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―― 本編 ――
第25話 孤児の未来への展望
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帰宅すると、久水が待っていた。どうやら昴は寝入っているらしい。丁度澪も、久水にも情報を共有して、より昴の護衛を強化してもらいたかったので、彼も招いて絵山と三人で居室へと入る。そして澪は、久水が淹れた紅茶を飲みながら、事の顛末を語った。
「なるほどな」
頷いた久水は、それから絵山を見た。
「その伊織という牧師は、武力はありそうだったのか?」
「さぁ? ただ話を総合して考えると、可能性として異能を持っていてもおかしくはないかな。ただ、あんまりにも俺達相手に堂々としすぎだったのが気になる」
「ペラペラ喋って本物を寄越したのも不審だな」
久水の言葉は、澪も抱いた疑問と同じなので、聞いていた澪は頷いた。
「それこそ口封じされる可能性はなくもない。人間といえど、錬金術師を名乗る連中の一味だとするならば、いつでも異能でこちらに害をなせると踏んでいた可能性だってある。その場合、俺達二人を一人で相手にするよりは、見逃す方がマシだという判断だったのかもしれない」
澪の声に、二人も頷いた。
「ただいずれにせよ、伊織牧師には話を聞く必要があるだろうな」
「そうですね、澪様の言う通りだと俺も思うよ」
同意した絵山の隣で、久水が考える瞳をする。
「ところで、昴様の親友なんだろ? 昴様にもその伊織って牧師の話を聞いた方がいいんじゃないのか?」
久水の言葉に、澪は納得しながら腕を組む。
「確かにそうだな。朝を待って、兄上にも話を訊く」
こうしてこの夜は、各々休むこととした。自室に戻った澪は、疲れたなと感じながら服を着替える。そして欠伸をしてからベッドに入り、すぐに就寝した。
翌朝、朝食の席で、チラリと澪は昴を見た。
どのように切り出すかを考えながら、新聞に視線を落とすと、『吸血鬼の犯行か?』『三体の惨殺遺体が発見』『ジャック、再び現る』と書かれていた。遺体の特徴を読み、例の地下室の遺体が路地裏に捨てられたようだと、澪は判断して嫌な気持ちになった。路地の現場で殺害することもあれば、殺害してから運んで捨てることもあるのだろう。
「今日も美味しいな」
昴が言うと、壁際に控えていた風原が嬉しそうな顔をした。
「今日も腕によりを込めて、昴様と相用の料理を作ったからな」
即ち、血の入っていない料理だ。相は現在は、部屋で食事をしている。昴とは身分や立場が違うこともあるが、まだ怯えが抜けていない様子で、時折悪夢や白昼夢を見て震えるから、余計な刺激でこれ以上怖がらせないようにと、静かな部屋で過ごさせているからだ。
「ありがとうございます」
昴が風原に礼を告げる。その微笑が麗しい。
澪は俯き、本日は洋食の皿を見る。サニーレタスとコーンが彩っている皿には、本日はチーズオムレツが載っている。
「ところで兄上」
澪はそこで切り出すことにした。
「ん?」
「以前時計店で、伊織牧師と会っただろう?」
「ああ、伊織な」
すると昴が嬉しそうに頬を持ち上げた。
「伊織がどうかしたのか?」
「どんな人かと思ってな。兄上の大切な友達なのだろう? 興味があるんだ」
「そっか」
頷いた昴はフォークを手にすると、笑顔のままで綺麗な黒い瞳を揺らす。
「伊織は俺と違って体が丈夫だったんだけどな、紫苑牧師が俺と同じくらい目をかけてくれていたから、よく二人で遊んだんだ」
「紫苑牧師が?」
「うん。伊織は手品が得意で、スプーンをぐにゃって曲げられるんだ。だから紫苑牧師はお気に入りだと話してた」
「そうか」
明らかに念動力である。異能の持ち主だという事だ。
「伊織は他の孤児とは違うといつも紫苑牧師は話していて、それは俺も同じだからと言うんだ。なんだか、特別扱いされてるとな、小さい頃というのは妙に誇らしくて……まぁ、今となってはどう違ったのかは分からないけど」
