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第3章 『水とともに生きる:前編』
第2話 びわ
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そういう訳で。
どういう訳で?
あの後、結局固まってしまった私に、後々香帆さんから伝えられた内容とは。
クリスさんに謝罪、そして注文のし直しをすることは叶った、香帆さんのお兄さん――陸也さんはその後ずっと、私には未だ直接謝れていないことをずっと気にかけているらしい。
いいから喫茶店に行けば、という香帆さんの進言に、あれだけ騒ぎを起こした自分がそう何度も足を運ぶのも悪い、と。その内容を香帆さんがクリスさんに相談したところ、クリスさんは問題ないと返したみたいなんだけど、陸也さんは渋り、クリスさんも『ならあとは雫さん次第』と返したのだそうだ。
そこで白羽の矢が立ったのが、私と同じ大学に通う、妹の香帆さん。
私が嫌じゃない形で、私に会って謝罪をしたい、と。それ自体は別に構わないと言えば構わないんだけど、やっぱり怖さはあった。
だから私も、香帆さんの話にすぐには頷けなかったし、渋りもした。
けれど、香帆さんがアルバイトをしているお茶屋さん――『びわ』という名前のそのお店は、なんとあの武雄さんが仕切っているところだ。
ようやくつい先日、四月分のバイト代が入ったことだし、武雄さんへのお礼もまだだった。そこに香帆さんもいるのなら、まぁ……ということで、話がまとまった。
そして今日、例の陸也さんと会うんだけど……怖い、正直。
悪い人じゃなかった、というのは香帆さんから、そして後日談としてクリスさんから話も聞いたし、香帆さんも話せば凄く楽しくて優しい方だから、大丈夫だとは思いたいけど。
あんなことがあったし、何よりクリスさんの胸倉掴んでたし。
いい人なのはいい人なんかも知れないけど、ちょっと野蛮なのかな、喧嘩っ早い人なのかな、という本能的な嫌悪感が邪魔をして、どうにも前向きな姿勢にはなれない。
武雄さんの経営するお茶屋さん『びわ』は大きなお店で、持ち帰り用の茶葉やお茶菓子の販売を中心としつつ、その場でお茶を注文し楽しめる個室もいくつか併設しているらしく、今日はそこへと赴く予定。
香帆さんが出来るだけ取り持ってくれる、という話だけど……不安は大いにある。
「『びわ』……ここか」
クリスさんの説明通り、お堀を挟んだ反対側を進んだ先の、大きな桜の木がある建物に『びわ』と平仮名で書いてあった。
看板も、店構えも随分と古い。歴史あるお茶屋さんなんだ。
「あっ、雫ちゃんやんか! 久しぶりやな」
店先でお客さんの相手をしていた花音さんが、声を掛けて来た。
馴染みなのか、老夫婦らしいそのお客さんに、手を振って挨拶をしている。
「お疲れ様です、花音さん。お久しぶりです。それで、今日は――」
「聞いとるで。香帆んとこのあのお兄さんと、何や話があるんやろ?」
「です……うぅ、ねえ花音さん、やっぱり今からでも何とかなりませんかね、二人きりっていうの…! 私無理ですって、あの方と個室なんて!」
「あっはは! えらいはっきり言うなぁ、おもろ!」
「笑いごとじゃないですって! 見てたでしょ、花音さんも。クリスさんの胸倉掴んで悪びれないどころか、花音さんにまで突っかかっていって……って、あれ……? そう言えば、あの時はあの二人のこと、花音さんも知りませんでしたよね」
ひと月前のあの日、花音さんは確かに『どこのもんか知らんけど』と言っていた。
それが今では『香帆』だなんて。なんで?
「あぁ、それな。後から知ったんやけど、あん時にもう香帆のバイト採用は決まっとったらしくてな。で、後日すぐに初出勤日やったもんやから、そん時またえらい謝られたわ」
「そ、そうだったんですね……」
世間というやつは、こうも狭いものなのか。
一地域だけで過ごしていると、やっぱりこういうこともあるんだな。
「席は予約して取ってあるし、雫ちゃんだけでも先に入っとく?」
と、花音さん。
踵を返したその背中を、私は慌てて引き止める。
「えっと、武雄さんは今どちらに……?」
「お父ちゃん? 多分、裏の方で色々手入れしとると思うけど――どしたん?」
首を傾げる花音さんに、私は手短に事情を話した。
あの日、花音さんたちがお店を出ていかれた後、クリスさんの進言があったこと。
そして、武雄さんの気遣いがあったこと。
今日私が香帆さんの話を呑んだのは、むしろその為と言っても過言ではない。
せっかくの機会だから、ちゃんとお礼をして、何か美味しいものでもお買い物しないと、と。
「あはは、そんなこと考えとったんや。何やクリスさんも雫ちゃんも、律儀なことやなぁ」
「律儀って、そんな……」
「別にええのにそんなこと。お父ちゃんだって、そない気にしてへんと思うで? って言うか、あの人が勝手にかっこつけだだけやし。まだまだ可愛い大学生の女の子なんか、大人の優しさにはうんと甘えとったらええんや」
花音さんは快活に笑ってそう言った。
「まぁでも、そっか。なら呼んでくるわ。ちょっとぐらい手空けても大丈夫やろうし。それに――」
と、言いかけて花音さんは首を振った。
「え、何ですか?」
「うんにゃ、何でも。とにかく待っとって! 何やったら店ん中でも見とってええし」
「えっ、そんな…!」
思わず伸ばした手は、虚しく空を掴んでしまった。
パタパタと駆けてゆくその背中を見つめながら、私は小さく「分かりました……」と零し、店内へと足を運んだ。
どういう訳で?
あの後、結局固まってしまった私に、後々香帆さんから伝えられた内容とは。
クリスさんに謝罪、そして注文のし直しをすることは叶った、香帆さんのお兄さん――陸也さんはその後ずっと、私には未だ直接謝れていないことをずっと気にかけているらしい。
いいから喫茶店に行けば、という香帆さんの進言に、あれだけ騒ぎを起こした自分がそう何度も足を運ぶのも悪い、と。その内容を香帆さんがクリスさんに相談したところ、クリスさんは問題ないと返したみたいなんだけど、陸也さんは渋り、クリスさんも『ならあとは雫さん次第』と返したのだそうだ。
そこで白羽の矢が立ったのが、私と同じ大学に通う、妹の香帆さん。
私が嫌じゃない形で、私に会って謝罪をしたい、と。それ自体は別に構わないと言えば構わないんだけど、やっぱり怖さはあった。
だから私も、香帆さんの話にすぐには頷けなかったし、渋りもした。
けれど、香帆さんがアルバイトをしているお茶屋さん――『びわ』という名前のそのお店は、なんとあの武雄さんが仕切っているところだ。
ようやくつい先日、四月分のバイト代が入ったことだし、武雄さんへのお礼もまだだった。そこに香帆さんもいるのなら、まぁ……ということで、話がまとまった。
そして今日、例の陸也さんと会うんだけど……怖い、正直。
悪い人じゃなかった、というのは香帆さんから、そして後日談としてクリスさんから話も聞いたし、香帆さんも話せば凄く楽しくて優しい方だから、大丈夫だとは思いたいけど。
あんなことがあったし、何よりクリスさんの胸倉掴んでたし。
いい人なのはいい人なんかも知れないけど、ちょっと野蛮なのかな、喧嘩っ早い人なのかな、という本能的な嫌悪感が邪魔をして、どうにも前向きな姿勢にはなれない。
武雄さんの経営するお茶屋さん『びわ』は大きなお店で、持ち帰り用の茶葉やお茶菓子の販売を中心としつつ、その場でお茶を注文し楽しめる個室もいくつか併設しているらしく、今日はそこへと赴く予定。
香帆さんが出来るだけ取り持ってくれる、という話だけど……不安は大いにある。
「『びわ』……ここか」
クリスさんの説明通り、お堀を挟んだ反対側を進んだ先の、大きな桜の木がある建物に『びわ』と平仮名で書いてあった。
看板も、店構えも随分と古い。歴史あるお茶屋さんなんだ。
「あっ、雫ちゃんやんか! 久しぶりやな」
店先でお客さんの相手をしていた花音さんが、声を掛けて来た。
馴染みなのか、老夫婦らしいそのお客さんに、手を振って挨拶をしている。
「お疲れ様です、花音さん。お久しぶりです。それで、今日は――」
「聞いとるで。香帆んとこのあのお兄さんと、何や話があるんやろ?」
「です……うぅ、ねえ花音さん、やっぱり今からでも何とかなりませんかね、二人きりっていうの…! 私無理ですって、あの方と個室なんて!」
「あっはは! えらいはっきり言うなぁ、おもろ!」
「笑いごとじゃないですって! 見てたでしょ、花音さんも。クリスさんの胸倉掴んで悪びれないどころか、花音さんにまで突っかかっていって……って、あれ……? そう言えば、あの時はあの二人のこと、花音さんも知りませんでしたよね」
ひと月前のあの日、花音さんは確かに『どこのもんか知らんけど』と言っていた。
それが今では『香帆』だなんて。なんで?
「あぁ、それな。後から知ったんやけど、あん時にもう香帆のバイト採用は決まっとったらしくてな。で、後日すぐに初出勤日やったもんやから、そん時またえらい謝られたわ」
「そ、そうだったんですね……」
世間というやつは、こうも狭いものなのか。
一地域だけで過ごしていると、やっぱりこういうこともあるんだな。
「席は予約して取ってあるし、雫ちゃんだけでも先に入っとく?」
と、花音さん。
踵を返したその背中を、私は慌てて引き止める。
「えっと、武雄さんは今どちらに……?」
「お父ちゃん? 多分、裏の方で色々手入れしとると思うけど――どしたん?」
首を傾げる花音さんに、私は手短に事情を話した。
あの日、花音さんたちがお店を出ていかれた後、クリスさんの進言があったこと。
そして、武雄さんの気遣いがあったこと。
今日私が香帆さんの話を呑んだのは、むしろその為と言っても過言ではない。
せっかくの機会だから、ちゃんとお礼をして、何か美味しいものでもお買い物しないと、と。
「あはは、そんなこと考えとったんや。何やクリスさんも雫ちゃんも、律儀なことやなぁ」
「律儀って、そんな……」
「別にええのにそんなこと。お父ちゃんだって、そない気にしてへんと思うで? って言うか、あの人が勝手にかっこつけだだけやし。まだまだ可愛い大学生の女の子なんか、大人の優しさにはうんと甘えとったらええんや」
花音さんは快活に笑ってそう言った。
「まぁでも、そっか。なら呼んでくるわ。ちょっとぐらい手空けても大丈夫やろうし。それに――」
と、言いかけて花音さんは首を振った。
「え、何ですか?」
「うんにゃ、何でも。とにかく待っとって! 何やったら店ん中でも見とってええし」
「えっ、そんな…!」
思わず伸ばした手は、虚しく空を掴んでしまった。
パタパタと駆けてゆくその背中を見つめながら、私は小さく「分かりました……」と零し、店内へと足を運んだ。
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