琵琶のほとりのクリスティ

石田ノドカ

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第2章 『祖父の写真』

第10話 約束ですよ

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 五月頭の八幡は、気候は穏やかながら、未だ朝の風は少し冷たい。
 走っていると、野晒しの顔や手が少しずつ冷えて来る。
 そんなことを感じながらお堀の脇道を抜け、そこに架かる橋を渡ると、遠くの方に見慣れた緩い長髪が揺れているのが見えた。

「クリスさーん!」

 ゆっくりと振り返る。柔らかく艶やかな髪が揺れた。

「おはようございます、雫さん。昨夜は急なお誘いにも関わらず、お付き合い頂きましてありがとうございました」

 朝一番にこの素敵な笑みを見られる幸福たるや。
 ここでバイトしてて良かった。

「い、いえ、そんな。私の方こそ、あんな事情がありながら受け入れて頂いて……ほんと、なんて言ったらいいか」

「それはお互い様です。貴女の存在があればこそ、祖母はああして身体を楽に――と言っても、料理にばかりかまけて、休めているのかいないのか」

「あ、あはは……」

 でも、好きなことに集中出来るということは、それだけで健康にも繋がると言う。
 看護師の母が言っていた。身体は元より、認知症やメンタル面、その他諸々のケアに、“好き”の力は何役も買っているって。

「ここまで走って来られたのですね。朝から体力を使うなんて、お身体に響きません?」

 クリスさんが心配そうに尋ねる。
 きっと、気胸のことを言っているのだろう。

「大丈夫です! 多少の運動なら、今はもうどうってことありません。それに私、体力だけが自慢ですから!」

「あらあら、ふふっ」

 そうしていつものように、口元を手で隠して、上品に、柔和に笑った。

「珠子さんから聞きました。毎朝、お散歩をするのが日課だって」

「ええ。大好きなこの地を、朝のあまり誰もいない時間から散策しつつ身体を起こすのが目的で」

「へぇ……何だか素敵ですね、それ!」

「それを素敵だと言える雫さんの感性の方が、よっぽど素敵ですよ」

「も、もう、またそうやって……」

「さぁ、何のことだか」

 クリスさんは悪戯に笑った。

「せっかくですし、雫さんにも色々とお教えしつつ散策致しましょうか」

「はい、嬉しいです。私、必要に迫られないと勉強とかしない性格なんですけど、クリスさんの閉店後につけてくださる勉強会は凄く好きで」

「あらあら。おだてたって、帰ってから一杯ご馳走するくらいしか出来ませんよ」

「やった、約束ですよ」

「ふふっ。ええ、約束です」

 二人して笑いあって、ようやくと散歩を再開した。
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