15 / 76
第1章 『勉強の日々、初めての謎解き』
第10話 顔を上げてください
しおりを挟む
「雫ちゃん…!」
大きな声と共に強く抱擁しつつ出迎えてくれたのは、花音さんだった。
大変不安そうな面持ちだ。
「か、花音さん、私は大丈夫ですから…!」
「大丈夫なわけあるかいな、腰抜かしとったくせに! 直接何もされてへんのは隣におったから分かってるけど、めっちゃ怖かったもんな」
「い、いえ、ですから……」
怖さなど、クリスさんの比ではない。
そうではなく……視線を巡らせた店内には、さっきまでいたお客さんがまだ皆残っている。
「は、恥ずかしいので……花音さん、離してください…!」
「はっ、ごめん、つい!」
気が付けば、つい先ほどまで抱いていた恐怖はどこへやら。
花音さんの裏表ない行動に、私は少し落ち着きを取り戻していた。
少しばかり呆れて花音さんの身体を剥がすと、今度はそれに代わって、常連さんたちが一斉に押し寄せて来た。
ハンカチを手渡してくれる人、大丈夫かと背中をさすってくれる人、これでもど食べて元気を出せと自分で注文していたケーキを差し出して来る人。
何だか無性に恥ずかしくなってきて、けれどもどこか温かくて。
私は笑いながら、素直にそれらを受け取った。
あれもこれもと貰ってばかりな中、控えめに人波を掻き分けて出てくる影が一つあった。
瞬間、血の気が引く感覚を覚えた。
あの男の人と一緒にいた女性だ。
てっきり、あの人の後を追いかけて出ていったものだとばかり思っていたのに。
「え、えっと……」
何かあったのか。そう尋ねようとする私を、花音さんが制した。
「何やの。まだ何か文句でもあるん?」
強めの語気でそう言って、女性を睨みつけている。
しかしその女性は、どこか晴れない様子と言うか……どこか申し訳なさそうな顔に見えた。
「か、花音さん、私なら大丈夫です…!」
私がそう言うと、花音さんは驚いたように振り返った。
女性の態度から何か察したのか、短く「ええの?」とだけ確認してきた花音さんに頷くと、ゆっくりと横に一歩ずれ、女性を前の方へと通してくれた。
何を言われるだろうか――本当のところ未だ怖い私だったけれど、そんな思いは杞憂に終わった。
私の前へと通されたその女性は、ふと視線が交錯した瞬間、がばっと大きく頭を下げて来たのだ。
私は思わず固まってしまった。
「ごめん、店員さん…! あのバカの所為で嫌な思いさせてしもて!」
「え、っと……い、いえ、そんなっ、大丈夫ですよ!」
怖かったのは事実。嫌な思いをしたのだって事実。
けれど、彼女の態度だって本物だ。
嘘でも演技でもない、本当の態度だって分かる。
「堪忍やで、店員さん。でもあのバカ兄貴な、自分とこの会社が大損ぶっこいた言うて、どうもそれが自分の所為らしくてな……自業自得やし、あんななりしとるけど会社の人らからもめっちゃ慕われとるから『大丈夫や』って大いに庇ってもろたらしいんやけど、却ってそれが惨めっていうか、重荷に感じたんやろな……あんな見た目やし口も悪いけど、一応管理職やっとったみたいやし、立場とかプライドとか、色々あったんやと思う」
一息にそこまで話して、女性は更に深く頭を下げる。
「だからってな、あんなん許されるわけ――」
「花音さん、大丈夫ですから」
「せやけど…!」
「大丈夫ですから。ありがとうございます、花音さん」
納得いかない様子の花音さん。
私が初めてここを訪れたあの時から、彼女は私にとてもよくしてくれている。名乗ったのは今日が初めてだったけれど、何度かここを訪れてくれていて、その度に何でもない話題で声をかけてくれた。
妹みたいだ、なんて冗談めかして言っていたけれど、多分本当にそんなふうに思ってくれてるんだろう。
「どうか顔を上げてください、お客さん」
努めて冷静に促すと、その女性はおずおずと頭を上げてこちらに視線を送った。
「で、でもやな……」
「お話を聞く限り、事情があったことと分かりましたから。少し怖かったのは事実ですが、私なら大丈夫です。ご心配は無用です。ですが、もし話をしたいのであれば、店主の来栖にお願いいたします。実害を被ったのは、彼女だけですから」
「そ、そやな……あのアホ兄貴、思いっきり胸ぐら掴んどったし……あぁもうアホ、ほんまアホやわ…! もう妹やめたなってきた! 」
恥ずかしさと怒りと申し訳なさと――この人は今、そんなぐちゃぐちゃな感情でいることだろう。
両手で頬を隠して、頭をぶんぶんと振り回している。
