47 / 76
第3章 『水とともに生きる:前編』
第4話 元気でやっとれよ
しおりを挟む
お店の奥の方から顔を出したのは、武雄さん。
立派な甚平に身を包んでいる。
「あらあら。あなたが遅いからじゃありません?」
「茶葉の厳選がキリ悪かったんや」
武雄さんは頭を掻きながら、こちらへと向かってくる。
ばっちり目が合ってしまった瞬間、私は弾かれたように頭を下げた。
「た、武雄さん…! 以前はお世話になりました!」
「おう、嬢ちゃん。その後はうまくやっとるか?」
「えっ? えっと、はい、とっても!」
「そうか。まぁ納まるべきとこに納まったんやったら、それでええ。で、今日は何の用事で来たんや? 汐里のお使いか?」
「い、いえ、えっと……その件でお世話になってしまったお礼、じゃないですけど、お買い物をと思いまして……」
「その件? あぁ、あれか。別に気にせんでよかったのに」
「そういう訳には――」
「あれは俺が勝手にやったことや。子どもは素直に甘えとったらええねん」
そんな言い方をする武雄さん。
思わず笑い出しそうになるのを必死に誤魔化したけれど、武雄さんは目の端でそれを捉えたようで、鋭い視線を向けて来る。
「あっ、えっと、花音さんも先ほど、全く同じことを仰られていたので、つい」
「何やあいつ、自分かてまだまだガキンチョの癖に、一端の口叩くようになったなぁ」
「ふふっ。誰の影響でしょうね?」
「沙織は黙っとれ」
「あらあら。雫ちゃん、また話そうね。ほな」
武雄さんの言葉をひらりと躱した沙織さんが、優しく微笑んで接客へと戻ってゆく。
私も頭を下げて言葉を返すと、途端に静かになってしまった。
武雄さんと二人……あの人ほどじゃないけど、やっぱりあの一件があるからか、どうにも緊張してしまう。
「なぁ嬢ちゃん」
「は、はいっ!」
不意に言葉を掛けられて、つい声が裏返ってしまった。
「クリスんとこで働くんは、どうや?」
「えっ? ど、どう、とは……?」
「嫌なこと考える時はあるか?」
武雄さんの言葉に、私はあの日、クリスさんに言われたことを思い出した。
『気にしてしまうから辛いのなら、他に気になることを作ってあげればいいんです』
そう言っていた。
気にしてしまうから……今の私は、どうだろう?
善利さんの依頼に協力した時、私は確かにあの時のことを思い出していた。
けれど、それもすぐにどこかへ――クリスさんの一声があったからではあるけれども、それでマイナスにばかり考える、ということも無かった。
他に気になること。
そうか。
クリスさんが私に、もう淡海にいなければならない存在、と言ってくれたように、私の中でも、淡海はそれだけ大きなものになっていたんだ。
ただバイトだから、仕事だからじゃない。
あそこは私にとって特別で、ここにいたい、と自然に思えるような場所なんだ。
「……お仕事が大変な日はありますけど、苦しいことはありません。嫌なことを考えることも、あまりなくなりました。私が強くなったからではなく、クリスさんが居てくれるからではありますけど……でも、少なくとも、嫌な方にばかり考えること、それに溜息を吐くこともなくなりました。あの日、淡海の前を通ったのは偶然だったけど、その偶然に出会えて良かった……今は、心からそう言えます。言って、笑うことが出来ます。クリスさん、それから武雄さんのおかげです。あの時、花音さんの気持ちに甘えたままだったら、きっとあそこで働くことも、こうしてまたここへ足を運ぶようなこともなかった――誰かの気持ちに甘えたままの後ろめたさから、自ずと遠ざかってしまっていたかもしれません」