「微笑ましい話だ。兄上と伊織牧師の同世代の他の孤児は、今はどうしてるんだ?」
「それがな、みんな早いと十三歳くらい、遅くとも十七歳くらいまでには、いなくなるんだよ。貧民街から出て、余所のお宅の奉公人になるらしくて、そのことは周囲に話してはいけない決まりだから、いなくなるまで誰にも分からないんだ」
恐らく皆、殺害されたのだろうと澪は判断した。あるいは、まだ臓器の一部を抜かれた状態で、生かされている可能性もある。
「だから孤児は、一部が牧師になって伊織や俺みたいに教会に残る以外は、就職するんだ。未来があるんだよ」
何も知らずに語る昴は、優しい顔をしている。
「孤児に生まれても、きちんと社会に戻れるんだ」
それが痛ましく思えて、澪の胸が疼いた。だが、今真実を告げるのは、残酷以外の何ものでもないし、昴に真実を話す必要性も、澪は感じなかった。純粋な兄の心を不穏にするようなこともしたくない。
「聖フルール教会は、善良なんだな」
だからそう嘯きつつ、内心では苛立ちを覚えていた。未来を信じる孤児達を手にかける者達には、嫌悪感を抱かずにはいられない。何故なのか人間の事なのに許せない。昴といると、人であるとか吸血鬼であるという事が、些末な違いに思えてくる。
「――どうだろうな?」
しかし昴自身が首を傾げた。
「それこそ、伊織がいつも言ってたんだ。偽善者の塊で、自分の信じた正義を盲信してるだけだって。そのせいで、酷い目に遭う人が大勢いるんだって。だから俺にも気をつけろと言っていたよ」
「伊織牧師が?」
澪は驚いた。
「うん。伊織は、紫苑牧師が嫌いみたいだったなぁ……俺はいい人だと思うんだけど、確かに紫苑牧師は、たまに意味の分からないことを喋るから」
「意味の分からないこと?」
オムレツを切り分けながら、澪は昴を見て問いかける。
「うん。自分達は特別な存在だから、人間とは一線を画すというんだ。それを世界の支配者は理解してくれているはずだと、よく言っていたよ。なんの話かは、さっぱり分からなかったけど、聖フルールの聖典のどこかのフレーズの暗喩だろうと俺は思ってる。あの聖典には、ちょくちょく世界の支配者という神の比喩が出てきたからなぁ」
昴の声に、澪は頷いた。おそらくそれは、神ではなく、吸血鬼を指すのだろうと考える。だとすれば、異能があるからただの人間とは違うと、自分達を特別視しているのかもしれない。
「伊織はそれが馬鹿みたいだとよく言っていたんだ。人間にも世界の支配者にも、等しく与えられているのは命と死だけだから、そこに上も下も無いんだって話してた」
「そうか。伊織牧師は、真っ当な人間なんだな」
澪はそう答えつつ、その言葉を放った自分を不思議に思った。何故ならば、自分は人間を見下していたはずだからである。明確に上下はあるはずで、だからこそ西園寺家から人間である昴が出たとすればそれは由々しき事態だと考えていたはずだ。
しかし気づいてみると、昴はいつのまにか、正しく自分の兄になっていた。すんなりと兄として心の中へと入ってきた。人間であろうとも、吸血鬼でなくとも、昴は自分の兄だ。仮に血が繋がっているというのが嘘偽りだと今後判明したとしても、この感覚が変わらない自信がある。
最初は性格を好きになれるか疑問だったが、一緒に過ごす内に、その優しさに触れている気がする。なにも昴は特別なことをしているわけではない。ただ一緒にいるだけで、安心させてくれる。不思議な感覚だが、これが家族というものなのだろうと、澪は思う。
もう、昴を見下すような気持ちは無い。昴が人間である事を恥じるような事も無いし、昴が食べ物だと認識されるのは、快くないと今でははっきりと思っている。多分今後は、絵山にも吸血を許さないだろう。
ただ――昴に、自分達が吸血鬼である事を隠している点が、ふと気にかかった。
人間から見れば、吸血鬼というのは、伝承上の怪異だ。
信じてもらえるか否かはともかく、知られた場合、恐怖されないとは思えない。
一生暗示などを駆使して、吸血鬼だとは告げないという選択肢もあるが、それでは真に親睦を深めて心を開きあうとはいえないだろう。
