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第3章 『水とともに生きる:前編』
第4話 元気でやっとれよ
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お店の奥の方から顔を出したのは、武雄さん。
立派な甚平に身を包んでいる。
「あらあら。あなたが遅いからじゃありません?」
「茶葉の厳選がキリ悪かったんや」
武雄さんは頭を掻きながら、こちらへと向かってくる。
ばっちり目が合ってしまった瞬間、私は弾かれたように頭を下げた。
「た、武雄さん…! 以前はお世話になりました!」
「おう、嬢ちゃん。その後はうまくやっとるか?」
「えっ? えっと、はい、とっても!」
「そうか。まぁ納まるべきとこに納まったんやったら、それでええ。で、今日は何の用事で来たんや? 汐里のお使いか?」
「い、いえ、えっと……その件でお世話になってしまったお礼、じゃないですけど、お買い物をと思いまして……」
「その件? あぁ、あれか。別に気にせんでよかったのに」
「そういう訳には――」
「あれは俺が勝手にやったことや。子どもは素直に甘えとったらええねん」
そんな言い方をする武雄さん。
思わず笑い出しそうになるのを必死に誤魔化したけれど、武雄さんは目の端でそれを捉えたようで、鋭い視線を向けて来る。
「あっ、えっと、花音さんも先ほど、全く同じことを仰られていたので、つい」
「何やあいつ、自分かてまだまだガキンチョの癖に、一端の口叩くようになったなぁ」
「ふふっ。誰の影響でしょうね?」
「沙織は黙っとれ」
「あらあら。雫ちゃん、また話そうね。ほな」
武雄さんの言葉をひらりと躱した沙織さんが、優しく微笑んで接客へと戻ってゆく。
私も頭を下げて言葉を返すと、途端に静かになってしまった。
武雄さんと二人……あの人ほどじゃないけど、やっぱりあの一件があるからか、どうにも緊張してしまう。
「なぁ嬢ちゃん」
「は、はいっ!」
不意に言葉を掛けられて、つい声が裏返ってしまった。
「クリスんとこで働くんは、どうや?」
「えっ? ど、どう、とは……?」
「嫌なこと考える時はあるか?」
武雄さんの言葉に、私はあの日、クリスさんに言われたことを思い出した。
『気にしてしまうから辛いのなら、他に気になることを作ってあげればいいんです』
そう言っていた。
気にしてしまうから……今の私は、どうだろう?
善利さんの依頼に協力した時、私は確かにあの時のことを思い出していた。
けれど、それもすぐにどこかへ――クリスさんの一声があったからではあるけれども、それでマイナスにばかり考える、ということも無かった。
他に気になること。
そうか。
クリスさんが私に、もう淡海にいなければならない存在、と言ってくれたように、私の中でも、淡海はそれだけ大きなものになっていたんだ。
ただバイトだから、仕事だからじゃない。
あそこは私にとって特別で、ここにいたい、と自然に思えるような場所なんだ。
「……お仕事が大変な日はありますけど、苦しいことはありません。嫌なことを考えることも、あまりなくなりました。私が強くなったからではなく、クリスさんが居てくれるからではありますけど……でも、少なくとも、嫌な方にばかり考えること、それに溜息を吐くこともなくなりました。あの日、淡海の前を通ったのは偶然だったけど、その偶然に出会えて良かった……今は、心からそう言えます。言って、笑うことが出来ます。クリスさん、それから武雄さんのおかげです。あの時、花音さんの気持ちに甘えたままだったら、きっとあそこで働くことも、こうしてまたここへ足を運ぶようなこともなかった――誰かの気持ちに甘えたままの後ろめたさから、自ずと遠ざかってしまっていたかもしれません」
特別、頭の中で言葉を考えることもなく、私は気が付けばそう言っていた。
武雄さんの目を見て話していると、自然とそんなことを口走ってしまっていた。
「ありがとうございました、武雄さん。今、私がこうして笑っていられるのは、武雄さんのおかげです」
我ながら、ぎこちないとは思うけれど。
精一杯、無理にでも笑って、私は武雄さんに頭を下げた。
「ふんっ。人前でみっともなくおどおどしとったガキンチョが、いっちょまえの口叩くようになりよって」
「それも、武雄さんのおかげです」
「アホ言うな気色悪い。やっぱりさっき言うたことは取り消しや。たっぷり買おて行かへんと家帰したらん」
「勿論です! その為に四月のバイトを頑張ったんですから!」
「ふんっ。好きなだけ選んでいけや、俺は仕事戻るさかい」
「はいっ! また『淡海』にもお越しくださいね」
「ん、ほなそのうちな。それまで元気でやっとれよ」
不愛想に手を振ると、武雄さんはお店の奥へと戻って行った。
やっぱり、クリスさんの言う通りいい人だ。とっても。
気付かせてくれたのはクリスさん。だけど、それでもと臆していた今までの私でもなくなってる。
仕事を通して、色んな人と話すことに慣れて来たのかな。
……なんて思ったのはいいけど、そう言えばこれからが本番だったんだ。
話し辛い、話しかけ辛い、接したくない、の最たる人が――
「遅なってすんません。北村陸也です」
――来てしまったではありませんか。
立派な甚平に身を包んでいる。
「あらあら。あなたが遅いからじゃありません?」
「茶葉の厳選がキリ悪かったんや」
武雄さんは頭を掻きながら、こちらへと向かってくる。
ばっちり目が合ってしまった瞬間、私は弾かれたように頭を下げた。
「た、武雄さん…! 以前はお世話になりました!」
「おう、嬢ちゃん。その後はうまくやっとるか?」
「えっ? えっと、はい、とっても!」
「そうか。まぁ納まるべきとこに納まったんやったら、それでええ。で、今日は何の用事で来たんや? 汐里のお使いか?」
「い、いえ、えっと……その件でお世話になってしまったお礼、じゃないですけど、お買い物をと思いまして……」
「その件? あぁ、あれか。別に気にせんでよかったのに」
「そういう訳には――」
「あれは俺が勝手にやったことや。子どもは素直に甘えとったらええねん」
そんな言い方をする武雄さん。
思わず笑い出しそうになるのを必死に誤魔化したけれど、武雄さんは目の端でそれを捉えたようで、鋭い視線を向けて来る。
「あっ、えっと、花音さんも先ほど、全く同じことを仰られていたので、つい」
「何やあいつ、自分かてまだまだガキンチョの癖に、一端の口叩くようになったなぁ」
「ふふっ。誰の影響でしょうね?」
「沙織は黙っとれ」
「あらあら。雫ちゃん、また話そうね。ほな」
武雄さんの言葉をひらりと躱した沙織さんが、優しく微笑んで接客へと戻ってゆく。
私も頭を下げて言葉を返すと、途端に静かになってしまった。
武雄さんと二人……あの人ほどじゃないけど、やっぱりあの一件があるからか、どうにも緊張してしまう。
「なぁ嬢ちゃん」
「は、はいっ!」
不意に言葉を掛けられて、つい声が裏返ってしまった。
「クリスんとこで働くんは、どうや?」
「えっ? ど、どう、とは……?」
「嫌なこと考える時はあるか?」
武雄さんの言葉に、私はあの日、クリスさんに言われたことを思い出した。
『気にしてしまうから辛いのなら、他に気になることを作ってあげればいいんです』
そう言っていた。
気にしてしまうから……今の私は、どうだろう?
善利さんの依頼に協力した時、私は確かにあの時のことを思い出していた。
けれど、それもすぐにどこかへ――クリスさんの一声があったからではあるけれども、それでマイナスにばかり考える、ということも無かった。
他に気になること。
そうか。
クリスさんが私に、もう淡海にいなければならない存在、と言ってくれたように、私の中でも、淡海はそれだけ大きなものになっていたんだ。
ただバイトだから、仕事だからじゃない。
あそこは私にとって特別で、ここにいたい、と自然に思えるような場所なんだ。
「……お仕事が大変な日はありますけど、苦しいことはありません。嫌なことを考えることも、あまりなくなりました。私が強くなったからではなく、クリスさんが居てくれるからではありますけど……でも、少なくとも、嫌な方にばかり考えること、それに溜息を吐くこともなくなりました。あの日、淡海の前を通ったのは偶然だったけど、その偶然に出会えて良かった……今は、心からそう言えます。言って、笑うことが出来ます。クリスさん、それから武雄さんのおかげです。あの時、花音さんの気持ちに甘えたままだったら、きっとあそこで働くことも、こうしてまたここへ足を運ぶようなこともなかった――誰かの気持ちに甘えたままの後ろめたさから、自ずと遠ざかってしまっていたかもしれません」
特別、頭の中で言葉を考えることもなく、私は気が付けばそう言っていた。
武雄さんの目を見て話していると、自然とそんなことを口走ってしまっていた。
「ありがとうございました、武雄さん。今、私がこうして笑っていられるのは、武雄さんのおかげです」
我ながら、ぎこちないとは思うけれど。
精一杯、無理にでも笑って、私は武雄さんに頭を下げた。
「ふんっ。人前でみっともなくおどおどしとったガキンチョが、いっちょまえの口叩くようになりよって」
「それも、武雄さんのおかげです」
「アホ言うな気色悪い。やっぱりさっき言うたことは取り消しや。たっぷり買おて行かへんと家帰したらん」
「勿論です! その為に四月のバイトを頑張ったんですから!」
「ふんっ。好きなだけ選んでいけや、俺は仕事戻るさかい」
「はいっ! また『淡海』にもお越しくださいね」
「ん、ほなそのうちな。それまで元気でやっとれよ」
不愛想に手を振ると、武雄さんはお店の奥へと戻って行った。
やっぱり、クリスさんの言う通りいい人だ。とっても。
気付かせてくれたのはクリスさん。だけど、それでもと臆していた今までの私でもなくなってる。
仕事を通して、色んな人と話すことに慣れて来たのかな。
……なんて思ったのはいいけど、そう言えばこれからが本番だったんだ。
話し辛い、話しかけ辛い、接したくない、の最たる人が――
「遅なってすんません。北村陸也です」
――来てしまったではありませんか。
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