37 / 50
―― 本編 ――
第37話 絵山という風景画
しおりを挟む
この日から暫く瑛が滞在する事になり、邸宅の雰囲気が変化した。
元々はこんな空気感が自然なはずだったのになと、澪は懐かしい気持ちになるのが不思議だった。現在は絵山と二人で、自分の私室にいる。
今日はする仕事もないので、ゆったりとお茶を飲んでいる。
二人の時の常で、絵山もまた座っている。久水は瑛の使いで外へと出ている。
カップを傾けながら、澪は絵山へと視線を向けた。するとカップの中を無愛想な顔で見ていた絵山が、視線に気づいて顔を上げた。
「なにか?」
「色々あったな」
思ったまま澪が口に出すと、絵山が呆れたような顔をした。
「今だから言うけど、気が気じゃなかったよ。澪様は、危ない方へ危ない方へと進むものだからね」
いつものやる気の無い声とは僅かに色彩が違う。そこには心配が滲んでいるようだった。
「調査を手伝ってくれてありがとう。お前がいてくれて色々と助かった」
「……まぁ、澪様を一人には出来ないから」
「そういう仕事だものな」
何気なく澪が言うと、呆れたように息を吐いた絵山が、顔を背けた。
「仕事だからじゃないですよ」
「ん?」
「俺が澪様を放っておけないって事」
「同じ事だろう?」
「全然違う。分かってないですよね、本当」
絵山はそう言うと、澪に向き直った。
「俺は、澪様が澪様だからお仕えしているんです」
それを聞いて、澪はカップを置き腕を組む。澪は絵山が、いつか澪自身が昴に対して種族が関係ないと思ったように、自分の人格を認めてくれているのだろうかと、その言葉から考える。すると嬉しくなって、澪は自然と笑みを零した。
「そう言われるのは、悪い気がしない」
「俺にこんなことを言わせるなんて、澪様くらいなんだから、存分に喜んでくれていいんですよ」
「これからも宜しく頼む」
「ええ。いつまでもおそばに」
絵山はそう言うとカップを手にし、紅茶を飲み込む。それからふと思い立ったように澪を見た。
「ところで、白兎ってなんだったの?」
「それはまだ分からない。あの後、手紙も来ないが」
「文面を見るかぎり、昴様を心配している第三者のようでもあったけど」
それを聞き、澪はゆっくりと頷く。
「それは同じ意見だ。だとすれば、俺と白兎は、同じ考えの持ち主だという事だな」
「澪様は本当に過保護だよね。そんなに兄上の事が心配なの?」
「悪いか?」
「悪くはないけど……俺が澪様にそこまで心を配られる日は生涯無さそうだと思うと、微妙な気持ちにはなるよ」
「絵山は弱くは無いからな。ああ、いや、兄上が弱いと言うつもりはない」
「人間なんだから、弱いんじゃないの?」
首を傾げた絵山を見て、澪は笑う。
「兄上の優しさは、強さだとも思う。俺に、人間の見方を変えさせたのだから、それは強いもののはずだ」
「ふぅん。見方、ですか。なんだか妬けるなぁ」
絵山はそう言うと再びカップを動かす。
「妬ける?」
「うん。澪様にとって俺は風景だけど、昴様は生きてそこにいるんだろうなと思って」
「絵山」
「なに?」
「お前だって俺にとっては、きちんと生きて、傍に居てくれる大切な従僕だが? 絵山は絵山で、俺にとっては必要だ。確かに絵山がいるのが自然という意味では、風景とも言える。ただ、俺は絵山が仮に、何か困ったり弱ることがあったならば、絵山は兄上ではないが力になりたいと思うぞ?」
澪が素直な気持ちを述べると、絵山が目を瞠った。それから柔らかく笑う。
「俺は困ったり弱ったりしないよ。弱っていたら、澪様を守れないからね」
その柔和な表情を見て、澪が苦笑する。
「俺も守られるほど弱くはないつもりだが?」
「どうだろうね。手紙を見てすぐに貧民街に行ったり、ある意味無謀で危険を顧みない上、油断しすぎな部分を、俺は弱いと表現してもいいと思うけど」
「そんな風に思っていたのか?」
「勿論、俺がいるから危害を加えさせるつもりは無かったけどね」
絵山はそう言うとカップを置いた。それから天井を仰ぐ。
「澪様が小さい頃から見守ってきたんだから、こんな中途半端なところで、危険な目に遭わせたりはしたくないというのが本音。俺は澪様が立派にひとり立ちして西園寺家の当主になる姿をみたいんだよ」
