琵琶のほとりのクリスティ

石田ノドカ

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第1章 『勉強の日々、初めての謎解き』

第10話 顔を上げてください

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「雫ちゃん…!」

 大きな声と共に強く抱擁しつつ出迎えてくれたのは、花音さんだった。
 大変不安そうな面持ちだ。

「か、花音さん、私は大丈夫ですから…!」

「大丈夫なわけあるかいな、腰抜かしとったくせに! 直接何もされてへんのは隣におったから分かってるけど、めっちゃ怖かったもんな」

「い、いえ、ですから……」

 怖さなど、クリスさんの比ではない。
 そうではなく……視線を巡らせた店内には、さっきまでいたお客さんがまだ皆残っている。

「は、恥ずかしいので……花音さん、離してください…!」

「はっ、ごめん、つい!」

 気が付けば、つい先ほどまで抱いていた恐怖はどこへやら。
 花音さんの裏表ない行動に、私は少し落ち着きを取り戻していた。
 少しばかり呆れて花音さんの身体を剥がすと、今度はそれに代わって、常連さんたちが一斉に押し寄せて来た。
 ハンカチを手渡してくれる人、大丈夫かと背中をさすってくれる人、これでもど食べて元気を出せと自分で注文していたケーキを差し出して来る人。
 何だか無性に恥ずかしくなってきて、けれどもどこか温かくて。
 私は笑いながら、素直にそれらを受け取った。

 あれもこれもと貰ってばかりな中、控えめに人波を掻き分けて出てくる影が一つあった。
 瞬間、血の気が引く感覚を覚えた。
 あの男の人と一緒にいた女性だ。
 てっきり、あの人の後を追いかけて出ていったものだとばかり思っていたのに。

「え、えっと……」

 何かあったのか。そう尋ねようとする私を、花音さんが制した。

「何やの。まだ何か文句でもあるん?」

 強めの語気でそう言って、女性を睨みつけている。
 しかしその女性は、どこか晴れない様子と言うか……どこか申し訳なさそうな顔に見えた。

「か、花音さん、私なら大丈夫です…!」

 私がそう言うと、花音さんは驚いたように振り返った。
 女性の態度から何か察したのか、短く「ええの?」とだけ確認してきた花音さんに頷くと、ゆっくりと横に一歩ずれ、女性を前の方へと通してくれた。
 何を言われるだろうか――本当のところ未だ怖い私だったけれど、そんな思いは杞憂に終わった。
 私の前へと通されたその女性は、ふと視線が交錯した瞬間、がばっと大きく頭を下げて来たのだ。
 私は思わず固まってしまった。

「ごめん、店員さん…! あのバカの所為で嫌な思いさせてしもて!」

「え、っと……い、いえ、そんなっ、大丈夫ですよ!」

 怖かったのは事実。嫌な思いをしたのだって事実。
 けれど、彼女の態度だって本物だ。
 嘘でも演技でもない、本当の態度だって分かる。

「堪忍やで、店員さん。でもあのバカ兄貴な、自分とこの会社が大損ぶっこいた言うて、どうもそれが自分の所為らしくてな……自業自得やし、あんななりしとるけど会社の人らからもめっちゃ慕われとるから『大丈夫や』って大いに庇ってもろたらしいんやけど、却ってそれが惨めっていうか、重荷に感じたんやろな……あんな見た目やし口も悪いけど、一応管理職やっとったみたいやし、立場とかプライドとか、色々あったんやと思う」

 一息にそこまで話して、女性は更に深く頭を下げる。

「だからってな、あんなん許されるわけ――」

「花音さん、大丈夫ですから」

「せやけど…!」

「大丈夫ですから。ありがとうございます、花音さん」

 納得いかない様子の花音さん。
 私が初めてここを訪れたあの時から、彼女は私にとてもよくしてくれている。名乗ったのは今日が初めてだったけれど、何度かここを訪れてくれていて、その度に何でもない話題で声をかけてくれた。
 妹みたいだ、なんて冗談めかして言っていたけれど、多分本当にそんなふうに思ってくれてるんだろう。

「どうか顔を上げてください、お客さん」

 努めて冷静に促すと、その女性はおずおずと頭を上げてこちらに視線を送った。

「で、でもやな……」

「お話を聞く限り、事情があったことと分かりましたから。少し怖かったのは事実ですが、私なら大丈夫です。ご心配は無用です。ですが、もし話をしたいのであれば、店主の来栖にお願いいたします。実害を被ったのは、彼女だけですから」

「そ、そやな……あのアホ兄貴、思いっきり胸ぐら掴んどったし……あぁもうアホ、ほんまアホやわ…! もう妹やめたなってきた! 」

 恥ずかしさと怒りと申し訳なさと――この人は今、そんなぐちゃぐちゃな感情でいることだろう。
 両手で頬を隠して、頭をぶんぶんと振り回している。

「あらあら。本当、ここの常連さんはお人好しばかりですね」

 ふと、ふんわりとした声が耳を打った。
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