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第6章
第27話 勇者になる為に必要なこととアナタだけにしか出来ないこと
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「「「ギャァアアオオオオアアアア!!!」」」
―――ゴァアアアアアアア!!
「畜っ、生ぉおおおあああああ!!!!」
ダクトを始めとした講師達は自分達を取り囲む3体の『デス・レッドドラゴン』の吐き出す火炎から自らと生徒達の身を守るために『氷の壁』や『防御壁』を展開し続けていた。
ほんの少しでも身体に燃え移ってしまえば二度消すことのできない炎を遮断する為に、どうしても巨大なサイズの壁を造らざるを得ず、その分魔力の消費も増大してしまうのだった。
その所為で他の講師に応援の交信をかける余力すらない。
だが、ドラゴンも永遠に炎を吐き出し続けているわけではない。
息切れの瞬間は確かにあり、その隙に『デス・レッドドラゴン』を倒す……それが出来ずともこの包囲から脱するくらいは出来るはずである。
だが――
「ウォオオオォオォ………!!」
「キシャァアアアアァ………!!」
「くそがぁ……!!
あいつら、一体どこから現れやがったんだ……!!」
そう……コーディス達と同じく、講師陣の手により片づけられたはずの魔物の群れが再び出現していたのだ。
この魔物達は『デス・レッドドラゴン』が炎を吐いている時は巻き込まれないように距離を取っているが………ひとたび炎が止めば容赦なく襲い掛かってくるだろう。
先程までは難なく撃退することが出来ていた魔物の群れも、ドラゴンの炎を防ぐ『壁』を作り出す為に消耗した状態で相手をするのは余りにも厳しい。
これではこの場から移動することもままならないだろう。
3体の『デス・レッドドラゴン』に信じられねぇ数の『ロック・リザード』『ヘルハウンド』『ハーピィ』の群れ……!!
こんな最悪な場面、俺の現役時代でも見たことがねぇぞ!!
くそったれ!!!
ダクトはこの余りにも理不尽な状況に心の中で悪態をついた。
彼の長年の勘は……これは『詰み』だと告げていた。
それでも………まだ諦めるには早ぇ……!
ここに居る戦力だけでは確かに厳しいかもしれない。
しかし、外部からの助けがあれば話は別だ。
なんとかこのまま耐え続け、救援が来るまで持ちこたえれば……!
だが………この状況におけるダクトの一番の懸念事項は……
『デス・レッドドラゴン』や魔物の群れそのものではなかった……
「ひっ、ひっ……ひぃっ………」
「たっ、助けて………!
神様っ…………!」
「っ!!」
ダクトの耳に、生徒達の縋りつくような声が入り込んでくる。
彼にはそれが炸裂寸前の爆弾のように感じられた。
この極限状態……いつ生徒達の緊張の糸が切れてもおかしくない。
もし一人でも生徒が錯乱状態になり、ここから飛び出した挙句、『デス・レッドドラゴン』の炎に巻かれるか魔物の群れの餌食にでもなったりしたら―――
恐怖は恐怖を呼び、混乱は混乱を助長し———
間違いなく、この場は崩壊する……!
なんとか救援が来るまで大人しくしててくれよ、ガキ共……!!
だが……長年、最前線で部隊の指揮を執っていた彼の勘は……
恐らくそう長くは持たないだろうと、冷静に判断していた……
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「フィル………!
フィルゥ………!」
果たして普段の彼女を知っている者が、彼女がキュルル=オニキスだと言われて信じられるであろうか。
力なく地面にへたり込み、震えながら肩を抱き、瞳の端に涙を見せる彼女の姿は……もはや体色以外はただの無力な少女にしか見えなかった。
「一体どうしたというんですの!?オニキスさん!!」
フィルに……フィルに一体何があったというのですか!?」
恐らくキュルルのこの姿に最も戸惑いを抱いているであろう相手、アリスリーチェが狼狽を顕わにして彼女に詰め寄った。
幾度となく言い争い、ぶつかり合ってきた彼女だからこそ、このキュルルの異常が何か途轍もない事態を表していることが分かるのだった。
「分かん………ない………!