澪が八歳の頃、二十二歳でこの家で、澪専属で仕えるようになった絵山は、澪にとってはある意味最も身近な大人でもある。もう十年も一緒にいるのだなと考えながら、澪は頷く。
「その期待には、必ず応えることにしよう」
「勿論です」
「そのために、お前はこれからも俺に力を貸してくれるのだろうな?」
「当然だよ」
澪へと顔を向けると、絵山が形のいい唇の両端を小さく持ち上げた。それに対し、澪が満面の笑みを浮かべる。
「心強いな」
本心からそう述べた澪は、それから窓の方を見る。本日は雨だ。窓に打ち付ける雨の音が、澪は嫌いではない。雨の音は、澪にとっては優しく聞こえる。
「澪様」
「ん?」
「これからも俺は、永遠におそばに」
「――ああ。それこそ期待している。お前は俺の大切な供なのだから」
澪は頷き、絵山という風景の絵があるのならば、きっと横には己の姿も描かれているのだろうなと考えた。それだけ、絵山は大切な存在である。
元々はこんな空気感が自然なはずだったのになと、澪は懐かしい気持ちになるのが不思議だった。現在は絵山と二人で、自分の私室にいる。
今日はする仕事もないので、ゆったりとお茶を飲んでいる。
二人の時の常で、絵山もまた座っている。久水は瑛の使いで外へと出ている。
カップを傾けながら、澪は絵山へと視線を向けた。するとカップの中を無愛想な顔で見ていた絵山が、視線に気づいて顔を上げた。
「なにか?」
「色々あったな」
思ったまま澪が口に出すと、絵山が呆れたような顔をした。
「今だから言うけど、気が気じゃなかったよ。澪様は、危ない方へ危ない方へと進むものだからね」
いつものやる気の無い声とは僅かに色彩が違う。そこには心配が滲んでいるようだった。
「調査を手伝ってくれてありがとう。お前がいてくれて色々と助かった」
「……まぁ、澪様を一人には出来ないから」
「そういう仕事だものな」
何気なく澪が言うと、呆れたように息を吐いた絵山が、顔を背けた。
「仕事だからじゃないですよ」
「ん?」
「俺が澪様を放っておけないって事」
「同じ事だろう?」
「全然違う。分かってないですよね、本当」
絵山はそう言うと、澪に向き直った。
「俺は、澪様が澪様だからお仕えしているんです」
それを聞いて、澪はカップを置き腕を組む。澪は絵山が、いつか澪自身が昴に対して種族が関係ないと思ったように、自分の人格を認めてくれているのだろうかと、その言葉から考える。すると嬉しくなって、澪は自然と笑みを零した。
「そう言われるのは、悪い気がしない」
「俺にこんなことを言わせるなんて、澪様くらいなんだから、存分に喜んでくれていいんですよ」
「これからも宜しく頼む」
「ええ。いつまでもおそばに」
絵山はそう言うとカップを手にし、紅茶を飲み込む。それからふと思い立ったように澪を見た。
「ところで、白兎ってなんだったの?」
「それはまだ分からない。あの後、手紙も来ないが」
「文面を見るかぎり、昴様を心配している第三者のようでもあったけど」
それを聞き、澪はゆっくりと頷く。
「それは同じ意見だ。だとすれば、俺と白兎は、同じ考えの持ち主だという事だな」
「澪様は本当に過保護だよね。そんなに兄上の事が心配なの?」
「悪いか?」
「悪くはないけど……俺が澪様にそこまで心を配られる日は生涯無さそうだと思うと、微妙な気持ちにはなるよ」
「絵山は弱くは無いからな。ああ、いや、兄上が弱いと言うつもりはない」
「人間なんだから、弱いんじゃないの?」
首を傾げた絵山を見て、澪は笑う。
「兄上の優しさは、強さだとも思う。俺に、人間の見方を変えさせたのだから、それは強いもののはずだ」
「ふぅん。見方、ですか。なんだか妬けるなぁ」
絵山はそう言うと再びカップを動かす。
「妬ける?」
「うん。澪様にとって俺は風景だけど、昴様は生きてそこにいるんだろうなと思って」
「絵山」
「なに?」
「お前だって俺にとっては、きちんと生きて、傍に居てくれる大切な従僕だが? 絵山は絵山で、俺にとっては必要だ。確かに絵山がいるのが自然という意味では、風景とも言える。ただ、俺は絵山が仮に、何か困ったり弱ることがあったならば、絵山は兄上ではないが力になりたいと思うぞ?」
澪が素直な気持ちを述べると、絵山が目を瞠った。それから柔らかく笑う。
