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―― 本編 ――

第19話 治癒の異能

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 このように昨夜は遅い就寝だったのだが、本日はいつも通りの時間に澪は起床した。短時間であったが熟睡し、体調的には清々しい朝だ。ただし気分的には、昨日の記憶が甦り、あまり快いわけではない。

 身支度をして部屋の外へと出ると、絵山が控えていた。

「おはよう」
「おはようございます」

 今日は朝の挨拶をした。それから絵山の先導で、ダイニングへと向かう。エントランスホールを横切りダイニングに入ると、既に昴の姿があった。後ろには久水が控えている。久水は澪と目が合うと、片方の目だけを半眼にし、どことなく不機嫌そうな顔をした。ああいう顔は、心配している時の顔だと、澪は知っている。

「おはよう兄上」

 こうして澪は自分の席についた。本日は和食で、澪の好きなひじきがある。風原は漬物の腕前もピカイチで、大根の味噌漬けは特に美味しい。

「いただきます」

 昴の声に、澪も手を合わせる。

「兄上、久水はどうだ?」
「うん? ああ、俺につきっきりでマナーを見てくれているんだよな? 何も指摘したりはしてくれないけど、緊張感が生まれて、いい気がする。お世話になってます」

 これは護衛をする上での名目だ。直接護衛をつけるなどといえば、不安がらせることになるだろうという判断だ。なにも知らない様子の昴を見ていると実に平和で、澪は気が抜けそうになる。だが、逆に気を引き締めた。平和を守るためには、解決すべき事が山のようにある。昴を見ていると、不思議と、兄の平穏を守りたくなる。

 昨日のギルド・エトワールの集会を思い出す限り、昴が狙われているのはもう確実である。昴が過去にも、そして今も、なんらかの毒牙にかかったり、かかろうとしていると思うと、何故なのか非常に嫌な気持ちになるため、自分が守らなければと気を引き締める。

「ところで兄上」

 そこでふと思い出して、澪は尋ねることにした。

 ――異能を持つ錬金術師の我々や原液となるアリス。

「兄上は、異能を持っているのか?」

 アリスこと昴にも異能があるのかを、澪は確認しておきたかった。食事時に問いかけることではないかもしれないが、ふと口をついて言葉が出てきたのである。

「異能ってなんだ?」

 昴がきょとんとして、首を傾げる。純粋な表情に、何も知らないようだと思いつつも、澪は三種類の異能について説明した。

「……治癒っていうのは、病気や怪我を治す能力って事だよな?」

 すると昴が派手に首を捻った。

「ああ、そうだ」
「? それは牧師の技能じゃないのか? 牧師なら、誰でも持ってるんじゃ?」
「違う。そんなわけがないだろう――兄上。兄上は使えるという事か?」
「うん。病気は全部治せるわけじゃないけど、怪我はほとんど治せる。俺の母さんは治せなかったけどな」

 当然だというように昴が述べた。驚愕して、澪は息を呑む。

「見せて欲しい」
「いいけど……で、でも怪我人もいないしな」

 澪の言葉に、昴が困ったように苦笑した。だが澪は食い下がる。

「病院へ行こう。西園寺家の主治医が普段働いている診療所がある。そこで試させてもらおう。絵山、馬車の手配を。久水は引き続き宜しく頼む」

 こうして食後、四人で診療所へと出かける事になった。


 西園寺家の主治医である有沢《ありさわ》は、吸血鬼だ。ただし母親が人間だった。それがきっかけらしく、診療所は人間専用だ。華族の中の一部の人間や、上流階級の人間を主に診察している。澪の父、瑛侯爵と同じ医大の出で、有沢の方が少し年上で四十代後半だ。

「やぁ、よくきたねぇ」

 アポを取り付けずに訪れたのだが、澪達を医院長室に招き入れた有沢は、余裕たっぷりの笑みを浮かべた。それから昴を見た。有沢は考えこむように首を傾げている。

「そちらが患者かね?」
「いいや違うんだ、先生。実はこちらは……治癒の異能が使えるようなんだ。怪我人でテストさせて欲しい」
「なんだって? それはまた貴重な。勿論構わないよ。失敗しても何も起きないし、成功すれば良いことづくめだ。二階が入院病棟で、左通路が外科だよ。今、案内しよう」

 こうして有沢の案内で、一同は医院長室を出て、二階へと焦げ茶色の階段を進んだ。漆喰の白い壁を見て進みながら、外科のベッドがある一角へと向かう。

「このベッドの患者はね、右足を骨折しているんだ。綺麗にぽっきりと。治癒すればすぐにレントゲンで確認出来るからオススメだよ」
「そうか。ありがとう、先生」

 澪はそう言うと、昴を見た。

「あにう……ええと、こちらの方を治癒してくれ」
「うん」

 兄上と言いかけたが誤魔化した澪の前で、昴が頷く。まだ異母兄弟であることは、西園寺家に人間が生まれたことは、周囲には内緒だ。火野に頼んだ昴とその母の身元調査も終わっていない。

 昴は澪の前で患者に近づくと、包帯が巻かれている患者の右足に、両手を翳した。すると淡い青色の光が溢れた。すぐにそれは収束する。

「治ったと思う」

 昴が言うと、有沢が一歩前へと出た。そして包帯とギプスを外す。患者が起きかけたが、その前に首の脈をはかるように親指で触れてなにごとか囁いていたので、吸血して眠るように暗示をかけたのだろうと澪には分かった。

「うん。触診では、骨折している様子がなくなっている。レントゲンを撮ってみよう」

 有沢は寝入っている患者を姫抱きにすると、病室を出て廊下を進み、階段を降りていく。大柄なので、余裕の様子だ。波打っている有沢の長い金色の髪が、揺れている。

 その後レントゲン室前まで四人はついていった。
 それからすぐに、有沢がレントゲン写真を持って出てきた。

「完璧に治癒してるねぇ。参考に、こちらは骨折時の写真だよ」

 提示された二枚のレントゲン写真を見て、澪は驚愕した。
 昴の力が本物だと確信したからである。

「有沢先生、このことは内密にしてもらえないか?」
「無論、構わないさ」
「恩に着る」

 澪は頭を下げた。それから他の三人を促して、診療所を後にする。有沢は玄関まで見送りに出てくれた。

 馬車に乗り込んで走り出すと、昴が小さく澪の袖を引いた。

「ん?」
「あ、あの……ちゃんと、異能だったか?」
「――ああ」

 澪は、昴本人にはどのように説明するべきなのか思案する。これは人類及び吸血鬼にとっても至高の力だ。非常に貴重で大切で神聖で。けれど――これは持っている事が露見したら狙われる能力だ。非常に厄介だ。

「兄上はすごいな!」

 ただ表面上は喜んでおいた。すると昴がほっとしたように息を吐き、それから唇の両端を持ち上げて、綺麗に笑った。

「澪の役に立てるか?」
「そういうことは気にしなくていいんだ。ただ、俺の兄上は凄いんだなって思っただけだ」

 そんな話をしながら、馬車で帰宅する。
 終始昴と澪が話していたのだが、絵山と久水は呆れた様子だった。その目が、ブラコンと語っていたが、それが昴と澪のどちらに対しての見解なのかまでは、幸か不幸か気づいていない澪には分からなかった。

 帰宅すると、火野が出迎えた。

「おかえりなさいませ、澪様、昴様」

 火野はそう言ってから、一通の封筒を澪に差し出した。

「高宮侯爵家から夜会の招待状です」
「そうか。今年の新月の夜会は、高宮侯爵家が担当だったな」

 頷いて封筒を受け取った澪は、それをポケットにしまうと、昴に振り返った。

「兄上、まずはゆっくり休んでいてくれ。俺は少し書斎で仕事をしてくる」
「うん。あんまり根を詰めすぎるなよ」
「ありがとう、兄上」

 そう言葉を交わしてから、澪は書斎へと向かう。絵山がついてきて、久水は昴のもとに残った。



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