琵琶のほとりのクリスティ

石田ノドカ

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第2章 『祖父の写真』

第13話 どうしてブッシュドノエルなんですか?

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 そうして迎えた、ある日の休日。
 場所はいつもの『淡海』。もうそろそろ、予定の時間だ。
 私は今日は非番だったけれど、何となく気になって同席する旨を申し出たところ、特に断る理由もないからと快諾してもらっての出席だ。
 乗り掛かった舟、と言うか、私から聞きだしてしまった手前、申し訳がないと言うか。
 私の頭では解決出来ないにしても、せめて同席して、何か聞きだすことくらいはしないと。

「申し訳ございませんね、雫さん。せっかくの貴重な休日に」

 カウンターでミルの手入れをしながら、クリスさんが申し訳なさそうに言った。

「い、いえ、言い出したのは私の方ですし…! それに、やっぱり気になるので」

「ありがとうございます。そう言って頂けますと、祖母の失態も許せそうな気がします」

 口ではそう言いながらも、特別怒っているという訳でもなさそうだ。
 当の珠子さんは今、せめてものおもてなしのため、及び方々への謝罪の念を籠め、スイーツを作っているところ。
 今日はミニ・ブッシュドノエルをお出しするようで、気合が入っている。
 お店はお休みだけれど、クリスさんは勿論仕事着だ。
 私も、私服で来たは良いけれど、クリスさんに倣って、更衣室で仕事着に替えてから出直した。

「そう言えばクリスさん。ずっと思ってたんですけど、クリスマスシーズンでもないのに、どうしてノエルが常設メニューなんですか?」

 初日に食べさせてもらった後で、ブッシュドノエルについて調べたところ、クリスマスのケーキであることを知った。
 フランス語で、ブッシュは『薪』や『丸太』、ノエルは『クリスマス』を意味する言葉で、直訳すると『クリスマスの丸太』となる。
 諸説あるけれど、一般的には、キリストの誕生を祝う為に夜通し暖炉に薪をくべて燃やし続けてていたという話に併せ、クリスマスの時期に燃やす薪は厄除けになるという北欧の言い伝えから、このようなお菓子が作られるようになったのだとか。
 何にしても、ブッシュドノエルはクリスマスのお菓子として定番なのだそうだ。
 ……東京なんて場所にしばらく住んでいながら、私は知らなかった訳だけれど。

「それはですね。雫さん、ブッシュドノエルに関する由来は、何かご存知ですか?」

 クリスさんの質問に、私は今し方頭の中で考えていたことをそのまま口にした。
 どうやらそれは正しいようで、広く知られている知識として間違いのないものだったらしい。
 けれど。

「では、このようなお話はご存知でしょうか。その昔、恋人へのプレゼントを買うお金すらなかった貧しい青年が、せめてもの思いに一束の薪を送った、と」

「薪を……? 極寒に地だったのでしょうか。何だかロマンチックなお話ですね」

「ええ。そこから転じて、クリスマスには薪の形を模したケーキが作られるようになった、という説もあるんですよ」

「へぇ、知りませんでした」

 過去のそういった話が今に活きているというのはよくある話だとは思うけれど、これに関しては、説というよりかは寧ろ実話だろうと思わされるようなお話だ。
 せめてもの思いを届けたいなんて、素敵な話だ。

「この『淡海』はね、実は経営が安定するまでにかなりの時間がかかったんですよ」

「えっ、そうなんですか?」

「ええ。周りに既に有名な喫茶店や飲食店が多かったこともあってね。でも、そんな中でも腐らず、『如何に他方のお客を呼び込むか』ではなく『如何にここでも常連さんとなってくれるお客をつくるか』に着目し、構想を練ったんだそうです」

「まさか、その答えっていうのが……?」

「ええ。紆余曲折あった末、辿り着いた答えが『ブッシュドノエル』でした。理由は、先程私のお話しした由来が元です」

「青年が薪を送ったっていう?」

 クリスさんは柔らかく頷いた。

「今のお客さんたちは知らないことですが、当時、ノエルは『お代金は頂きません。これはただの気持ちです』という意味合いで、お客さん方に配られたんです」

「く、配る……? 売っていた訳ではないんですか?」

「言い方はあれですが、実はノエルは数を作りやすいものなんですよ。ただ、当時この辺りでブッシュドノエルなんてハイカラなものを作っていたお店はなかった。そこで、なけなしの経費で材料や器具を集め、通常よりも幾らか小さなサイズで大量のノエルを作り、来たるクリスマスのシーズンにブレンドの『おまけ』としてお出ししていたんだそうです。が、そのサービスを冬季だけでは終わらせず続けていたところ、それがいつしか人気を呼び、お店の雰囲気や当時のマスターさん目当てで常連さんが付き始め、経営が安定してきたある時を境に、ノエルも相応のお代金を頂くようになったんですって」

「ほんの気持ち……」

「他店との競争や抗争ではなく、ただうちに目を向けて貰うにはどうすればいいか。そしてお客さんを楽しませる、満足させるには、一体どうすればいいのか。そういった純粋な思いが実を結んだ結果ですね。このままならお店を畳む、という話も出ていたそうですから、一世一代の大博打でもあった訳ですが」

 そう話すクリスさんは、どこか懐かしいものを見るような瞳をしていた。

 そんな昔のこと、見て来た筈はないのに。
 このお店を形作る思いや気持ちを、正しく受け取り、このお店で働くことに本当の意味で誇りを持っているんだ。
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