昴にいかにして伝えるか、または伝えないのかという事は、一つの命題だなと澪は思った。こんな風に悩む日が来るとは思ってもいなかったというのが本音だ。
「なるほどな」
頷いた久水は、それから絵山を見た。
「その伊織という牧師は、武力はありそうだったのか?」
「さぁ? ただ話を総合して考えると、可能性として異能を持っていてもおかしくはないかな。ただ、あんまりにも俺達相手に堂々としすぎだったのが気になる」
「ペラペラ喋って本物を寄越したのも不審だな」
久水の言葉は、澪も抱いた疑問と同じなので、聞いていた澪は頷いた。
「それこそ口封じされる可能性はなくもない。人間といえど、錬金術師を名乗る連中の一味だとするならば、いつでも異能でこちらに害をなせると踏んでいた可能性だってある。その場合、俺達二人を一人で相手にするよりは、見逃す方がマシだという判断だったのかもしれない」
澪の声に、二人も頷いた。
「ただいずれにせよ、伊織牧師には話を聞く必要があるだろうな」
「そうですね、澪様の言う通りだと俺も思うよ」
同意した絵山の隣で、久水が考える瞳をする。
「ところで、昴様の親友なんだろ? 昴様にもその伊織って牧師の話を聞いた方がいいんじゃないのか?」
久水の言葉に、澪は納得しながら腕を組む。
「確かにそうだな。朝を待って、兄上にも話を訊く」
こうしてこの夜は、各々休むこととした。自室に戻った澪は、疲れたなと感じながら服を着替える。そして欠伸をしてからベッドに入り、すぐに就寝した。
翌朝、朝食の席で、チラリと澪は昴を見た。
どのように切り出すかを考えながら、新聞に視線を落とすと、『吸血鬼の犯行か?』『三体の惨殺遺体が発見』『ジャック、再び現る』と書かれていた。遺体の特徴を読み、例の地下室の遺体が路地裏に捨てられたようだと、澪は判断して嫌な気持ちになった。路地の現場で殺害することもあれば、殺害してから運んで捨てることもあるのだろう。
「今日も美味しいな」
昴が言うと、壁際に控えていた風原が嬉しそうな顔をした。
「今日も腕によりを込めて、昴様と相用の料理を作ったからな」
即ち、血の入っていない料理だ。相は現在は、部屋で食事をしている。昴とは身分や立場が違うこともあるが、まだ怯えが抜けていない様子で、時折悪夢や白昼夢を見て震えるから、余計な刺激でこれ以上怖がらせないようにと、静かな部屋で過ごさせているからだ。
「ありがとうございます」
昴が風原に礼を告げる。その微笑が麗しい。
澪は俯き、本日は洋食の皿を見る。サニーレタスとコーンが彩っている皿には、本日はチーズオムレツが載っている。
「ところで兄上」
澪はそこで切り出すことにした。
「ん?」
「以前時計店で、伊織牧師と会っただろう?」
「ああ、伊織な」
すると昴が嬉しそうに頬を持ち上げた。
「伊織がどうかしたのか?」
「どんな人かと思ってな。兄上の大切な友達なのだろう? 興味があるんだ」
「そっか」
頷いた昴はフォークを手にすると、笑顔のままで綺麗な黒い瞳を揺らす。
「伊織は俺と違って体が丈夫だったんだけどな、紫苑牧師が俺と同じくらい目をかけてくれていたから、よく二人で遊んだんだ」
「紫苑牧師が?」
「うん。伊織は手品が得意で、スプーンをぐにゃって曲げられるんだ。だから紫苑牧師はお気に入りだと話してた」
「そうか」
明らかに念動力である。異能の持ち主だという事だ。
「伊織は他の孤児とは違うといつも紫苑牧師は話していて、それは俺も同じだからと言うんだ。なんだか、特別扱いされてるとな、小さい頃というのは妙に誇らしくて……まぁ、今となってはどう違ったのかは分からないけど」
「微笑ましい話だ。兄上と伊織牧師の同世代の他の孤児は、今はどうしてるんだ?」
「それがな、みんな早いと十三歳くらい、遅くとも十七歳くらいまでには、いなくなるんだよ。貧民街から出て、余所のお宅の奉公人になるらしくて、そのことは周囲に話してはいけない決まりだから、いなくなるまで誰にも分からないんだ」