でも……このままじゃ……フィルが……
『居なく』なっちゃうのが……分かっちゃうの……!
凄く……嫌な感じが……ボクの中で………
広がってきて………ううぅぅぅ………!」
「っ………!」
一体何が……と、困惑していたアリスリーチェは――― 一つの可能性に思い至った。
フィルの身体の中にはキュルルの分身ともいえる欠片達が宿っている。
その欠片を介して……フィルの身に何かが起きていることを、キュルル本体に伝えている……?
では、それは一体何か……?
具体的には分からない……
しかし………このキュルルの様子からは……
フィルは……とても危険な状態にあるということが、ありありと伝わってくる……!
フィルが、『居なく』なる……
それは、つまり……
「フィルが………死ぬ…………?」
自ら言葉にしてしまったその具体的な結果に、アリスリーチェは思わずめまいを覚えた。
しかも、今フィルの元にはスリーチェもいる。
フィルが危機的状況にあるというならば、彼女は……?
アリスリーチェは、自分の周りの世界が急速に遠のいていくような感覚に襲われた―――
そして……キュルルもまた、自らの存在の喪失に等しい恐怖に襲われていた。
今の彼女にとって、5年前のフィルとの誓いこそが自らのアイデンティティ……存在意義とさえ言える。
フィルがこの世界から居なくなるということは―――
彼女にとって、自分というものを失ってしまうも同然だった―――
2人の少女が、制止した世界に取り残される―――
「ほっ!炎が止んだ!!
い、今の内にっ!!ここからっ!!
ここから逃げるんだぁっ!!」
「ばっ!!よせぇ!!
魔物の群れに集中的に狙われるぞ!!
おい!!戻れぇええええ!!」
その1人の生徒の悲鳴にも似た叫びと、慌ててその生徒を呼び止めるダクトの声に、アリスリーチェはハッと我に返ることが出来た。
彼女の身に宿る貴族として矜持が、このまま無為に時間を過ごすことを許さなかったのだろうか。
しかし……それだけだった。
彼女は、そこから自分が何をするべきかを見出せずにいた。
―――どたっ!どたっ!どたっ!
「ウォオオォォオオオォオ!!」
「キシャァァアアアアアァァァ!!!」
「ひっ!?ひいあああああああああ!!」
「馬鹿野郎ッ……!!くそぉおおお!!!」
講師が警告した通り、あっという間に逃げ出そうとした生徒の元に魔物の群れが襲い掛かり、ダクトはやむなくその生徒の元へと救助に走る。
「おいお前!!早く戻れ!」
「ひっ、はっ……!!」
既に残り半分以下を切った魔力で何とか魔物の群れを相手取るダクトは生徒に向かって声をかけるも、生徒は震えたままその場から動けずにいた。
恐怖によりもはや身体が言うことを聞かなくなってしまったようだ。
その光景に、他の生徒達にも恐怖が伝わっていく……
もし、今ダクトとあの生徒が犠牲になりでもしたら……
ダクトの懸念していた、崩壊が始まってしまうだろう……
そして、アリスリーチェはそんな状況で何とか思考を働かせてみせた。
この状況でするべきことはとにかく場を落ち着かせることだ。
この場の崩壊の気配は彼女も察している。
その為にはダクト先生とあの生徒を救助し、最悪の事態を防がなくては。
ガーデン家として、勇者として、やるべきことは明白だ。
そう思案する一方で―――
フィルとスリーチェが危機に陥っている……!
その事実が、彼女の思考力を奪う。
2人の場所さえ不明な以上、考えても仕方のない事だというのに、それでもどうしても思考が引っ張られてしまう。
かつて自分を命を懸けて救ってくれた人。
自分の身を案じてここまで来た妹。
今すぐ助けに向かわなければ。
しかし、どうやって。
そんな考えに囚われてるうちに―――
「ギュアア………!!」
「っ!!不味い!!