特別、頭の中で言葉を考えることもなく、私は気が付けばそう言っていた。
武雄さんの目を見て話していると、自然とそんなことを口走ってしまっていた。
「ありがとうございました、武雄さん。今、私がこうして笑っていられるのは、武雄さんのおかげです」
我ながら、ぎこちないとは思うけれど。
精一杯、無理にでも笑って、私は武雄さんに頭を下げた。
「ふんっ。人前でみっともなくおどおどしとったガキンチョが、いっちょまえの口叩くようになりよって」
「それも、武雄さんのおかげです」
「アホ言うな気色悪い。やっぱりさっき言うたことは取り消しや。たっぷり買おて行かへんと家帰したらん」
「勿論です! その為に四月のバイトを頑張ったんですから!」
「ふんっ。好きなだけ選んでいけや、俺は仕事戻るさかい」
「はいっ! また『淡海』にもお越しくださいね」
「ん、ほなそのうちな。それまで元気でやっとれよ」
不愛想に手を振ると、武雄さんはお店の奥へと戻って行った。
やっぱり、クリスさんの言う通りいい人だ。とっても。
気付かせてくれたのはクリスさん。だけど、それでもと臆していた今までの私でもなくなってる。
仕事を通して、色んな人と話すことに慣れて来たのかな。
……なんて思ったのはいいけど、そう言えばこれからが本番だったんだ。
話し辛い、話しかけ辛い、接したくない、の最たる人が――
「遅なってすんません。北村陸也です」
――来てしまったではありませんか。
立派な甚平に身を包んでいる。
「あらあら。あなたが遅いからじゃありません?」
「茶葉の厳選がキリ悪かったんや」
武雄さんは頭を掻きながら、こちらへと向かってくる。
ばっちり目が合ってしまった瞬間、私は弾かれたように頭を下げた。
「た、武雄さん…! 以前はお世話になりました!」
「おう、嬢ちゃん。その後はうまくやっとるか?」
「えっ? えっと、はい、とっても!」
「そうか。まぁ納まるべきとこに納まったんやったら、それでええ。で、今日は何の用事で来たんや? 汐里のお使いか?」
「い、いえ、えっと……その件でお世話になってしまったお礼、じゃないですけど、お買い物をと思いまして……」
「その件? あぁ、あれか。別に気にせんでよかったのに」
「そういう訳には――」
「あれは俺が勝手にやったことや。子どもは素直に甘えとったらええねん」
そんな言い方をする武雄さん。
思わず笑い出しそうになるのを必死に誤魔化したけれど、武雄さんは目の端でそれを捉えたようで、鋭い視線を向けて来る。
「あっ、えっと、花音さんも先ほど、全く同じことを仰られていたので、つい」
「何やあいつ、自分かてまだまだガキンチョの癖に、一端の口叩くようになったなぁ」
「ふふっ。誰の影響でしょうね?」
「沙織は黙っとれ」
「あらあら。雫ちゃん、また話そうね。ほな」
武雄さんの言葉をひらりと躱した沙織さんが、優しく微笑んで接客へと戻ってゆく。
私も頭を下げて言葉を返すと、途端に静かになってしまった。
武雄さんと二人……あの人ほどじゃないけど、やっぱりあの一件があるからか、どうにも緊張してしまう。
「なぁ嬢ちゃん」
「は、はいっ!」
不意に言葉を掛けられて、つい声が裏返ってしまった。
「クリスんとこで働くんは、どうや?」
「えっ? ど、どう、とは……?」
「嫌なこと考える時はあるか?」
武雄さんの言葉に、私はあの日、クリスさんに言われたことを思い出した。
『気にしてしまうから辛いのなら、他に気になることを作ってあげればいいんです』
そう言っていた。
気にしてしまうから……今の私は、どうだろう?
