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第1章 『勉強の日々、初めての謎解き』
第2話 至福のひととき
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「はぁー……」
口を開いた風船のように大きな溜息が零れる。
休憩時間。どっかと椅子に座り込んだ私は、そのまま机に突っ伏して反省タイム。
あの時はああで、あんな時にはこうで、と頭の中でぐるぐる考える。
考えれば考える程、修正点ばかりが浮かんできてしまう。反省の坩堝だ。
「お疲れ様でした、雫さん。よろしければこちら、まかないにどうぞ」
差し出されたのは、小さく切り取られたチーズケーキ。この店一番の売れ筋商品だ。
製作は珠子さん。マスターさんの祖母で、先代『淡海』の店主だったお人だ。
隣には、あのブレンドも並んでいる。
「わ、ありがとうございます!」
これが目的だった、とまでは言わないけれど、初日にまかないが振舞われてからこっち、休憩時間のこれは楽しみで仕方がない。頑張れる理由の一つだ。
珠子さんの手作り菓子は、それはそれは上品な味わいだ。ただ甘い、ただ美味しいといった次元ではない。とても優しい口溶けで食べやすく、けれどもその満足感は損なわれていない。
これぞスイーツの終着点、などと言ってしまっては方々から怒られそうなものだけれど、そう思ってもいいくらい、味と満足感、くどく無い腹持ちのバランスが、完璧に取れている。
ちなみに言うと、初日のまかないはブラウニー、二日目はフォンダンショコラだった。
休憩時間に食事でないのは、食事かスイーツどちらが良いかと問われる度、私がスイーツを選んでいるから。がっつり一食たべてしまって、その後に眠くなってはいけないから、と思ってのことだ。
突き立てたフォークは、聊かの反発の後、するりと皿まで滑り落ちていった。
表面はしっかりと固まり、中はふんわり。
一口運べば、ほら。
「んーーーー! 美味しい! やっぱり絶品ですね」
『甘さ』という名の幸せが、口一杯に広がりました。
「ふふっ。雫さんは本当に美味しそうに召し上がられますね。見ているこっちまで幸せな気分になりますよ」
「いやいや、マスターさんも食べてみれば分かりますって! ほんと、冗談抜きで美味しいんですから!」
「ええ、痛い程によく分かっていますよ、それは。何せ、味見役と称してざっと百回は、私の胃袋に収まっているのですから。今のその味がある功績の半分は、助言をした私だと言っても過言ではありませんよ? ふふっ」
「あっ、そ、そうですよね、あはは」
それはそうだ。味見役で百回程でなくとも、嫌いでないなら、この味は自然と食べていて当然だ。
恥ずかしい。
照れ隠しに笑い飛ばして、二口、三口。
噛めば噛むほど、味わえば味わう度、少しも損なわれることなく訪れる幸せの味。
常連さんは、こんなものをよく食べているんだ。
「さてと――雫さんは、時間までしっかりと身体を休めていてくださいね。午後はもっときつい修練が待ち受けていますから」
「えっ、午前中より…!? そんな、大名行列でも来るんですか!? いや常連行列!? そんな大群、私にはまだまだ――」
「冗談です」
ふんわり笑顔は壊さぬまま、マスターさんは言い放つ。
なんだ。冗談か。
大きな吐息とともに、遠慮なく胸を撫でおろす私を見て、マスターさんは小さくぷっと吹き出した。
「午後は、ご新規さんさえ多くなければ、通常かそれ以下程度の客入りだろうと思いますから、気軽に構えてもらえれば」
「そうですか……い、いえ、少しだとしてもご新規さんが来るなら、気は抜けません…! 頑張ります!」
「ふふっ。気を張り過ぎて、倒れないようにね。それじゃあ、私は先に戻ります」
短く言うと、マスターさんは今し方入って来て閉めたばかりの扉を開き、外へと繰り出した。
「え、も、もうですか……? いつも、あまり休んでいませんよね?」
「慣れてしまいましたし、ほら、私は店主でしょう? 帳簿等の事務仕事もやらなくてはいけませんから。休憩時間、仕事が終わった夜間、あるいは開店前の早朝といった隙間時間を見つけて少しずつでも処理していかないと、まるで追いつかないのですよ。昨日今日だと特に、つゆさん特訓スペシャルメニューの為にいっぱい呼んでしまっていますから」
「な、なるほど……すみません」
育てる為とは言え、私一人の為に仕事が増えてしまっていることが何だか申し訳なくて、思わず謝罪の弁を述べてしまう。
「つゆさんが謝ることではありません。自分で勝手にやったことですから。自業自得、木乃伊取りが木乃伊になっただけですよ」
ふわりと微笑んで、マスターさんはそのまま扉を閉めようとする。
「あ、あの…!」
店を継ぐわけでもないのだから、何かの参考になる訳でもない。
けれども、ただここで甘い物を食べているというのも、何だか違う気がして、気が付けば、私はマスターさんを呼び止めていた。
「はい?」
振り返るマスターさん。
私は思い切って尋ねた。
「えっと……帳簿作業、近くで見てても良いですか?」
一瞬間、どういうことかといった風にきょとんとしていたマスターさんだったけれど、すぐに優しく微笑むと、
