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『もしもし? 雪野ゆきの、どうした?』

 ドクン。

 心臓が大きく跳ねた。

 優斗だ。

 本物の。

 覚悟していたはずなのに。
 平気だと思っていたのに。

 やっぱり心が揺らぐ。

 それほど月日は経っていないはずなのに、何年か越しに聞いたような錯覚を覚える。

 思い出の中の優斗と同じ。
 優しくて、綺麗な音。

 でも、その声は今目の前にいる、雪野という女の人の名を呼んでいる。もう、自分の名を呼んではくれないのだ。

 そんな現実を目の当たりにし、目の奥がふいに熱くなった。でも、今はそんな場合ではない。優斗の大切な人が、大変な目に合ったのだ。

 自分の感情など、今はどうでもいい。
 璃空はぎりっと、唇を噛みしめた。

「……大学の、記念館の2階にすぐ来てあげてほしい。彼女、男たちに襲われかけたんだ。怖くて、泣いてる」

 一気に捲し立て、電話を切った。声で自分だと分かるのも、分かってもらえないのも、どちらも嫌だったから。

 ほんの一瞬。

 スマホを見つめた。
 もう二度と聞くことのない優斗の声を想った。

 スマホを雪野の手の中に返すと、璃空は立ち上がった。

「あいつらもう来ないと思うけど。念のため、彼氏が来るまでここにいるね」

 雪野が、何か言いたそうに小さく口を開いた。だが言葉は発さないまま、小さくコクンと頷いた。

 2階の窓から、正門を見下ろす。

 辺りはもう暗く、均等に並ぶ街灯が、微かに道を照らす。数分と経たないうちに、見覚えのある自転車に乗る人影を見つけた。

 大学の正門近くにあるパン屋の前を通り過ぎる。誰か、なんて確認するまでもない。

 優斗のことなら、どんな人混みでもすぐに見つけられる。それは今でも変わらない。

 それにしても、早い。あんな速度で自転車をこぐ優斗を、はじめて見た気がした。

(必死、だなあ)

 窓に手を置き、璃空が哀し気に笑う。

 当たり前だ。彼女が、好きな人が襲われそうになったと聞いて、必死にならない奴がどこにいる。

 璃空は雪野を振り返った。

 あと少しもしないうちに優斗はここに来る。逢うつもりはなかった。

「彼氏、来たみたいだから。おれもう行くね」

「あ、の……っ」

「ん?」

「あ、ありが、とう」

 いい子だ。
 そう思って、何故か少し、哀しくなった。

「いいよ。今は自分のことだけ、考えて」

 笑い、急いで階段を下る。記念館を出ると、裏門を目指した。

 必死に、足を動かす。大学を出ても、足は止めなかった。

 息が荒くなる。
 苦しい。
 それでも走った。
 走りながら思った。

 もう、あの手も、声も、体温も、全部彼女のものになってしまったのだと。

 桜の花びらが、道路の一面に広がっていた。木にはもう、葉が生い茂り、あの淡いピンクはほとんど残されていない。

 灯りに照らされないそれは、暗く、少し怖いとさえ感じる。



 春の終わりを感じた。
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