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Chapter:1
【002】枯呪の街の死者の呪い
しおりを挟む寝台に横たえた青年の体は、あんまりにも冷たい。低体温状態なのは明らかだと、ルファは判断した。雪が溶けて、現在青年の服は濡れている。これでは、いくら室内が焔の魔石で暖かくても、どんどん体温を奪われてしまう。ルファはチラチラと目を伏せている青年を見た。端正な面持ちで目を伏せている青年を前に、ルファは唾液を嚥下する。
「仕方がないよね……!」
決意し、ルファは青年の服を脱がせにかかった。裸にして毛布でくるんだ方が、体温が上昇するという知識があったからだ。青年のシャツの外套の紐を解き、それからポツポツとシャツのボタンを外していく。外套は薄手なのに、重かった。何かが収納されているのか、凸凹したポケットのようなものがついている。
「なんでこんなに薄着なの? 地上は暖かいのかなぁ? 信じられない。雲の下はここよりももっと寒そうなのに……」
なにせ雪はさらに上の雲から降ってくる。地上は、下の雲の波よりも下層なのだから、もっと雪が降るはずだとルファは考えていた。だから人が住めるわけがないと思っていたし、誰も来ないと考えていたものである。
こうしてなんとか上半身を脱がせきった後、ルファは体温を確認しようと、青年人のしかかるようにし、額に手を伸ばす。そのように、青年に顔を近づけた時の事だった。
「!」
青年が瞼を開けた。緑色の瞳が、まだぼんやりとしている。瞬きをしたルファが、声をかけるべく唇を開けようとした、その時だった。後頭部に青年の骨張った手が回り、もう一方の腕は腰に回された。そして再び目を閉じた青年に唇に唇で触れられた。長々と触れるだけの口づけをされ、ルファは何が起こったのか最初、分からなかった。それからキスだと気づいて、慌てて青年の体を押し返す。すると眉間に皺を寄せて青年が再び目を開き、そしてあちらもハッとした顔をした。
「わ、悪い。てっきり天国に召されて、御遣いが現れたんだとばかり……」
「天国? 御遣い? なに? それは」
「――ああ、聖ロクロス教会の説く死後の世界と、そこにいる筆舌尽くしがたい麗しさと評判の神の使者の事だ」
「神? 神ってなに?」
「やはり死者の街……枯呪の街には、神の威光も届かないのか? ここは冥府ということか?」
「ここは凍理の街だよ? さっきから何を言っているのか分からないよ。貴方はそもそも誰なの? ま、まさかとは思うけど、地上から来たの……?」
随分と元気になった様子の青年に問いかけつつ、ルファは退こうとした。
だが、まだ片手が腰にまわったままだ。
「それと、離して!」
「あ、ああ、悪ぃな……本当の間違えたんだ。お前、名前は?」
「私は、ルファ」
「俺はリュークという。地上から来た。地上にある砂の国イグニアスの、水葬樹の側面の階段にから徒歩で登ってきた。巨大な幹の周囲を螺旋を描くように伸びる階段を、一段ずつ」
頷きながらリュークが語る。ルファは唖然とした。
「……本当に、地上には国があるの?」
「ああ。俺は、水葬樹の上に、本当に人が住んでいた事の方に驚いてるけどな」
ルファはやっと解放されたので、ベッドから降りた。そして深呼吸しながら、竈の方を見る。薬缶が置いたままだから、近寄って火を入れた。温かいものを飲んで、体の中からも、温めた方がいいだろうと判断し、お茶を淹れる事に決める。チラリとカゴを見ると、本当に少量の茶葉が入っていた。二人で飲んだら、一日で無くなってしまうかもしれない。ルファはいつもこの茶葉を、何度も遣い、薄めて薄めて、一月持たせる。だがある種の遭難者であるリュークを前にしては、そのような事は言っていられないと考えた。
お湯を沸しながら、ルファが振り返ると、裸の上半身に毛布をかけたリュークが、ベッドに座り直したのが分かった。足が床についている。
「俺は、呪いを解いてほしくてここへと来たんだ。一番偉い者に会わせてもらえねぇか?」
「呪い?」