ダクト先生!!炎が来るぞおおおおお!!」
再び炎を吐く予備動作を見せた『デス・レッドドラゴン』の姿に他の講師からの絶叫が響く。
だが、ダクトと生徒の元には未だ魔物の群れが襲い掛かり続けている―――!
そして―――
「ギャァアアァァァアアア!!!」
―――ゴォアアアアアアア!!
「―――――――っ」
その炎は―――
襲い掛かっていた魔物の群れごと――
ダクトと生徒を飲み込む―――
その直前――――!
「《アクア・シールド》!!!」
巨大な『水の盾』がダクトと生徒の前へ展開され、炎を防ぎ切る!
「ウォッタ!?」
その声と『魔法名』に、アリスリーチェがハッ!と声を上げた。
彼女のお付きの1人、ウォッタが主の元を離れダクト達の前へと立ち、両腕を前へ突き出し魔法を発動させている。
それは……あり得ないはずの光景だった。
平時ならばともかく、この明らかな異常時……
アリスリーチェの命を守ることが何よりも優先事項である彼女達が、主の傍を離れ他者の救助を優先させることなど、普通ならばあり得ないのだ。
ましてや水魔法の使い手であるウォッタはたった今証明してみせたように『デス・レッドドラゴン』の炎を防ぐ術を持つ者だ。
間違っても主に炎が触れることなどないように何がなんでもアリスリーチェの傍に身を置いていなければならないはずだ。
その彼女が、命令もなしに他者にその身を投げうっている。
アリスリーチェがその事実に当惑していると―――
「お2人とも、下がりますよ!
《ガスト・ブースト》!!」
「お、お前―――うおっ!?」
今度はカキョウが素早くダクトと腰を抜かしている生徒を抱え、その場から脱する!
そして―――
「《サンダーボルト・ストライク》!!」
最後の1人、ファーティラが空高く掲げていた右手を振り下ろすと―――
―――ピシャァアアアア!!!
「ギャオアアアッッッ!!!???」
右手から放たれた雷撃が上空で弧を描き、『デス・レッドドラゴン』へと舞い落ちる!
「くっ……痺れさせはしたものの致命傷にはならないか……!
だが今のうちにお前も戻れ!ウォッタ!!」
「はぁ……はぁ……!
はいっ……!!」
雷撃により『デス・レッドドラゴン』の炎を中断させ、ウォッタをこちら側へ戻らせた。
「お、お前達……!」
「我々も援護にまわります!
「私の水魔法は防御よりも拘束の方が得意です……!
炎の防御はやはりダクト先生のお力が必要になりますが……魔物の群れの相手は私達が引き受けます!」
「………ああ!分かった!
助かるぜ!!」
そう言うとダクトは再び炎を吐き出そうとする『デス・レッドドラゴン』に対し、『氷の壁』を生成するのであった――
それを確認すると、ファーティラはアリスリーチェへと向き直る。
そして、彼女の目を正面から見つめ、言った。
「アリスリーチェ様、どうかお行きください。
貴女が今、行かねばならぬと思う場所へと」
「――――っ!?」
アリスリーチェは、目を見開き言葉を失った。
「この場は我々が引き受けます。
貴女は何もお悩みになる必要はありません」
「な、で、でも―――!!」
何処に行けばいいのか、何をすればいいのか―――
なにより、ガーデン家の者が、『勇者』が、この場を放棄して行くなど―――
「『それ』は、きっと貴女が『勇者』になる為に必要なものなのです」
「――――――!!」
ファーティラは、主から一切の目を逸らさず、強い意志と共に言う。
「この場を守ることも、その『想い』を貫くことも、貴女が『勇者』になる為に必要なのです!
どちらも切り捨ててはならないことなのです!
そして、この場を守ることは我々でも出来ます!
だから!今、貴女が本当にやらねばならないと思うことを、どうか迷わずに!!」
「―――――――――――――っ」
アリスリーチェは―――
少しの間、目を閉じ―――開く。
「ええ……分かりましたわ!」
そして、考える。
ダクト先生の伝達魔法でコーディス先生に連絡をとり、フィルとスリーチェの居場所を――
いや、『氷の壁』で炎を防いでいる今の彼にそんな余裕はない。
どうにか、今すぐ、フィル達の居場所を―――
「――――っ!」
アリスリーチェは、ある可能性に思い至った。
「オニキスさん!!」
「きゅ――――?」
アリスリーチェは声をかけた。
今も肩を抱き……瞳から光が失われつつある、その少女の形をしたスライムに。
キュルルは自分にかけられた声に反応を示すも、それは本当にただ反応しただけであり……そこには何の意思も感情も存在しなかった。
だが、次にかけられた言葉に―――
「フィルの元へ、案内してください!」
「えっ――?」
キュルルの目に、光が戻りかけた。
「アナタ、初めて勇者学園に訪れた際にこう言っておりましたわよね?
『なんでかは分かんないけど、フィルが近くに来たってのが分かった』と!」
「それ………は……………」
「おそらくアナタはフィルの中に存在するアナタの欠片を感じ取ることが出来るのです!
その力を使えば、フィルの居場所がわかるはずですわ!」
「で……でも、あの時は………!
本当になんとなく、近くに来たって分かっただけで……!
それで、ただ真っ先に目についたおっきな建物に向かってクロちゃんに運んで行ってもらっただけで……!
フィルの居場所が分かった訳じゃないんだよっ………!!」
「っ!!」
実際……学園の広場に降り立った後、キュルルはしばらくフィルの姿を探し回った。
フィルの正確な居場所までは分からなかったのだ。
「い、今だって……フィルが……『居なく』なっちゃうっていうのが……!
分かっちゃうだけで……!
ボクには……ボクには……
フィルの………居場所なんて―――っ!?」
アリスリーチェはキュルルの肩を掴み、引き寄せると―――
その目を睨みつけて、言った。
「どうして諦めてしまえるんですの!?」
「――――っ!!」
「アナタは遠く離れているフィルの危機を察知することが出来る!
何故それ以上出来ないと!!
そんな風に諦めてしまえるんですの!?
何故そこで、フィルの元へ行かなくてはと!!
そう思えないんですの!!??」
「きゅっ――――!!」
「これはアナタしか!!
アナタだけにしか出来ないことなのですよ!?
アナタには何か分かりませんの!?
居場所でなくでも、フィルのことを、何か!!
フィルがどうなっているのか!!
フィルが何を考えているのか!!」
「フィルが―――どうなって――――?」
そうして、改めてキュルルは考える。
今、自分の中にはとても嫌な感覚が、広がり続けている。
このままではもうすぐフィルが『居なく』なってしまうという嫌な感覚が、ずっと。
そう、『ずっと』だ。
『もうすぐ』居なくなるという感覚が、『ずっと』
フィルは今、とてつもなく危機的な状況にある事は間違いない。
けど、『居なく』なってしまうという感覚が続いているということは―――
フィルはまだ、『居る』ということ。
まだ、生きている。
とてつもなく危機的な状況で、彼は―――生きている。
彼は―――抗っている!!
『死』から!!!
「フィルは……まだ、『居なく』なってない……!
フィルは……諦めていない!!
フィルはずっと……戦ってる!!!」
「――――!!
だったら!!!」
「だったら!!ボクも!!!」
戦わなきゃ!!!
「フィルーーーーーーッッッ!!!!!」
キュルルは叫び、目を瞑る―――
その暗闇の奥に、意識を集中させる―――
そして―――――!!!!
「分かった!!!!」
そう言いながら開いた彼女の目には、希望の光が宿っていた。
「フィルの場所!!分かる!!
分かるよ!!アリスリーチェ!!!」
「―――!!!
オニキスさん!!!」
「うん!!ボクは行く!!
フィルの元へ!!」
キュルルは、絶対の意志の元、叫ぶ!
「『居なく』なんて、させない!!!」
―――ゴァアアアアアアア!!
「畜っ、生ぉおおおあああああ!!!!」
ダクトを始めとした講師達は自分達を取り囲む3体の『デス・レッドドラゴン』の吐き出す火炎から自らと生徒達の身を守るために『氷の壁』や『防御壁』を展開し続けていた。
ほんの少しでも身体に燃え移ってしまえば二度消すことのできない炎を遮断する為に、どうしても巨大なサイズの壁を造らざるを得ず、その分魔力の消費も増大してしまうのだった。
その所為で他の講師に応援の交信をかける余力すらない。
だが、ドラゴンも永遠に炎を吐き出し続けているわけではない。
息切れの瞬間は確かにあり、その隙に『デス・レッドドラゴン』を倒す……それが出来ずともこの包囲から脱するくらいは出来るはずである。
だが――
「ウォオオオォオォ………!!」
「キシャァアアアアァ………!!」
「くそがぁ……!!
あいつら、一体どこから現れやがったんだ……!!」
そう……コーディス達と同じく、講師陣の手により片づけられたはずの魔物の群れが再び出現していたのだ。
この魔物達は『デス・レッドドラゴン』が炎を吐いている時は巻き込まれないように距離を取っているが………ひとたび炎が止めば容赦なく襲い掛かってくるだろう。
先程までは難なく撃退することが出来ていた魔物の群れも、ドラゴンの炎を防ぐ『壁』を作り出す為に消耗した状態で相手をするのは余りにも厳しい。
これではこの場から移動することもままならないだろう。
3体の『デス・レッドドラゴン』に信じられねぇ数の『ロック・リザード』『ヘルハウンド』『ハーピィ』の群れ……!!
こんな最悪な場面、俺の現役時代でも見たことがねぇぞ!!
くそったれ!!!
ダクトはこの余りにも理不尽な状況に心の中で悪態をついた。
彼の長年の勘は……これは『詰み』だと告げていた。
それでも………まだ諦めるには早ぇ……!
ここに居る戦力だけでは確かに厳しいかもしれない。
しかし、外部からの助けがあれば話は別だ。
なんとかこのまま耐え続け、救援が来るまで持ちこたえれば……!
だが………この状況におけるダクトの一番の懸念事項は……
『デス・レッドドラゴン』や魔物の群れそのものではなかった……
「ひっ、ひっ……ひぃっ………」
「たっ、助けて………!
神様っ…………!」
「っ!!」
ダクトの耳に、生徒達の縋りつくような声が入り込んでくる。
彼にはそれが炸裂寸前の爆弾のように感じられた。
この極限状態……いつ生徒達の緊張の糸が切れてもおかしくない。
もし一人でも生徒が錯乱状態になり、ここから飛び出した挙句、『デス・レッドドラゴン』の炎に巻かれるか魔物の群れの餌食にでもなったりしたら―――
恐怖は恐怖を呼び、混乱は混乱を助長し———
間違いなく、この場は崩壊する……!
なんとか救援が来るまで大人しくしててくれよ、ガキ共……!!
だが……長年、最前線で部隊の指揮を執っていた彼の勘は……
恐らくそう長くは持たないだろうと、冷静に判断していた……
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「フィル………!
フィルゥ………!」
果たして普段の彼女を知っている者が、彼女がキュルル=オニキスだと言われて信じられるであろうか。
力なく地面にへたり込み、震えながら肩を抱き、瞳の端に涙を見せる彼女の姿は……もはや体色以外はただの無力な少女にしか見えなかった。
「一体どうしたというんですの!?オニキスさん!!」
フィルに……フィルに一体何があったというのですか!?」
恐らくキュルルのこの姿に最も戸惑いを抱いているであろう相手、アリスリーチェが狼狽を顕わにして彼女に詰め寄った。
幾度となく言い争い、ぶつかり合ってきた彼女だからこそ、このキュルルの異常が何か途轍もない事態を表していることが分かるのだった。
「分かん………ない………!
