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―― 本編 ――

第17話 地獄の國のアリス

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 気配を殺すのは、実を言えば吸血鬼の特技である。人間の視界には入っているのだが、ただの風景にしか見えなくなる術を持ち合わせている。人間の作った吸血鬼伝承だと鏡に映らないというが実は逆で、その状態になっている場合、鏡には普通に映るので、人間に驚かれる場合がある。

 その能力を駆使して、孤児院と教会の内部構造を調べた二人は、教会の地下に大きな空間がある事を突き止めた。夜になると、ぞくぞくと、聖職者達とどこからともなく集まってきた異臭を放つ人間達が、地下の広場へと降りはじめる。皆、生臭い血の匂いだ。

 彼らに紛れて下へと降りた二人は、そこにいる集団の装束にまず注目した。

「『ジャック』とも『兄上襲撃犯』とも同一のローブだ」
「なるほど。なんらかの儀式集団みたいだね」

 素早く掠れるような小声でやりとりする二人は、ほとんど唇のみを動かしている状態といえるが、読唇術は双方心得ているので、会話に問題は無い。

「皆、聖フルール教の十字架をつけているな。月を背負った十字架に独特の鎖の」
「澪様。だとすると、彼らは聖職者ってことなのかな?」
「分からない」

 素直に澪がそう言った時だった。

「静粛に」

 一人のローブ姿の男が声を発した。声で、紫苑牧師だとすぐに澪達には分かった。

秘密結社ギルド・エトワールの秘儀の場へ、今宵もお集まり頂き感謝する。皆、共に祈ろう」

 よく通る声で紫苑牧師が述べると、その場に歓声が上がり、周囲は熱気に包まれた。

 思わず澪は眉間に皺を寄せる。
 秘密結社とは、古来から、錬金術師を名乗る人間が作るものだ。大抵の場合、それらの者は、俗に異能と呼ばれる力を持つ。また特殊な儀式を行うという知識も、澪にはあった。

「今こそ我らが聖典を読もう」

 そういうと、紫苑牧師が一冊の本を掲げた。
 布張りの本の背表紙の印字を見ると、『地獄の國のアリス』と縫い込まれている。
 それを見て、澪は怪訝に思う。昴もこの孤児院でよく読んだと話していたが、これは吸血鬼向けの本だ。その上、聖典というのが理解できない。

 その場で紫苑牧師が、蕩々と朗読を始める。皆、手に同様の本を持ち、開いている。黒い布張りの本で、銀の刺繍でタイトルが入っている。その内に、声が唱和していき、最後のくだりを読む頃には、涙を流す者さえいた。

 地獄の國のアリスは、黒薔薇病に蝕まれて脳がスカスカの愚者を、アリスが甘い血をかけた子ヤギを捧げて癒やすという物語だ。ここでいう愚者は、タロットカードの愚者と照応していると言われるが、黒薔薇病に罹患している以上、吸血鬼だ。

 その時、パタンと音を立てて紫苑牧師が本を閉じる。

「しかし残念ながら、アリスは連れ去られてしまった。今は西園寺侯爵家にいる。必ず取り戻さなければ。【黒薔薇病】の治療薬の元となる孤児達に、摂取させるための原液が作れなくなってしまう」

 嘆くように語られたその声に、澪はハッとした。
 どう考えても、ここでアリスとして挙げられたのは、昴だ。

「次のマッドティーパーティまでには、新しい薬を用意しなければならない。そこで先に次の生け贄を選定する」

 紫苑牧師はそう言うと、後ろに振り返った。すると奥から、金属音がし、銀色の鎖を引いてローブ姿の別の男がやってきた。鎖には黒い檻が繋がっていて、その中には布で猿ぐつわをはめられた、相の姿があった。

「新しいハンプティ・ダンプティは、この子ヤギだ。自己犠牲にとんでいる実に献身的な子ヤギだ。必ずしや、多くの吸血鬼の方々の命をお救いすることだろう」

 恍惚とした声で紫苑牧師が言う。
 檻の中の、手足にも枷を嵌められている相は、ガクガクと震えている。見開いた目は充血しており、眦から涙が零れ落ちていく。

「なにせこの子ヤギは、過去に何度かは原液を摂取させたおかげで、いい薬種になった。あとは腎臓を、肝臓を、肺を、心臓を、抜いてすりつぶして解毒剤の材料にするだけだ。異能を持つ錬金術師の我々や、中でも特別な異能ゆえに原液となるアリスとは違う、愚かな人間が吸血鬼の方々に貢献できることは、実に誉れなことだろう。ただし仕上げの原液は、やはり必要なのだがな。それは愚かな人間の身では力不足という事だ」

 紫苑牧師の言葉が終わると、大歓声が上がった。皆が、そうだそうだと賛同している。
 澪は戦慄した。背筋が粟立ち、思わず両腕で体を抱いた。



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