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自分

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  私の人生とはいかに無駄で己の欲のために生きた日々だと四十路を前にしてしみじみと目の前の缶ビールを飲みながらふと思う。
 異性からの自分の見られ方、お金の使い方浅はかな考え… 自分とは何か?成功とはなにか?幸せとは?幸せな家庭とは?
 全てがぼんやりと分かるようで芯の部分ではそのどれもが抽象的かつハッキリとしたビジョンは何一つない。
 それが私だと思う。
 毎日の仕事…同僚、部下、上司それぞれの人々が私の評価は賛否ある人間である。
 私は決して仕事のできない人間ではない。
 かと言って他者より優れているところとはない。強いて言うなら他の人よりほんの少しだけ運が良かったのか悪かったのか。今の現状に対し不満はあるがそれは全て自分が冒頭に書いた生き方をしてきたらからくるもので外的な要因ではない。
 全ては自分の生き方…
 いや生活…
 性分なのだと思う。
 文章が果たして他者に伝わるのか?それすらも曖昧なまま今この文章を書いている。
 文章と呼べるものかすら怪しい…
 自分は他者より優れていたい。
 特別な人間でありたい。
 成功したい。
 周りの成功者の話を聞いて猿真似をしようとしたり、しようと思ってもそこまでの行動力もなく自分の今のやるべき事をわかっていても完璧にはこなせない。
 社会の歯車になりたくないと小さな会社で売り上げを上げることが自分の中での唯一の存在価値と思っている。
 しかし会社の歯車になりたくないのではなく歯車にすらなれなく傷つき泣いた日もあった。こんな私だが唯一救われているのは楽観的な性格だろう。明日もし余命が残り一年と聞いても、やり残したことの後悔、家族への今までも謝罪沢山の後悔があるとは思うが、きっと数ヶ月で死んで逃げると言うことの方が楽なのかも知れないという考えが生まれるのだろうと思う自分がいる。責任、プレッシャーが好きな自分、弱く全てから逃げたい自分、何かあった時に逃げ道を探してしまう自分。
 私はそもそもが人を好きになる気持ちに欠如があるのかもしれない。
 永遠の愛…
 人を裏切らない…
 嘘をつかない…
 そんな人間がいるのだと思うと何故自分がそういう人間になれなかったのかという葛藤に悩むこともある。
 でもそれに関しては自分なりに答えが出ている。嘘をついてそういう人間になろうとしている自分がいることを知っているからだ。
 この先の人生がいつまで続くのか、分からない。しかし私はこの自分と死ぬまで付き合わなくてはいけない。
 私の根本を治すには幾つの頃まで遡ることができれば良かったのか?私はきっとどんな生い立ちを歩んでも、きっと今の自分であったと思う。それは生まれ持った性格は環境に変化されることはないと思っているからだ。
立派な両親、家柄、そんなものがあったら私の見栄や欲望はより大きなスケールなものに置き換わるだけで根本は変わらないと思う。
 なので私は今の自分を自分の置かれている環境、状況にあわせ身の丈にあった生き方をしなくてはいけないのだと。

 もし次の人生が…輪廻転生があるとしたら私は正直者に生まれたい。
 そして恥が極力少ない立派な人間に生まれたい。
 家族だけを愛し、他者を気遣い、人を傷つけず寒い夜に母親にかけてもらう毛布のような人になりたい。
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