でも……このままじゃ……フィルが……
『居なく』なっちゃうのが……分かっちゃうの……!
凄く……嫌な感じが……ボクの中で………
広がってきて………ううぅぅぅ………!」
「っ………!」
一体何が……と、困惑していたアリスリーチェは――― 一つの可能性に思い至った。
フィルの身体の中にはキュルルの分身ともいえる欠片達が宿っている。
その欠片を介して……フィルの身に何かが起きていることを、キュルル本体に伝えている……?
では、それは一体何か……?
具体的には分からない……
しかし………このキュルルの様子からは……
フィルは……とても危険な状態にあるということが、ありありと伝わってくる……!
フィルが、『居なく』なる……
それは、つまり……
「フィルが………死ぬ…………?」
自ら言葉にしてしまったその具体的な結果に、アリスリーチェは思わずめまいを覚えた。
しかも、今フィルの元にはスリーチェもいる。
フィルが危機的状況にあるというならば、彼女は……?
アリスリーチェは、自分の周りの世界が急速に遠のいていくような感覚に襲われた―――
そして……キュルルもまた、自らの存在の喪失に等しい恐怖に襲われていた。
今の彼女にとって、5年前のフィルとの誓いこそが自らのアイデンティティ……存在意義とさえ言える。
フィルがこの世界から居なくなるということは―――
彼女にとって、自分というものを失ってしまうも同然だった―――
2人の少女が、制止した世界に取り残される―――
「ほっ!炎が止んだ!!
い、今の内にっ!!ここからっ!!
ここから逃げるんだぁっ!!」
「ばっ!!よせぇ!!
魔物の群れに集中的に狙われるぞ!!
おい!!戻れぇええええ!!」
その1人の生徒の悲鳴にも似た叫びと、慌ててその生徒を呼び止めるダクトの声に、アリスリーチェはハッと我に返ることが出来た。
彼女の身に宿る貴族として矜持が、このまま無為に時間を過ごすことを許さなかったのだろうか。
しかし……それだけだった。
彼女は、そこから自分が何をするべきかを見出せずにいた。
―――どたっ!どたっ!どたっ!
「ウォオオォォオオオォオ!!」
「キシャァァアアアアアァァァ!!!」
「ひっ!?ひいあああああああああ!!」
「馬鹿野郎ッ……!!くそぉおおお!!!」
講師が警告した通り、あっという間に逃げ出そうとした生徒の元に魔物の群れが襲い掛かり、ダクトはやむなくその生徒の元へと救助に走る。
「おいお前!!早く戻れ!」
「ひっ、はっ……!!」
既に残り半分以下を切った魔力で何とか魔物の群れを相手取るダクトは生徒に向かって声をかけるも、生徒は震えたままその場から動けずにいた。
恐怖によりもはや身体が言うことを聞かなくなってしまったようだ。
その光景に、他の生徒達にも恐怖が伝わっていく……
もし、今ダクトとあの生徒が犠牲になりでもしたら……
ダクトの懸念していた、崩壊が始まってしまうだろう……
そして、アリスリーチェはそんな状況で何とか思考を働かせてみせた。
この状況でするべきことはとにかく場を落ち着かせることだ。
この場の崩壊の気配は彼女も察している。
その為にはダクト先生とあの生徒を救助し、最悪の事態を防がなくては。
ガーデン家として、勇者として、やるべきことは明白だ。
そう思案する一方で―――
フィルとスリーチェが危機に陥っている……!
その事実が、彼女の思考力を奪う。
2人の場所さえ不明な以上、考えても仕方のない事だというのに、それでもどうしても思考が引っ張られてしまう。
かつて自分を命を懸けて救ってくれた人。
自分の身を案じてここまで来た妹。
今すぐ助けに向かわなければ。
しかし、どうやって。
そんな考えに囚われてるうちに―――
「ギュアア………!!」
「っ!!不味い!!
ダクト先生!!炎が来るぞおおおおお!!」
再び炎を吐く予備動作を見せた『デス・レッドドラゴン』の姿に他の講師からの絶叫が響く。
だが、ダクトと生徒の元には未だ魔物の群れが襲い掛かり続けている―――!
そして―――
「ギャァアアァァァアアア!!!」
―――ゴォアアアアアアア!!
「―――――――っ」
その炎は―――
襲い掛かっていた魔物の群れごと――
ダクトと生徒を飲み込む―――
その直前――――!
「《アクア・シールド》!!!」
巨大な『水の盾』がダクトと生徒の前へ展開され、炎を防ぎ切る!
「ウォッタ!?」
その声と『魔法名』に、アリスリーチェがハッ!と声を上げた。
彼女のお付きの1人、ウォッタが主の元を離れダクト達の前へと立ち、両腕を前へ突き出し魔法を発動させている。
それは……あり得ないはずの光景だった。
平時ならばともかく、この明らかな異常時……
アリスリーチェの命を守ることが何よりも優先事項である彼女達が、主の傍を離れ他者の救助を優先させることなど、普通ならばあり得ないのだ。
ましてや水魔法の使い手であるウォッタはたった今証明してみせたように『デス・レッドドラゴン』の炎を防ぐ術を持つ者だ。
間違っても主に炎が触れることなどないように何がなんでもアリスリーチェの傍に身を置いていなければならないはずだ。
その彼女が、命令もなしに他者にその身を投げうっている。
アリスリーチェがその事実に当惑していると―――
「お2人とも、下がりますよ!
《ガスト・ブースト》!!」
「お、お前―――うおっ!?」
今度はカキョウが素早くダクトと腰を抜かしている生徒を抱え、その場から脱する!
そして―――
「《サンダーボルト・ストライク》!!」
最後の1人、ファーティラが空高く掲げていた右手を振り下ろすと―――
―――ピシャァアアアア!!!
「ギャオアアアッッッ!!!???」
右手から放たれた雷撃が上空で弧を描き、『デス・レッドドラゴン』へと舞い落ちる!
「くっ……痺れさせはしたものの致命傷にはならないか……!
だが今のうちにお前も戻れ!ウォッタ!!」
「はぁ……はぁ……!
はいっ……!!」
雷撃により『デス・レッドドラゴン』の炎を中断させ、ウォッタをこちら側へ戻らせた。
「お、お前達……!」
「我々も援護にまわります!
「私の水魔法は防御よりも拘束の方が得意です……!
炎の防御はやはりダクト先生のお力が必要になりますが……魔物の群れの相手は私達が引き受けます!」
「………ああ!分かった!
助かるぜ!!」
そう言うとダクトは再び炎を吐き出そうとする『デス・レッドドラゴン』に対し、『氷の壁』を生成するのであった――
それを確認すると、ファーティラはアリスリーチェへと向き直る。
そして、彼女の目を正面から見つめ、言った。
「アリスリーチェ様、どうかお行きください。
貴女が今、行かねばならぬと思う場所へと」
「――――っ!?」
アリスリーチェは、目を見開き言葉を失った。
「この場は我々が引き受けます。
貴女は何もお悩みになる必要はありません」
「な、で、でも―――!!」
何処に行けばいいのか、何をすればいいのか―――
なにより、ガーデン家の者が、『勇者』が、この場を放棄して行くなど―――
「『それ』は、きっと貴女が『勇者』になる為に必要なものなのです」
「――――――!!」
ファーティラは、主から一切の目を逸らさず、強い意志と共に言う。
「この場を守ることも、その『想い』を貫くことも、貴女が『勇者』になる為に必要なのです!
どちらも切り捨ててはならないことなのです!
そして、この場を守ることは我々でも出来ます!