「あらあら。本当、ここの常連さんはお人好しばかりですね」
ふと、ふんわりとした声が耳を打った。
大きな声と共に強く抱擁しつつ出迎えてくれたのは、花音さんだった。
大変不安そうな面持ちだ。
「か、花音さん、私は大丈夫ですから…!」
「大丈夫なわけあるかいな、腰抜かしとったくせに! 直接何もされてへんのは隣におったから分かってるけど、めっちゃ怖かったもんな」
「い、いえ、ですから……」
怖さなど、クリスさんの比ではない。
そうではなく……視線を巡らせた店内には、さっきまでいたお客さんがまだ皆残っている。
「は、恥ずかしいので……花音さん、離してください…!」
「はっ、ごめん、つい!」
気が付けば、つい先ほどまで抱いていた恐怖はどこへやら。
花音さんの裏表ない行動に、私は少し落ち着きを取り戻していた。
少しばかり呆れて花音さんの身体を剥がすと、今度はそれに代わって、常連さんたちが一斉に押し寄せて来た。
ハンカチを手渡してくれる人、大丈夫かと背中をさすってくれる人、これでもど食べて元気を出せと自分で注文していたケーキを差し出して来る人。
何だか無性に恥ずかしくなってきて、けれどもどこか温かくて。
私は笑いながら、素直にそれらを受け取った。
あれもこれもと貰ってばかりな中、控えめに人波を掻き分けて出てくる影が一つあった。
瞬間、血の気が引く感覚を覚えた。
あの男の人と一緒にいた女性だ。
てっきり、あの人の後を追いかけて出ていったものだとばかり思っていたのに。
「え、えっと……」
何かあったのか。そう尋ねようとする私を、花音さんが制した。
「何やの。まだ何か文句でもあるん?」
強めの語気でそう言って、女性を睨みつけている。
しかしその女性は、どこか晴れない様子と言うか……どこか申し訳なさそうな顔に見えた。
「か、花音さん、私なら大丈夫です…!」
私がそう言うと、花音さんは驚いたように振り返った。
女性の態度から何か察したのか、短く「ええの?」とだけ確認してきた花音さんに頷くと、ゆっくりと横に一歩ずれ、女性を前の方へと通してくれた。
何を言われるだろうか――本当のところ未だ怖い私だったけれど、そんな思いは杞憂に終わった。
私の前へと通されたその女性は、ふと視線が交錯した瞬間、がばっと大きく頭を下げて来たのだ。
私は思わず固まってしまった。
「ごめん、店員さん…! あのバカの所為で嫌な思いさせてしもて!」
「え、っと……い、いえ、そんなっ、大丈夫ですよ!」
怖かったのは事実。嫌な思いをしたのだって事実。
けれど、彼女の態度だって本物だ。
嘘でも演技でもない、本当の態度だって分かる。
「堪忍やで、店員さん。でもあのバカ兄貴な、自分とこの会社が大損ぶっこいた言うて、どうもそれが自分の所為らしくてな……自業自得やし、あんななりしとるけど会社の人らからもめっちゃ慕われとるから『大丈夫や』って大いに庇ってもろたらしいんやけど、却ってそれが惨めっていうか、重荷に感じたんやろな……あんな見た目やし口も悪いけど、一応管理職やっとったみたいやし、立場とかプライドとか、色々あったんやと思う」
一息にそこまで話して、女性は更に深く頭を下げる。
「だからってな、あんなん許されるわけ――」
「花音さん、大丈夫ですから」
「せやけど…!」
「大丈夫ですから。ありがとうございます、花音さん」
納得いかない様子の花音さん。
私が初めてここを訪れたあの時から、彼女は私にとてもよくしてくれている。名乗ったのは今日が初めてだったけれど、何度かここを訪れてくれていて、その度に何でもない話題で声をかけてくれた。
妹みたいだ、なんて冗談めかして言っていたけれど、多分本当にそんなふうに思ってくれてるんだろう。
「どうか顔を上げてください、お客さん」
努めて冷静に促すと、その女性はおずおずと頭を上げてこちらに視線を送った。
「で、でもやな……」
「お話を聞く限り、事情があったことと分かりましたから。少し怖かったのは事実ですが、私なら大丈夫です。ご心配は無用です。ですが、もし話をしたいのであれば、店主の来栖にお願いいたします。実害を被ったのは、彼女だけですから」
「そ、そやな……あのアホ兄貴、思いっきり胸ぐら掴んどったし……あぁもうアホ、ほんまアホやわ…! もう妹やめたなってきた! 」
恥ずかしさと怒りと申し訳なさと――この人は今、そんなぐちゃぐちゃな感情でいることだろう。
両手で頬を隠して、頭をぶんぶんと振り回している。
「あらあら。本当、ここの常連さんはお人好しばかりですね」