「ええ、もちろん」
短く言って、私のことを手招いた。
口を開いた風船のように大きな溜息が零れる。
休憩時間。どっかと椅子に座り込んだ私は、そのまま机に突っ伏して反省タイム。
あの時はああで、あんな時にはこうで、と頭の中でぐるぐる考える。
考えれば考える程、修正点ばかりが浮かんできてしまう。反省の坩堝だ。
「お疲れ様でした、雫さん。よろしければこちら、まかないにどうぞ」
差し出されたのは、小さく切り取られたチーズケーキ。この店一番の売れ筋商品だ。
製作は珠子さん。マスターさんの祖母で、先代『淡海』の店主だったお人だ。
隣には、あのブレンドも並んでいる。
「わ、ありがとうございます!」
これが目的だった、とまでは言わないけれど、初日にまかないが振舞われてからこっち、休憩時間のこれは楽しみで仕方がない。頑張れる理由の一つだ。
珠子さんの手作り菓子は、それはそれは上品な味わいだ。ただ甘い、ただ美味しいといった次元ではない。とても優しい口溶けで食べやすく、けれどもその満足感は損なわれていない。
これぞスイーツの終着点、などと言ってしまっては方々から怒られそうなものだけれど、そう思ってもいいくらい、味と満足感、くどく無い腹持ちのバランスが、完璧に取れている。
ちなみに言うと、初日のまかないはブラウニー、二日目はフォンダンショコラだった。
休憩時間に食事でないのは、食事かスイーツどちらが良いかと問われる度、私がスイーツを選んでいるから。がっつり一食たべてしまって、その後に眠くなってはいけないから、と思ってのことだ。
突き立てたフォークは、聊かの反発の後、するりと皿まで滑り落ちていった。
表面はしっかりと固まり、中はふんわり。
一口運べば、ほら。
「んーーーー! 美味しい! やっぱり絶品ですね」
『甘さ』という名の幸せが、口一杯に広がりました。
「ふふっ。雫さんは本当に美味しそうに召し上がられますね。見ているこっちまで幸せな気分になりますよ」
「いやいや、マスターさんも食べてみれば分かりますって! ほんと、冗談抜きで美味しいんですから!」
「ええ、痛い程によく分かっていますよ、それは。何せ、味見役と称してざっと百回は、私の胃袋に収まっているのですから。今のその味がある功績の半分は、助言をした私だと言っても過言ではありませんよ? ふふっ」
「あっ、そ、そうですよね、あはは」
それはそうだ。味見役で百回程でなくとも、嫌いでないなら、この味は自然と食べていて当然だ。
恥ずかしい。
照れ隠しに笑い飛ばして、二口、三口。
噛めば噛むほど、味わえば味わう度、少しも損なわれることなく訪れる幸せの味。
常連さんは、こんなものをよく食べているんだ。
「さてと――雫さんは、時間までしっかりと身体を休めていてくださいね。午後はもっときつい修練が待ち受けていますから」
「えっ、午前中より…!? そんな、大名行列でも来るんですか!? いや常連行列!? そんな大群、私にはまだまだ――」
「冗談です」
ふんわり笑顔は壊さぬまま、マスターさんは言い放つ。
なんだ。冗談か。
大きな吐息とともに、遠慮なく胸を撫でおろす私を見て、マスターさんは小さくぷっと吹き出した。
「午後は、ご新規さんさえ多くなければ、通常かそれ以下程度の客入りだろうと思いますから、気軽に構えてもらえれば」
「そうですか……い、いえ、少しだとしてもご新規さんが来るなら、気は抜けません…! 頑張ります!」
「ふふっ。気を張り過ぎて、倒れないようにね。それじゃあ、私は先に戻ります」
短く言うと、マスターさんは今し方入って来て閉めたばかりの扉を開き、外へと繰り出した。
「え、も、もうですか……? いつも、あまり休んでいませんよね?」
「慣れてしまいましたし、ほら、私は店主でしょう? 帳簿等の事務仕事もやらなくてはいけませんから。休憩時間、仕事が終わった夜間、あるいは開店前の早朝といった隙間時間を見つけて少しずつでも処理していかないと、まるで追いつかないのですよ。昨日今日だと特に、つゆさん特訓スペシャルメニューの為にいっぱい呼んでしまっていますから」
「な、なるほど……すみません」
育てる為とは言え、私一人の為に仕事が増えてしまっていることが何だか申し訳なくて、思わず謝罪の弁を述べてしまう。
「つゆさんが謝ることではありません。自分で勝手にやったことですから。自業自得、木乃伊取りが木乃伊になっただけですよ」
ふわりと微笑んで、マスターさんはそのまま扉を閉めようとする。
「あ、あの…!」
店を継ぐわけでもないのだから、何かの参考になる訳でもない。
けれども、ただここで甘い物を食べているというのも、何だか違う気がして、気が付けば、私はマスターさんを呼び止めていた。
「はい?」
振り返るマスターさん。
私は思い切って尋ねた。
「えっと……帳簿作業、近くで見てても良いですか?」
一瞬間、どういうことかといった風にきょとんとしていたマスターさんだったけれど、すぐに優しく微笑むと、
「ええ、もちろん」
短く言って、私のことを手招いた。
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