だから!今、貴女が本当にやらねばならないと思うことを、どうか迷わずに!!」
「―――――――――――――っ」
アリスリーチェは―――
少しの間、目を閉じ―――開く。
「ええ……分かりましたわ!」
そして、考える。
ダクト先生の伝達魔法でコーディス先生に連絡をとり、フィルとスリーチェの居場所を――
いや、『氷の壁』で炎を防いでいる今の彼にそんな余裕はない。
どうにか、今すぐ、フィル達の居場所を―――
「――――っ!」
アリスリーチェは、ある可能性に思い至った。
「オニキスさん!!」
「きゅ――――?」
アリスリーチェは声をかけた。
今も肩を抱き……瞳から光が失われつつある、その少女の形をしたスライムに。
キュルルは自分にかけられた声に反応を示すも、それは本当にただ反応しただけであり……そこには何の意思も感情も存在しなかった。
だが、次にかけられた言葉に―――
「フィルの元へ、案内してください!」
「えっ――?」
キュルルの目に、光が戻りかけた。
「アナタ、初めて勇者学園に訪れた際にこう言っておりましたわよね?
『なんでかは分かんないけど、フィルが近くに来たってのが分かった』と!」
「それ………は……………」
「おそらくアナタはフィルの中に存在するアナタの欠片を感じ取ることが出来るのです!
その力を使えば、フィルの居場所がわかるはずですわ!」
「で……でも、あの時は………!
本当になんとなく、近くに来たって分かっただけで……!
それで、ただ真っ先に目についたおっきな建物に向かってクロちゃんに運んで行ってもらっただけで……!
フィルの居場所が分かった訳じゃないんだよっ………!!」
「っ!!」
実際……学園の広場に降り立った後、キュルルはしばらくフィルの姿を探し回った。
フィルの正確な居場所までは分からなかったのだ。
「い、今だって……フィルが……『居なく』なっちゃうっていうのが……!
分かっちゃうだけで……!
ボクには……ボクには……
フィルの………居場所なんて―――っ!?」
アリスリーチェはキュルルの肩を掴み、引き寄せると―――
その目を睨みつけて、言った。
「どうして諦めてしまえるんですの!?」
「――――っ!!」
「アナタは遠く離れているフィルの危機を察知することが出来る!
何故それ以上出来ないと!!
そんな風に諦めてしまえるんですの!?
何故そこで、フィルの元へ行かなくてはと!!
そう思えないんですの!!??」
「きゅっ――――!!」
「これはアナタしか!!
アナタだけにしか出来ないことなのですよ!?
アナタには何か分かりませんの!?
居場所でなくでも、フィルのことを、何か!!
フィルがどうなっているのか!!
フィルが何を考えているのか!!」
「フィルが―――どうなって――――?」
そうして、改めてキュルルは考える。
今、自分の中にはとても嫌な感覚が、広がり続けている。
このままではもうすぐフィルが『居なく』なってしまうという嫌な感覚が、ずっと。
そう、『ずっと』だ。
『もうすぐ』居なくなるという感覚が、『ずっと』
フィルは今、とてつもなく危機的な状況にある事は間違いない。
けど、『居なく』なってしまうという感覚が続いているということは―――
フィルはまだ、『居る』ということ。
まだ、生きている。
とてつもなく危機的な状況で、彼は―――生きている。
彼は―――抗っている!!
『死』から!!!
「フィルは……まだ、『居なく』なってない……!
フィルは……諦めていない!!
フィルはずっと……戦ってる!!!」
「――――!!
だったら!!!」
「だったら!!ボクも!!!」
戦わなきゃ!!!
「フィルーーーーーーッッッ!!!!!」
キュルルは叫び、目を瞑る―――
その暗闇の奥に、意識を集中させる―――
そして―――――!!!!
「分かった!!!!」
そう言いながら開いた彼女の目には、希望の光が宿っていた。
「フィルの場所!!分かる!!
分かるよ!!アリスリーチェ!!!」
「―――!!!
オニキスさん!!!」
「うん!!ボクは行く!!
フィルの元へ!!」
キュルルは、絶対の意志の元、叫ぶ!
「『居なく』なんて、させない!!!」
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