ふと、ふんわりとした声が耳を打った。
1
お気に入りに追加
14
あなたにおすすめの小説
大正石華恋蕾物語
響 蒼華
キャラ文芸
■一:贄の乙女は愛を知る
旧題:大正石華戀奇譚<一> 桜の章
――私は待つ、いつか訪れるその時を。
時は大正。処は日の本、華やぐ帝都。
珂祥伯爵家の長女・菫子(とうこ)は家族や使用人から疎まれ屋敷内で孤立し、女学校においても友もなく独り。
それもこれも、菫子を取り巻くある噂のせい。
『不幸の菫子様』と呼ばれるに至った過去の出来事の数々から、菫子は誰かと共に在る事、そして己の将来に対して諦観を以て生きていた。
心許せる者は、自分付の女中と、噂畏れぬただ一人の求婚者。
求婚者との縁組が正式に定まろうとしたその矢先、歯車は回り始める。
命の危機にさらされた菫子を救ったのは、どこか懐かしく美しい灰色の髪のあやかしで――。
そして、菫子を取り巻く運命は動き始める、真実へと至る悲哀の終焉へと。
■二:あやかしの花嫁は運命の愛に祈る
旧題:大正石華戀奇譚<二> 椿の章
――あたしは、平穏を愛している
大正の時代、華の帝都はある怪事件に揺れていた。
其の名も「血花事件」。
体中の血を抜き取られ、全身に血の様に紅い花を咲かせた遺体が相次いで見つかり大騒ぎとなっていた。
警察の捜査は後手に回り、人々は怯えながら日々を過ごしていた。
そんな帝都の一角にある見城診療所で働く看護婦の歌那(かな)は、優しい女医と先輩看護婦と、忙しくも充実した日々を送っていた。
目新しい事も、特別な事も必要ない。得る事が出来た穏やかで変わらぬ日常をこそ愛する日々。
けれど、歌那は思わぬ形で「血花事件」に関わる事になってしまう。
運命の夜、出会ったのは紅の髪と琥珀の瞳を持つ美しい青年。
それを契機に、歌那の日常は変わり始める。
美しいあやかし達との出会いを経て、帝都を揺るがす大事件へと繋がる運命の糸車は静かに回り始める――。
※時代設定的に、現代では女性蔑視や差別など不適切とされる表現等がありますが、差別や偏見を肯定する意図はありません。
ミノタウロスの森とアリアドネの嘘
鬼霧宗作
ミステリー
過去の記録、過去の記憶、過去の事実。
新聞社で働く彼女の元に、ある時8ミリのビデオテープが届いた。再生してみると、それは地元で有名なミノタウロスの森と呼ばれる場所で撮影されたものらしく――それは次第に、スプラッター映画顔負けの惨殺映像へと変貌を遂げる。
現在と過去をつなぐのは8ミリのビデオテープのみ。
過去の謎を、現代でなぞりながらたどり着く答えとは――。
――アリアドネは嘘をつく。
(過去に別サイトにて掲載していた【拝啓、15年前より】という作品を、時代背景や登場人物などを一新してフルリメイクしました)
独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立
水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~
第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。
◇◇◇◇
飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。
仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。
退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。
他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。
おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。
隣の家に住むイクメンの正体は龍神様でした~社無しの神とちびっ子神使候補たち
鳴澤うた
キャラ文芸
失恋にストーカー。
心身ともにボロボロになった姉崎菜緒は、とうとう道端で倒れるように寝てしまって……。
悪夢にうなされる菜緒を夢の中で救ってくれたのはなんとお隣のイクメン、藤村辰巳だった。
辰巳と辰巳が世話する子供たちとなんだかんだと交流を深めていくけれど、子供たちはどこか不可思議だ。
それもそのはず、人の姿をとっているけれど辰巳も子供たちも人じゃない。
社を持たない龍神様とこれから神使となるため勉強中の動物たちだったのだ!
