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第三章
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──九月。
残暑が残り、まだ少しの熱を帯びた風が吹く。午前の空を覆うように、雲が隙間なく浮かんでいる。
「お、押すよ」
彰太が実家のチャイムのボタンの前に人差し指を出し、隣に立つ一翔を見る。うん、と一翔が頷く。
「ほ、ホントに押すよ」「うん」とのやり取りは、実は五回目だったりする。
『来月のどこかの休日に、実家に行こうと思うんだ。──一翔と一緒に』
兄の琉太に電話したのは、先月のこと。琉太はそうか、と嬉しそうに答え『オレも行っていいか?』と訊ねてきた。
『うん。出来れば、瑠花さんも』
『──わかった。予定を聞いたら、すぐに連絡する』
通話が切れ、それから数分としないうちに琉太からラインがきた。一翔が横で見守る中、彰太は続けて母親に電話をかけた。
みんなに、おれの大切な人を紹介したい。と。
それからの数日間はよく眠れなくなり、夜中に目が覚めることもしばしば。一翔はその度、大丈夫だよと優しく慰めてくれた。新幹線の中では震えが止まらず、逃げ出したい気持ちで押し潰されそうだった。これからみんなにゲイであることを打ち明ける自分が、まるで想像出来なかった。
実家に着くと、見覚えのある車が止まっていた。琉太の車だ。瑠花と結婚した琉太には、三歳になる娘の瑠里がいる。車の後部座席にはチャイルドシートがあり、彰太は、はっとした。
(……さ、三歳の姪にも、ゲイだってばれるんだ)
さすがにまだ意味はわからないだろうが、だからこそ、まだ純粋な姪に知られるのは嫌だと顔面蒼白になった。
「彰太? 大丈夫?」
隣から心配そうに一翔が覗き込む。彰太はぐっと奥歯を噛みしめ「大丈夫」と顔を上げた。
もう決めたんだ。全部打ち明けるって。例えば一度で受け入れてくれなくても、諦めたりしない。一翔が傍にいてくれるなら、何だって頑張れるから。
そして六回目の「押すよ」「うん」とのやり取りのあと、チャイムを押す前に、何とも言えない顔をした琉太が「……やっぱり」と、玄関から出てきた。
「うわ!」
「あ、琉太さん。こんにちは」
驚く彰太をよそに、一翔は冷静に挨拶をする。琉太は「おう」と答え、玄関から二メートルほど先にある門扉を開けた。
「みんな揃ってるぞ」
琉太の言葉に、彰太が改めて全身を硬直させた。琉太は「よく決心したな」と彰太の頭を撫で、一翔には「ここまで連れてきてくれて、ありがとな」と笑った。
中に入ると、リビングのテーブルを囲うように、両親と瑠花がいた。幸いにも、瑠里はソファーで眠っており、彰太が少しほっとするも。
「しょうちゃん。お帰りなさい。えと、そちらの方は……?」
真っ先に口を開いたのは、母親だった。父親は怪訝な顔をしていたが、瑠花は僅かに首を傾げていた。
「……あら? あなた、何処かで」
琉太は「数年前に一度、会ってるよ。駅前で」と言った。もう何年も経っているのに、よく覚えていたものだと感心した。単に、目が覚めるほどのイケメンだったから、記憶に残っていたのかもしれないが。
「はじめまして。白沢一翔と申します」
にっこりと挨拶をする一翔。母親と瑠花が困惑しながらも「こ、こんにちは?」と頬を赤く染める。父親は「彰太のお友達か?」と、彰太に視線を向けた。
彰太はびくっと肩を揺らし「あ、あの」と、一翔のシャツの端を無意識に掴んだ。
「ち、違くて。友達じゃなくて」
声が掠れる。全身が震える。背中に、冷たい汗がいくつも流れる。三つの視線から逃れるように、顔をうつ向かせた。続けなければいけない言葉が出ない。
怖い。怖い。
そのとき。シャツを掴む手が、そっと手のひらで包まれた。右隣を見上げると、一翔の優しい笑顔とぶつかった。一翔は前に向き直り「彰太さんと、お付き合いをさせて頂いています」と頭を下げた。
混乱しながら、母親と父親が顔を見合わせる。瑠花は「えと、どういう」と頭に疑問符を浮かべていた。
彰太はきつく唇を噛みしめ、覚悟を決めた。
「──おれ、ゲイなんだ」
顔を上げ、みんなを見渡す。
「男の人しか好きになれない、ゲイなんだ。一翔は友達じゃなくて、恋人だよ。みんなに紹介したかった、おれの大切な人は一翔なんだ。ずっと隠してて、ごめんなさい」
普通じゃなくて、ごめんなさい。
頭を下げる。ズボンを握る手が震えた。
言ってしまった。
みんながどんな表情をしているのか、怖くて頭を上げれない。
「父さん、母さん。瑠花も。これだけは知っておいてほしい。彰太は、こいつと──一翔と一緒にいるときが、一番幸せそうなんだ」
左隣から響く、琉太の声。いつだって味方でいてくれた、たった一人の兄。その存在に、今さらながら泣きそうになった。
「幸せなんだよ、彰太は。それだけは否定しないであげてほしい。そしてオレは、彰太が幸せなら、それでいいと思っている。みんなはどう思う?」