「俺は困ったり弱ったりしないよ。弱っていたら、澪様を守れないからね」
その柔和な表情を見て、澪が苦笑する。
「俺も守られるほど弱くはないつもりだが?」
「どうだろうね。手紙を見てすぐに貧民街に行ったり、ある意味無謀で危険を顧みない上、油断しすぎな部分を、俺は弱いと表現してもいいと思うけど」
「そんな風に思っていたのか?」
「勿論、俺がいるから危害を加えさせるつもりは無かったけどね」
絵山はそう言うとカップを置いた。それから天井を仰ぐ。
「澪様が小さい頃から見守ってきたんだから、こんな中途半端なところで、危険な目に遭わせたりはしたくないというのが本音。俺は澪様が立派にひとり立ちして西園寺家の当主になる姿をみたいんだよ」
澪が八歳の頃、二十二歳でこの家で、澪専属で仕えるようになった絵山は、澪にとってはある意味最も身近な大人でもある。もう十年も一緒にいるのだなと考えながら、澪は頷く。
「その期待には、必ず応えることにしよう」
「勿論です」
「そのために、お前はこれからも俺に力を貸してくれるのだろうな?」
「当然だよ」
澪へと顔を向けると、絵山が形のいい唇の両端を小さく持ち上げた。それに対し、澪が満面の笑みを浮かべる。
「心強いな」
本心からそう述べた澪は、それから窓の方を見る。本日は雨だ。窓に打ち付ける雨の音が、澪は嫌いではない。雨の音は、澪にとっては優しく聞こえる。
「澪様」
「ん?」
「これからも俺は、永遠におそばに」
「――ああ。それこそ期待している。お前は俺の大切な供なのだから」
澪は頷き、絵山という風景の絵があるのならば、きっと横には己の姿も描かれているのだろうなと考えた。それだけ、絵山は大切な存在である。
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

こども病院の日常
moa
キャラ文芸
ここの病院は、こども病院です。
18歳以下の子供が通う病院、
診療科はたくさんあります。
内科、外科、耳鼻科、歯科、皮膚科etc…
ただただ医者目線で色々な病気を治療していくだけの小説です。
恋愛要素などは一切ありません。
密着病院24時!的な感じです。
人物像などは表記していない為、読者様のご想像にお任せします。
※泣く表現、痛い表現など嫌いな方は読むのをお控えください。
歯科以外の医療知識はそこまで詳しくないのですみませんがご了承ください。
スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活
昼寝部
ファンタジー
この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。
しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。
そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。
しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。
そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。
これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。
ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話
桜井正宗
青春
――結婚しています!
それは二人だけの秘密。
高校二年の遙と遥は結婚した。
近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。
キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。
ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。
*結婚要素あり
*ヤンデレ要素あり

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる