別れの曲

石田ノドカ

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第3楽章 『calando』

3-5.ここから

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 お腹が大きくなり始めた頃から、美那子は仕事を一時休止とした。
 そうなってからは第一に、美那子はまず涼子にその旨で謝りを入れた。夫である仁三がカバーに入るような場面であろう事までも、これからは全て涼子へと回ることになるからだ。
 出来ることは極力するつもりだが、と続ける美那子に、涼子は優しく、好きでやっていることだから、と笑って頷いた。
 それは気遣いでも何でもなく、ただ本心からの言葉であった。
 自身はこれほどまでに恵まれていたのかと噛み締めつつ、検査などで産婦人科に通いながら、出来るだけ身体を休めた。

 しかし、一難去ってから訪れるものは、決まって次の一難。
 それは、妊娠三十五週を過ぎた頃のことだった。

 発熱、子宮付近の圧痛といった身体の不調を訴えた美那子は、名の知れている医師の元へと入院することとなった。
 そうして運ばれてすぐに、助産師が胎児の心音を聴いたところ、確かに元気に聴こえはするものの、それは双子にしては小さいのではないだろうかと違和感を覚えた。
 まるで、一つしか聴こえないかのように――最悪の事態を恐れ、すぐに超音波検査を行ったところ。
 程なくして、片方の胎児が死亡していることが確認された。





 陽和を産むことは叶ったが、産後で消耗し切っていること、そして何より悲しい現実に、美那子は心身ともにやられてしまった。
 最低限、陽和の世話はしつつ、頼れるところは全て、自分から涼子に頼るようにもなってしまった。
 子育てについては知らないことだらけだったが、元が典型的な天才型である美那子は、あまり努めて知ろうとしなかった。
 対して涼子は、努力努力でしか自身を表現出来ない凡人だ。
 だからこそ、知識や技術といった、子育てのいろはには貪欲になり、美那子に代わって、陽和の世話をする機会も自然と多くなった。

 そんな風にして日々が浪費されていた、ある時のこと。
 自身と似通った境遇にいる親が出演するドキュメンタリー番組をたまたま目にしたことがきっかけで、美那子は、これでは駄目だと思い至った。
 陽和は疑いようもなく自身の子であり、愛した相手との間に授かった、何にも代えられない宝なのだ。
 番組が終わったその瞬間から、美那子は一から涼子に教わって、子育てに対し積極的な姿勢へと変わっていく。
 全てを乗り越えた訳ではない。これからがその命のスタートだと言うのに、それをひとつ、失くしてしまったのだ。
 けれども、その半身である陽和は確かに生きていて、その手で触れられるところにいて、同じ空気を吸って生きている。
 それを捨て置いて自分ではない者に任せきりなど、光を見ることも出来ないままに亡くなってしまった息子にも、申し訳が立たないというもの。
 我が子に、仁三に、涼子に、そして自分自身に胸を張って生きていけるように。
 美那子は、持てる力の全てを使って陽和を育てようと、自身を根底から作り替えていった。
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