恐らく皆、殺害されたのだろうと澪は判断した。あるいは、まだ臓器の一部を抜かれた状態で、生かされている可能性もある。
「だから孤児は、一部が牧師になって伊織や俺みたいに教会に残る以外は、就職するんだ。未来があるんだよ」
何も知らずに語る昴は、優しい顔をしている。
「孤児に生まれても、きちんと社会に戻れるんだ」
それが痛ましく思えて、澪の胸が疼いた。だが、今真実を告げるのは、残酷以外の何ものでもないし、昴に真実を話す必要性も、澪は感じなかった。純粋な兄の心を不穏にするようなこともしたくない。
「聖フルール教会は、善良なんだな」
だからそう嘯きつつ、内心では苛立ちを覚えていた。未来を信じる孤児達を手にかける者達には、嫌悪感を抱かずにはいられない。何故なのか人間の事なのに許せない。昴といると、人であるとか吸血鬼であるという事が、些末な違いに思えてくる。
「――どうだろうな?」
しかし昴自身が首を傾げた。
「それこそ、伊織がいつも言ってたんだ。偽善者の塊で、自分の信じた正義を盲信してるだけだって。そのせいで、酷い目に遭う人が大勢いるんだって。だから俺にも気をつけろと言っていたよ」
「伊織牧師が?」
澪は驚いた。
「うん。伊織は、紫苑牧師が嫌いみたいだったなぁ……俺はいい人だと思うんだけど、確かに紫苑牧師は、たまに意味の分からないことを喋るから」
「意味の分からないこと?」
オムレツを切り分けながら、澪は昴を見て問いかける。
「うん。自分達は特別な存在だから、人間とは一線を画すというんだ。それを世界の支配者は理解してくれているはずだと、よく言っていたよ。なんの話かは、さっぱり分からなかったけど、聖フルールの聖典のどこかのフレーズの暗喩だろうと俺は思ってる。あの聖典には、ちょくちょく世界の支配者という神の比喩が出てきたからなぁ」
昴の声に、澪は頷いた。おそらくそれは、神ではなく、吸血鬼を指すのだろうと考える。だとすれば、異能があるからただの人間とは違うと、自分達を特別視しているのかもしれない。
「伊織はそれが馬鹿みたいだとよく言っていたんだ。人間にも世界の支配者にも、等しく与えられているのは命と死だけだから、そこに上も下も無いんだって話してた」
「そうか。伊織牧師は、真っ当な人間なんだな」
澪はそう答えつつ、その言葉を放った自分を不思議に思った。何故ならば、自分は人間を見下していたはずだからである。明確に上下はあるはずで、だからこそ西園寺家から人間である昴が出たとすればそれは由々しき事態だと考えていたはずだ。
しかし気づいてみると、昴はいつのまにか、正しく自分の兄になっていた。すんなりと兄として心の中へと入ってきた。人間であろうとも、吸血鬼でなくとも、昴は自分の兄だ。仮に血が繋がっているというのが嘘偽りだと今後判明したとしても、この感覚が変わらない自信がある。
最初は性格を好きになれるか疑問だったが、一緒に過ごす内に、その優しさに触れている気がする。なにも昴は特別なことをしているわけではない。ただ一緒にいるだけで、安心させてくれる。不思議な感覚だが、これが家族というものなのだろうと、澪は思う。
もう、昴を見下すような気持ちは無い。昴が人間である事を恥じるような事も無いし、昴が食べ物だと認識されるのは、快くないと今でははっきりと思っている。多分今後は、絵山にも吸血を許さないだろう。
ただ――昴に、自分達が吸血鬼である事を隠している点が、ふと気にかかった。
人間から見れば、吸血鬼というのは、伝承上の怪異だ。
信じてもらえるか否かはともかく、知られた場合、恐怖されないとは思えない。
一生暗示などを駆使して、吸血鬼だとは告げないという選択肢もあるが、それでは真に親睦を深めて心を開きあうとはいえないだろう。
昴にいかにして伝えるか、または伝えないのかという事は、一つの命題だなと澪は思った。こんな風に悩む日が来るとは思ってもいなかったというのが本音だ。
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