「ああ。水葬樹の上の街に集まっている死者の魂の呪いのせいで、イグニアス王国には雨が降らなくなったと言われているんだ。もう八十年ほど前、俺の祖父の――……まぁ、祖父の時代で、当時親父は子供だったと聞いている。ただ、王家の敷地だけは、呪いも届かず雨が降るんだが」
つらつらと語るリュークの表情は真面目だ。
一番偉い人、と、考えて、街長様の事が思い浮かべ、思わず唇を噛んでルファは俯いた。そもそも地上の人間を凍理の街に入れるのは禁忌とされている。そして入れないようにするのがルファの仕事なのに、自分で招き入れてしまった。怒られないわけがない。
「即ち、雨が降らないわけではないと言うことだ。雨が降るようになれば、イグニアスが砂の国なんて呼ばれる事も無くなる。だから俺は、解呪してほしいと頼みに来たんだ」
「呪いなんて聞いた事もないよ? その……本当に街長様に会いたいの?」
「それがここで一番偉い人間か?」
「うん……」
コポコポとお湯が沸騰する音が響き始めた。陰鬱な気分になりながら、ポットに茶葉を入れお湯を注ぎ、ルファはキハナ茶を二つ用意した。そして片方を手に、リュークの元へと向かい、それを差し出した。
「よかったら」
「おう。悪ぃな。ありがとう」
そう言うと、リュークが静かに一口飲んだ。そして、不思議そうな顔をした。
「蜜柑味のお茶を、俺は初めて飲んだ」
「蜜柑ってなに?」
「? 食文化も違うのか? 橙色の丸い果物だ」
「ふぅん。食べたことないや」
ルファが言う前で、リュークは一気にお茶を飲み干した。
それから真剣な瞳で、まじまじとルファを見る。
「頼む。その街長とやらのところへ、連れて行ってくれ」
「……うん」
自分はきっときつく怒られるだろうけれど、困っている人は放っておけない。
だから頷き、ルファは扉へと顔を向けた。
「お父さんの外套と服があるから待っててね」
亡くなった両親の服は、今もそのまま棚に入っている。厚手の首まで覆う黒い服と、上に羽織る焦げ茶色の外套を取り出し、ルファはそれをリュークに渡した。受け取り礼を言ったリュークが、裸だった上半身にそれらを身につけていく。少しサイズが小さいようだった。リュークはとても背が高く、筋肉が綺麗についていた。鍛え上げられているのが、一目で分かる体つきだ。そして元々自分が羽織ってきた外套を着て、最後にルファの父の外套を身に纏った。
靴紐をしっかりと閉めて、リュークが外へと出る。長靴を履いているルファは、施錠してからリュークの前へと進んだ。
「街長様は、公示塔にいるのよ。ほら、あっちに見える、屋根が丸い建物」
「そうか。本当に悪ぃな、案内させて」
「……い、いいの」
僅かにルファの表情が引きつった時、リュークが怪訝そうに首を傾げた。
「どうかしたのか?」
「なんだもない」
「そうか」
こうして道中は、その後ぽつりぽつりと会話をしながら進んだ。主に、リュークは雪を見た事が無かったそうで、その話をしていた。公示塔へと到着したルファは、緊張した面持ちで中へと進む。すると丁度食料や焔の魔石の配布を終えたところだった様子で、一階の広間に、街長様の姿があった。
「あ、あの……」
「ルファ!? 門番の仕事はどうした!? 大切なお役目を放棄したな!?」
ルファが控えめに声をかけると、彼女を見た瞬間に街長は目をつり上げて、怒声を放った。火魔術用の杖を高く持ち上げる。
「これは、三十打っても足りぬからな!」
「なっ」
すると隣で、驚いたようにリュークが息を呑んだ。それに気づいた街長が、眉間に皺を寄せ、思案するように首を捻る。
「何処の誰の息子じゃ? 儂も子は育つから、全員は把握できておらんでの。しかしまさか、ルファに肩入れするわけでは無かろうな? それならば、お主のことも、容赦はせぬぞ」
強い語調で街長様はそう述べると、これ見よがしに、杖の上に火球を出現させた。
初級の攻撃魔術である。
ルファは知っている。あれは最上級の罰だ。火球が当たると、肌が裂けて、その上火傷まで負う。それを何度もぶつけた後に、慈悲だと言って、治癒の魔石の光で怪我自体はいやしてくれるのだが、治癒の魔石は見た目を治してくれるだけだから、数日間はじくじくと痛む。過去にも何度か、ルファはそれをぶつけられた。
「ルファは女だぞ!?」
「それがなんだ? 水魔術の使い手など、忌々しい以外のなにものでもない。この街の者なら分かっておるだろう!? ――いいや、分かっていないようだな。なんだその顔は? 儂を睨むなど……そうかそうか。その生意気な態度、お主にも分からせてやる必要があるようだ、な!!」
街長様は、そう叫ぶと、火球をリュークに向かって放った。
慌てて庇おうと、ルファが前に出ようとする。
だが、それよりも一歩早く前に跳んだリュークが、懐から短い双剣を取り出すと、一瞬で街長様の背後を取り、片方の短剣を街長様の首元に後ろから突きつけた。周囲には、緑色の強い風が吹き荒れている。ルファは雪で白くなった風しか見た事がなかった。色つきの風が存在するだなんて知らなかった。リュークのもう一方の短剣は、街長様が振り下ろそうとした杖を阻止している。火球は放たれず、次第に小さくなり消えてしまった。
「……なっ!? 風魔術だと!? まさか地上の人間か!?」
呆然としていたルファは、驚愕したような街長様の声で我に返った。目を剥いている街長様は、それから唇を震わせ、目を血走らせた。
「これは見逃すわけにはいくまい。ルファ、この者を手引きしたのもお主か!?」
「えっ」
「そうじゃねぇよ。俺が自発的に来ただけだ。おい、クソじじぃ。この街の住人が呪いをかけているせいで、地上に雨が降らねぇというのは、事実か? あ?」
リュークの口調も荒くなり、こちらもまた怒りに燃えている目になった。
「そんなわけがなかろうが!! 儂らは嘗て――……そんな事より、絶対に許さぬ。皆の者!! 侵入者だ。侵入者とルファを捉えろ。極刑じゃ!!」
大声を響き渡らせた街長様に気がつき、慌てたように公示塔にいた火魔術の使い手達が集まってきた。するとリュークが舌打ちする。そして短剣の柄を街長様の首筋にたたき込み、あっさりと気絶させた。そしてルファの元まで戻ると、彼女の手首をきつく握った。
「行くぞ!」
「えっ?」
「ここにいればお前も殺されんだろ? だったら逃げるしかねぇだろ。それともルファは、こんな街にいたいのか? 俺なら死んでもごめんだ」
リュークはそう述べると、ルファの手首を掴んだまま走り出した。
足がもつれて転びそうになったルファだが――確かにリュークの言う通りだと考え直し、自分の意思で、自分の足で、しっかりと走り始めた。その様子を一瞥したリュークは、ニヤリと笑って頷くと、そのままルファの家の前まで走った。
「俺はここで、追っ手が来たら撃退しておくから、すぐに必要最低限の荷物を持ってこい」
「は、はい!」
その声に、ホッとルファは息を吐いた。お父さんとお母さんの写真を持っていきたいと、彼女は考えていたから。他にはパンとチーズを肩掛け鞄に入れ、着替えと焔の魔石をしまって外へと出る。
「早かったな。もういいのか? 俺としては好都合だが。幸いまだ追っ手は来てねぇからな」
「うん、大丈夫」
「――念のため言っとくが、雨が降らないのがここの連中のせいじゃねぇと分かった今、俺は二度とここには来ないかもしれない。本音としては、頼まれたとしても二度と来るかと思っている。ここに来るのも命がけだったしな。帰るのだって、それは同じだ。つまりルファも、二度とこの街には戻れねぇかもしれん。それでもいいんだな? 本当に他に持ってくる物は無ぇんだな?」
リュークの声に、ルファはこくりと頷いた。この街で大切なのは、両親の写真だけだからだ。この街では、遺体は火葬されて、雲に向かって投げると決まっているから、お墓も何も無い。遺ったのは、写真だけなのである。
「よし。んじゃ、行くか」
こうしてリュークに先導される形で、ルファは歩きはじめた。二人は凍理の街の門まで向かい、扉から出て、下る路、長く先は雲の中に隠れて見えない階段を見据える。
リュークが歩き出したので、ルファもその後ろに従う。一度だけチラリと門へと、その先に見える街へと振り返ったが、その後はずっとリュークの背中を見ていた。ルファはもう、振り返らないことに決めていた。
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