善利さんの依頼に協力した時、私は確かにあの時のことを思い出していた。
けれど、それもすぐにどこかへ――クリスさんの一声があったからではあるけれども、それでマイナスにばかり考える、ということも無かった。
他に気になること。
そうか。
クリスさんが私に、もう淡海にいなければならない存在、と言ってくれたように、私の中でも、淡海はそれだけ大きなものになっていたんだ。
ただバイトだから、仕事だからじゃない。
あそこは私にとって特別で、ここにいたい、と自然に思えるような場所なんだ。
「……お仕事が大変な日はありますけど、苦しいことはありません。嫌なことを考えることも、あまりなくなりました。私が強くなったからではなく、クリスさんが居てくれるからではありますけど……でも、少なくとも、嫌な方にばかり考えること、それに溜息を吐くこともなくなりました。あの日、淡海の前を通ったのは偶然だったけど、その偶然に出会えて良かった……今は、心からそう言えます。言って、笑うことが出来ます。クリスさん、それから武雄さんのおかげです。あの時、花音さんの気持ちに甘えたままだったら、きっとあそこで働くことも、こうしてまたここへ足を運ぶようなこともなかった――誰かの気持ちに甘えたままの後ろめたさから、自ずと遠ざかってしまっていたかもしれません」
特別、頭の中で言葉を考えることもなく、私は気が付けばそう言っていた。
武雄さんの目を見て話していると、自然とそんなことを口走ってしまっていた。
「ありがとうございました、武雄さん。今、私がこうして笑っていられるのは、武雄さんのおかげです」
我ながら、ぎこちないとは思うけれど。
精一杯、無理にでも笑って、私は武雄さんに頭を下げた。
「ふんっ。人前でみっともなくおどおどしとったガキンチョが、いっちょまえの口叩くようになりよって」
「それも、武雄さんのおかげです」
「アホ言うな気色悪い。やっぱりさっき言うたことは取り消しや。たっぷり買おて行かへんと家帰したらん」
「勿論です! その為に四月のバイトを頑張ったんですから!」
「ふんっ。好きなだけ選んでいけや、俺は仕事戻るさかい」
「はいっ! また『淡海』にもお越しくださいね」
「ん、ほなそのうちな。それまで元気でやっとれよ」
不愛想に手を振ると、武雄さんはお店の奥へと戻って行った。
やっぱり、クリスさんの言う通りいい人だ。とっても。
気付かせてくれたのはクリスさん。だけど、それでもと臆していた今までの私でもなくなってる。
仕事を通して、色んな人と話すことに慣れて来たのかな。
……なんて思ったのはいいけど、そう言えばこれからが本番だったんだ。
話し辛い、話しかけ辛い、接したくない、の最たる人が――
「遅なってすんません。北村陸也です」
――来てしまったではありませんか。
0
お気に入りに追加
14
あなたにおすすめの小説
薬師シェンリュと見習い少女メイリンの後宮事件簿
安珠あんこ
キャラ文芸
大国ルーの後宮の中にある診療所を営む宦官の薬師シェンリュと、見習い少女のメイリンは、後宮の内外で起こる様々な事件を、薬師の知識を使って解決していきます。
しかし、シェンリュには裏の顔があって──。
彼が極秘に進めている計画とは?
リモート刑事 笹本翔
雨垂 一滴
ミステリー
『リモート刑事 笹本翔』は、過去のトラウマと戦う一人の刑事が、リモート捜査で事件を解決していく、刑事ドラマです。
主人公の笹本翔は、かつて警察組織の中でトップクラスの捜査官でしたが、ある事件で仲間を失い、自身も重傷を負ったことで、外出恐怖症(アゴラフォビア)に陥り、現場に出ることができなくなってしまいます。
それでも、彼の卓越した分析力と冷静な判断力は衰えず、リモートで捜査指示を出しながら、次々と難事件を解決していきます。
物語の鍵を握るのは、翔の若き相棒・竹内優斗。熱血漢で行動力に満ちた優斗と、過去の傷を抱えながらも冷静に捜査を指揮する翔。二人の対照的なキャラクターが織りなすバディストーリーです。
翔は果たして過去のトラウマを克服し、再び現場に立つことができるのか?
翔と優斗が数々の難事件に挑戦します!
伏線回収の夏
影山姫子
ミステリー
ある年の夏。俺は15年ぶりにT県N市にある古い屋敷を訪れた。某大学の芸術学部でクラスメイトだった岡滝利奈の招きだった。かつての同級生の不審死。消えた犯人。屋敷のアトリエにナイフで刻まれた無数のXの傷。利奈はそのなぞを、ミステリー作家であるこの俺に推理してほしいというのだ。俺、利奈、桐山優也、十文字省吾、新山亜沙美、須藤真利亜の六人は、大学時代にこの屋敷で共に芸術の創作に打ち込んだ仲間だった。グループの中に犯人はいるのか? 脳裏によみがえる青春時代の熱気、裏切り、そして別れ。懐かしくも苦い思い出をたどりながら事件の真相に近づく俺に、衝撃のラストが待ち受けていた。
《あなたはすべての伏線を回収することができますか?》
紙山文具店の謎解きな日常
夏目もか
キャラ文芸
筆野綴《ふでのつづり》二十三歳は知覚野《ちかくの》商事・総務部社員だ。
入社三日目、社内で必要な文具の買い出しを頼まれて行った紙山文具店で、文具を異常なくらいに愛するイケメンだけど変り者の店主・紙山文仁《かみやまふみひと》二十九歳と出逢う。
紙山は五年前に紙山文具の店主であった祖父と店番をしていた母親を通り魔によって殺されており、未だに見つからない犯人を捜す為、前職であった探偵の真似事をしながら今も真犯人を探していた。
これは二人が出逢った事で起きる、文具にまつわるミステリーである。
みちのく銀山温泉
沖田弥子
キャラ文芸
高校生の花野優香は山形の銀山温泉へやってきた。親戚の営む温泉宿「花湯屋」でお手伝いをしながら地元の高校へ通うため。ところが駅に現れた圭史郎に花湯屋へ連れて行ってもらうと、子鬼たちを発見。花野家当主の直系である優香は、あやかし使いの末裔であると聞かされる。さらに若女将を任されて、神使の圭史郎と共に花湯屋であやかしのお客様を迎えることになった。高校生若女将があやかしたちと出会い、成長する物語。◆後半に優香が前の彼氏について語るエピソードがありますが、私の実体験を交えています。◆第2回キャラ文芸大賞にて、大賞を受賞いたしました。応援ありがとうございました!
2019年7月11日、書籍化されました。
検索エンジンは犯人を知っている
黒幕横丁
キャラ文芸
FM上箕島でDJをやっている如月神那は、自作で自分専用の検索エンジン【テリトリー】を持っていた。ソレの凄い性能を知っている幼馴染で刑事である長月史はある日、一つの事件を持ってきて……。
【テリトリー】を駆使して暴く、DJ安楽椅子探偵の推理ショー的な話。
カフェ・シュガーパインの事件簿
山いい奈
ミステリー
大阪長居の住宅街に佇むカフェ・シュガーパイン。
個性豊かな兄姉弟が営むこのカフェには穏やかな時間が流れる。
だが兄姉弟それぞれの持ち前の好奇心やちょっとした特殊能力が、巻き込まれる事件を解決に導くのだった。
一人じゃないぼく達
あおい夜
キャラ文芸
ぼくの父親は黒い羽根が生えている烏天狗だ。
ぼくの父親は寂しがりやでとっても優しくてとっても美人な可愛い人?妖怪?神様?だ。
大きな山とその周辺がぼくの父親の縄張りで神様として崇められている。
父親の近くには誰も居ない。
参拝に来る人は居るが、他のモノは誰も居ない。
父親には家族の様に親しい者達も居たがある事があって、みんなを拒絶している。
ある事があって寂しがりやな父親は一人になった。
ぼくは人だったけどある事のせいで人では無くなってしまった。
ある事のせいでぼくの肉体年齢は十歳で止まってしまった。
ぼくを見る人達の目は気味の悪い化け物を見ている様にぼくを見る。
ぼくは人に拒絶されて一人ボッチだった。
ぼくがいつも通り一人で居るとその日、少し遠くの方まで散歩していた父親がぼくを見つけた。
その日、寂しがりやな父親が一人ボッチのぼくを拐っていってくれた。
ぼくはもう一人じゃない。
寂しがりやな父親にもぼくが居る。
ぼくは一人ボッチのぼくを家族にしてくれて温もりをくれた父親に恩返しする為、父親の家族みたいな者達と父親の仲を戻してあげようと思うんだ。
アヤカシ達の力や解釈はオリジナルですのでご了承下さい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる