れ出してくれることにばかり甘えてしまっている自分にさえ嫌気がさしていたんだ。仕事のこともあったから、君の好意は嬉しくても、それに答えることが出来なかった」
マコトさんは苦笑いしつつ続ける。
「君に『結婚したいね』って言われた時は、素直に嬉しかった。僕だってそう返したかった。でも、君はまだまだ若かったし、僕も向こうで暮らしている訳でもなかったから、それを本気で信じさせる訳にはいかなかった。無垢な子どもの頃に抱いた夢は、そのまま信じて持ち続けることもある。忘れず失わず、大人になって必ず果たすんだって信じ続けることはよくある話だ」
「でも、わたしが……ゆめのこと、話した……マコトのことだって――」
「忘れてた、って言ってたね。あの頃は、その方が良かった。だから、わざとあんなに分かりにくい謎にしたんだ。アレを本気で解こうと思っても、それなりに日本の文化なんかには触れる必要がある。それでも簡単に解けるとも思えない。諦めてもらうには絶好の謎かけだった……」
そこまで一息に話したマコトさんは、小さく息を吐くと、再びジブリールさんの方を見やった。
「これが、あの絵に込めた思いさ。弱くて弱くてどうしようもない、自分じゃ気持ちの踏ん切りも付けられないような人間の、せめてもの――」
「本当に、それだけでしょうか?」
マコトさんの言葉を遮るように、クリスさんが口を挟んだ。
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