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第2章 『祖父の写真』
第8話 祭囃子
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「く――クリスさんってば、またそんな冗談を…!」
「こんなこと、お酒でも入ってへんと、恥ずかしくて面と向かって言われへんよ。ええから、素直に頷いとったらええんや。な、雫さん」
「クリスさん……」
ずるい。
素直に、そう思った。
普段はおっとりふわふわしている素敵なお姉さん。でも今のクリスさんは、ちょっと意地の悪そうな、悪戯な笑みだ。
でも。初めて出会った時、私があれこれぶつけた悩み――どこか、あれらに対しても言ってくれているようで、私はそれ以上は何も返せないでいた。
気が付けば、頷いてしまっていたくらいだ。
「ええ子や、ええ子。うふふっ。貴女がうちに来たんは運命やな」
「く、クリスさんってば、もう……」
不思議と悪い気はしないけど。しないけれど。
ほんと、この人はこういうところがズルい。
「綺麗なお月様やね」
「……はい、ほんと。素敵な夜です」
こんなに素敵な場所で、素敵な人たちに囲まれて、仕事が出来るなんて。
あと二年もすれば、お仕事やその先の人生についても考えていかなければならない。
でも、今だけは――
いずれ来るかもしれない決別の日の為に、今だけは、この温かな空間に甘えていようと思う。
「雫さん、もう一杯だけ入れてくれへん?」
口調はいつも通りの調子だけれど、お猪口は既に私の目の前に寄越されている。
早く入れて、とせがむ子どものようだ。
「ふふっ。はい、分かりました」
そうしてもう一杯注いだお酒を、クリスさんはすぐに引き寄せて一口。
口元に手を添えて上機嫌に笑って、今度は少しだけ口内で弄ぶとすぐに喉へと送った。
薄暗い室内に柔らかな光を届ける月を窓越しに眺め、また息を吐く。
目を細めて微笑んで、おっとりとした様子で、クリスさんはまた頬杖をついた。
「ほんま、真ん丸で綺麗なお月さんや」
「はい。とても綺麗です」
たまに、そんな短い言葉に、短く返して。
カチ、コチ、カチ、コチ。
壁掛け時計の音が、優しいメトロノームのように、私たちの眠気を誘う。
一歩一歩進むように、ゆっくり、ゆっくりと繰り返し、異国の夜は更けていく。
暗い静かな静寂に見守られ、ゆっくりと。
遠くで聞こえる祭囃子のような音でさえ、不思議と心地よく聞こえる夜が、更けていく。
「こんなこと、お酒でも入ってへんと、恥ずかしくて面と向かって言われへんよ。ええから、素直に頷いとったらええんや。な、雫さん」
「クリスさん……」
ずるい。
素直に、そう思った。
普段はおっとりふわふわしている素敵なお姉さん。でも今のクリスさんは、ちょっと意地の悪そうな、悪戯な笑みだ。
でも。初めて出会った時、私があれこれぶつけた悩み――どこか、あれらに対しても言ってくれているようで、私はそれ以上は何も返せないでいた。
気が付けば、頷いてしまっていたくらいだ。
「ええ子や、ええ子。うふふっ。貴女がうちに来たんは運命やな」
「く、クリスさんってば、もう……」
不思議と悪い気はしないけど。しないけれど。
ほんと、この人はこういうところがズルい。
「綺麗なお月様やね」
「……はい、ほんと。素敵な夜です」
こんなに素敵な場所で、素敵な人たちに囲まれて、仕事が出来るなんて。
あと二年もすれば、お仕事やその先の人生についても考えていかなければならない。
でも、今だけは――
いずれ来るかもしれない決別の日の為に、今だけは、この温かな空間に甘えていようと思う。
「雫さん、もう一杯だけ入れてくれへん?」
口調はいつも通りの調子だけれど、お猪口は既に私の目の前に寄越されている。
早く入れて、とせがむ子どものようだ。
「ふふっ。はい、分かりました」
そうしてもう一杯注いだお酒を、クリスさんはすぐに引き寄せて一口。
口元に手を添えて上機嫌に笑って、今度は少しだけ口内で弄ぶとすぐに喉へと送った。
薄暗い室内に柔らかな光を届ける月を窓越しに眺め、また息を吐く。
目を細めて微笑んで、おっとりとした様子で、クリスさんはまた頬杖をついた。
「ほんま、真ん丸で綺麗なお月さんや」
「はい。とても綺麗です」
たまに、そんな短い言葉に、短く返して。
カチ、コチ、カチ、コチ。
壁掛け時計の音が、優しいメトロノームのように、私たちの眠気を誘う。
一歩一歩進むように、ゆっくり、ゆっくりと繰り返し、異国の夜は更けていく。
暗い静かな静寂に見守られ、ゆっくりと。
遠くで聞こえる祭囃子のような音でさえ、不思議と心地よく聞こえる夜が、更けていく。
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