食に対し、こだわりの強い辰巳に神使候補の子供たちや見守っている神様たちはご不満で、今の現状を打破しようと菜緒を仲間に入れようと画策していて……
神様と作る二十四節気ごはんを召し上がれ!
浅草お狐喫茶の祓い屋さん~あやかしが見えるようになったので、妖刀使いのパートナーになろうと思います~
千早 朔
キャラ文芸
☆第7回キャラ文芸大賞 奨励賞☆
『あやかしは斬り祓う』一択だった無愛想青年と、事情を抱えたあやかしたち。
ときどき美味しい甘味を楽しみながら、あやかしと人の心に触れていく、ちょっと切なくも優しい物語――。
祖母から"お守り"の鳴らない鈴を受け取っていた、綺麗でカワイイもの好きの会社員、柊彩愛《ひいらぎあやめ》。
上司に騙されてお見合いをさせられるわ、先輩の嫉妬はかうわでうんざり。
そんなある夜、大きな鳥居の下で、真っ黒な和服を纏った青年と出会う。
「……知ろうとするな。知らないままでいろ」
青年はどうやら、連日彩愛を追ってくる『姿の見えないストーカー』の正体に気づいているようで――?
祓い屋? あやかし?
よくわからないけれど、事情も聞かずに祓っちゃダメでしょ――!
こじらせ無愛想青年がポジティブヒロインに振り回されつつ、絆されていくお話。
※他サイトでも掲載中です
嵐大好き☆ALSお母さんの闘病と終活
しんの(C.Clarté)
エッセイ・ノンフィクション
アイドル大好き♡ミーハーお母さんが治療法のない難病ALSに侵された!
ファンブログは闘病記になり、母は心残りがあると叫んだ。
「死ぬ前に聖地に行きたい」
モネの生地フランス・ノルマンディー、嵐のロケ地・美瑛町。
車椅子に酸素ボンベをくくりつけて聖地巡礼へ旅立った直後、北海道胆振東部大地震に巻き込まれるアクシデント発生!!
進行する病、近づく死。無茶すぎるALSお母さんの闘病は三年目の冬を迎えていた。
※NOVELDAYSで重複投稿しています。
https://novel.daysneo.com/works/cf7d818ce5ae218ad362772c4a33c6c6.html
【完結】女神は推考する
仲 奈華 (nakanaka)
歴史・時代
父や夫、兄弟を相次いで失った太后は途方にくれた。
直系の男子が相次いて死亡し、残っているのは幼い皇子か血筋が遠いものしかいない。
強欲な叔父から持ち掛けられたのは、女である私が即位するというものだった。
まだ幼い息子を想い決心する。子孫の為、夫の為、家の為私の役目を果たさなければならない。
今までは子供を産む事が役割だった。だけど、これからは亡き夫に変わり、残された私が守る必要がある。
これは、大王となる私の守る為の物語。
額田部姫(ヌカタベヒメ)
主人公。母が蘇我一族。皇女。
穴穂部皇子(アナホベノミコ)
主人公の従弟。
他田皇子(オサダノオオジ)
皇太子。主人公より16歳年上。後の大王。
広姫(ヒロヒメ)
他田皇子の正妻。他田皇子との間に3人の子供がいる。
彦人皇子(ヒコヒトノミコ)
他田大王と広姫の嫡子。
大兄皇子(オオエノミコ)
主人公の同母兄。
厩戸皇子(ウマヤドノミコ)
大兄皇子の嫡子。主人公の甥。
※飛鳥時代、推古天皇が主人公の小説です。
※歴史的に年齢が分かっていない人物については、推定年齢を記載しています。※異母兄弟についての明記をさけ、母方の親類表記にしています。
※名前については、できるだけ本名を記載するようにしています。(馴染みが無い呼び方かもしれません。)
※史実や事実と異なる表現があります。
※主人公が大王になった後の話を、第2部として追加する可能性があります。その時は完結→連載へ設定変更いたします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる