琵琶のほとりのクリスティ

石田ノドカ

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第3章 『水とともに生きる:前編』

第11話 お誘い

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 清掃も終えた私は、あとはもう帰るだけ。
 けれども今日のような日には、私はしばらくこのフロアに残ることがある。
 目的の大半はクリスさんの勉強会だけれど、今日はその大半ではない部分。
 ただの一人勉強だ。大学の講義を復習する時間に宛てている。

 クリスさんはその間、基本は帳簿作業をしているのだけれど、その時だけ、クリスさんは眼鏡をかけている。
 雰囲気がまたガラリと変わって、その凛々しい横顔に、どこか別人のようにも感じる時がある。

 カチ、コチ、カチ、コチ。
 サラサラ、サラリ。

 時計の針が進む音と、鉛筆がノートを滑る音だけが木霊する。
 外の方からは、お堀の畔を歩く人々の賑やかな声が聞こえて来る。
 若い声は観光客かな。ゆっくりで落ち着いた声はご老人の夫婦かな。
 そんなことを考えながら時間を過ごすのが、私は大好きで――って、勉強しなきゃ、勉強。

「ふふっ。雫さん、少し休憩を入れながらでも良いんじゃないですか? まだ一回生になったばかりですし、そう根を詰めることもないでしょうから」

「それもそうなんですけど……でも休むなら休むで、やっぱり外の様子を想像するのが好きなんですよね」

「本当、若者にしては珍しい時間の使い方ですね、貴女は。そういう時間を好ましいと思えるのはとてもいいことですよ」

「ブレンドのいい香りに包まれるここだからですよ。自宅じゃそんなこと考えたこともありません」

「あらあら、それは嬉しいですね」

 汐里さんはふわりと笑った。
 眼鏡をかけて微笑む様子も、これまた新鮮で良いものだ。

「あ、そう言えば――」

 クリスさんが何か思い出したように言った。

「どうされました?」

 クリスさんは眼鏡を外しながら、

「近々、ブレンドに使用している豆を受け取りに行く予定があるのですが、よろしければ雫さんもご一緒しませんか?」

 そんなお誘い。
 当然、私が首を横に振る筈はなかった。
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