琵琶のほとりのクリスティ

石田ノドカ

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第2章 『祖父の写真』

第7話 ちょっとばかり真面目なお話

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 母が夜勤だということもあって、今日はこのまま上の自宅スペースにお泊りする運びとなった。
 珠子さんは朝早い仕込みがある為、お風呂を済ませた後はすぐに床に就いてしまった。
 クリスさんも同じだ。
 私は何だか眠れなくて、静かに喫茶店の方へと降りて来ていた。
 カウンター席に腰かけ、腕を枕にしてうつ伏せる。
 そのまま横の方に顔を向けてみれば、すっかり見慣れた仕事中とは違った景色が見えた。
 月明かりに照らされた家具や小物が創り出す影が、不思議と面白く見える。

「いい香り……」

 いつもの珈琲豆と、木の香り。
 私は目を閉じた。
 壁掛けの振り子時計が、時を刻む音だけが聞こえる。
 と、少し遠くの方から、小さな足音が聞こえて来た。
 何となく分かる。クリスさんだ。

「眠れないんですか?」

 ホールに顔を出したクリスさんが尋ねてきた。

「ちょっとだけ、ドキドキしてて……眠れない、と言うか、眠りたくないなって」

「あらあら。素敵ですね、それ」

 そう言うと、クリスさんは私の横の席に腰を降ろした。
 それと同時に、机上には礼のお酒の瓶が置かれた。

「お手隙でしたら、お酌をお願いしてもよろしいでしょうか?」

 静かな店内に、お猪口が机上を滑る音が響いた。
 クリスさんはそう言うけれど、本心ではそれを待っているような、そんな表情をしていた。

「ぜひ。お酒、お借りしますね」

 私はクリスさんの傍らからそれを取り上げると、蓋を開け、お猪口の真ん中辺りまで注いだ。

「ありがとうございます。せっかくですから、月を見ながら飲みましょう」

 クリスさんの言葉に従い、私たちは月明かり射す窓際の席へ、机を挟んで座り直した。
 良い香りがしますね。そう言って微笑むと、クリスさんは控えめに一口。
 小さく動く口元は、中で転がして楽しんでいるのだろう。
 やがて喉へ送ると「ふぅ」と息を吐いて窓の外へと視線を送った。

「月並みですが、美味しいものですね。さほど疲れているという訳ではない身体にも、染みわたるようです」

「それは良かったです。どうぞ、私は忘れて楽しんでください」

 そう言うと、クリスさんは少し迷っているように眉根を下げた。
 何も言わずに続く言葉を待っていると、やがて「実は」と口を開いた。

「――私ね。本当は、外部から人を雇うつもりはなかったんですよ。私は祖母から、祖母はその母から、といった具合に、このお店は代々続いて来たお店でして。一子相伝、という訳ではありませんが、創業当初より、身内以外の店員を雇ったこともないそうなんです」

「そう、だったんですね……」

「ええ。私はこのお店が、そしてこのお店を守って来た祖母が大好きで、その伝統のようなものを崩したくなくて。家族だけで続けていくんだって、そういう気持ちで働いて来ました」

 なぜだろう……なぜか、言葉が出せない。
 歓迎会で、私はクリスさんに激励の言葉を掛けて貰った。それは確かに嬉しかった筈なのに、なんでこんな……。

「でも――」

 俯く私に、クリスさんは続ける。

「祖母の身体が、実は以前から少し良くなくて……だから、祖母の負担を少しでも減らせるよう、一人だけ外部から雇うことに決めたんです。でも、意外にも応募は集まらなくて……ほっとしたり残念に思ったり、忙しい心持ちでした」

「クリスさん……」

「でもね。妹尾雫さん。私、貴女に出会えて良かった。こんなに素敵な優しい子が働いてくれるのなら、意固地になる必要もなかったなって、今になると思えるんです。先ほどの歓迎会で言った言葉は、偽りない本当の気持ちなんですよ。まだ出会ってひと月ばかりしか経っていませんが、貴女はもう、うちにいなくてはならない存在になってしまっているんです」

「そ、そんな――」

 思わず顔を上げて捉えたその表情に――



「ほんまおおきにね、つゆさん」



 私は、言葉を失ってしまった。
 月明かりに照らされた、頬杖をつくクリスさんの顔は、言い表せないくらいに優しく、また温かく、そしてあまりに美しいものだったから。
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