しん。
室内は、水を打ったように静まり返った。
残暑が残り、まだ少しの熱を帯びた風が吹く。午前の空を覆うように、雲が隙間なく浮かんでいる。
「お、押すよ」
彰太が実家のチャイムのボタンの前に人差し指を出し、隣に立つ一翔を見る。うん、と一翔が頷く。
「ほ、ホントに押すよ」「うん」とのやり取りは、実は五回目だったりする。
『来月のどこかの休日に、実家に行こうと思うんだ。──一翔と一緒に』
兄の琉太に電話したのは、先月のこと。琉太はそうか、と嬉しそうに答え『オレも行っていいか?』と訊ねてきた。
『うん。出来れば、瑠花さんも』
『──わかった。予定を聞いたら、すぐに連絡する』
通話が切れ、それから数分としないうちに琉太からラインがきた。一翔が横で見守る中、彰太は続けて母親に電話をかけた。
みんなに、おれの大切な人を紹介したい。と。
それからの数日間はよく眠れなくなり、夜中に目が覚めることもしばしば。一翔はその度、大丈夫だよと優しく慰めてくれた。新幹線の中では震えが止まらず、逃げ出したい気持ちで押し潰されそうだった。これからみんなにゲイであることを打ち明ける自分が、まるで想像出来なかった。
実家に着くと、見覚えのある車が止まっていた。琉太の車だ。瑠花と結婚した琉太には、三歳になる娘の瑠里がいる。車の後部座席にはチャイルドシートがあり、彰太は、はっとした。
(……さ、三歳の姪にも、ゲイだってばれるんだ)
さすがにまだ意味はわからないだろうが、だからこそ、まだ純粋な姪に知られるのは嫌だと顔面蒼白になった。
「彰太? 大丈夫?」
隣から心配そうに一翔が覗き込む。彰太はぐっと奥歯を噛みしめ「大丈夫」と顔を上げた。
もう決めたんだ。全部打ち明けるって。例えば一度で受け入れてくれなくても、諦めたりしない。一翔が傍にいてくれるなら、何だって頑張れるから。
そして六回目の「押すよ」「うん」とのやり取りのあと、チャイムを押す前に、何とも言えない顔をした琉太が「……やっぱり」と、玄関から出てきた。
「うわ!」
「あ、琉太さん。こんにちは」
驚く彰太をよそに、一翔は冷静に挨拶をする。琉太は「おう」と答え、玄関から二メートルほど先にある門扉を開けた。
「みんな揃ってるぞ」
琉太の言葉に、彰太が改めて全身を硬直させた。琉太は「よく決心したな」と彰太の頭を撫で、一翔には「ここまで連れてきてくれて、ありがとな」と笑った。
中に入ると、リビングのテーブルを囲うように、両親と瑠花がいた。幸いにも、瑠里はソファーで眠っており、彰太が少しほっとするも。
「しょうちゃん。お帰りなさい。えと、そちらの方は……?」
真っ先に口を開いたのは、母親だった。父親は怪訝な顔をしていたが、瑠花は僅かに首を傾げていた。
「……あら? あなた、何処かで」
琉太は「数年前に一度、会ってるよ。駅前で」と言った。もう何年も経っているのに、よく覚えていたものだと感心した。単に、目が覚めるほどのイケメンだったから、記憶に残っていたのかもしれないが。
「はじめまして。白沢一翔と申します」
にっこりと挨拶をする一翔。母親と瑠花が困惑しながらも「こ、こんにちは?」と頬を赤く染める。父親は「彰太のお友達か?」と、彰太に視線を向けた。
彰太はびくっと肩を揺らし「あ、あの」と、一翔のシャツの端を無意識に掴んだ。
「ち、違くて。友達じゃなくて」
声が掠れる。全身が震える。背中に、冷たい汗がいくつも流れる。三つの視線から逃れるように、顔をうつ向かせた。続けなければいけない言葉が出ない。
怖い。怖い。
そのとき。シャツを掴む手が、そっと手のひらで包まれた。右隣を見上げると、一翔の優しい笑顔とぶつかった。一翔は前に向き直り「彰太さんと、お付き合いをさせて頂いています」と頭を下げた。
混乱しながら、母親と父親が顔を見合わせる。瑠花は「えと、どういう」と頭に疑問符を浮かべていた。
彰太はきつく唇を噛みしめ、覚悟を決めた。
「──おれ、ゲイなんだ」
顔を上げ、みんなを見渡す。
「男の人しか好きになれない、ゲイなんだ。一翔は友達じゃなくて、恋人だよ。みんなに紹介したかった、おれの大切な人は一翔なんだ。ずっと隠してて、ごめんなさい」
普通じゃなくて、ごめんなさい。
頭を下げる。ズボンを握る手が震えた。
言ってしまった。
みんながどんな表情をしているのか、怖くて頭を上げれない。
「父さん、母さん。瑠花も。これだけは知っておいてほしい。彰太は、こいつと──一翔と一緒にいるときが、一番幸せそうなんだ」
左隣から響く、琉太の声。いつだって味方でいてくれた、たった一人の兄。その存在に、今さらながら泣きそうになった。
「幸せなんだよ、彰太は。それだけは否定しないであげてほしい。そしてオレは、彰太が幸せなら、それでいいと思っている。みんなはどう思う?」
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