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第一章:残んの月
【十】狐狸の類い
しおりを挟むこうして木戸を抜け、暫く進んだ頃雨があがった。ひょいと上を見てから、椋之助が傘を閉じる。それは伊八も同じだった。陰影が目立つ雲の合間から、月が覗いている。濡れた道を歩きながら、二人は斗北藩の江戸屋敷を目指して進む。
「時景様は、どんな具合なんでしょう。兄上に伺っておくべきでした」
「その薬籠には何が入っているんだ?」
「大半は漢方薬や調合するその材料です。ただ一部は、私が長崎にいた際に学び、あちらの友人や師と独自に調合したものや、蘭方の知識を用いて調合した薬も入っているので、普通の薬籠とは異なると思って下さい。この薬籠は私の自慢の品なので。叔父上にも絶対負けません」
きっぱりと断言した椋之助を一瞥してから、伊八が頷いた。
「なら、伺わなくても対応できるだろ」
「それとこれとは話が別です」
そうして角を曲がり、江戸屋敷が少しずつ近づいてきた時のことだった。
「あ」
正面から歩いてきた四人の武士が、唖然としたような声を出した。なんだろうかと正面を見ていた椋之助が立ちどまる。伊助も眉を顰めてそちらを見た。
「こ、狐狸の類いだ!」
「間違いない、狐か狸に違いない!」
「いいや、のっぺらぼうが顔を描いたのかもしれん」
「いずれにせよ、あやかしの類いだ!」
四人の武士が口々にそう叫んで、一斉に抜刀した。それが二人に向けられている。
「なっ、なんですか、急に」
呆気にとられた椋之助が一歩後退る。伊八は動かず、正面を睨めつけたままだ。
そこへじりじりと武士達が近づいてくる。
「斗北藩の者だな?」
伊八が地を這うような低い声を発した。するとびくりと肩を跳ねさせた四人が、咄嗟のことだったからなのか、それぞれ頷いた。皆、震えながら刀を構えている。顔は青ざめて見える。
「覚悟!」
その時、一人の武士が刀を振り上げた。椋之助は、伊八を一瞥する。自分一人ならば、逃げ切る自信があった。医者をしている現在も体を鍛えることは疎かにしていないし、元々武芸の心得があるからだ。この際大切とはいえ薬籠を武器に、刀を受け止めることだって出来る。だが、料理人の伊八はどうなのか。いくら体ができているとはいえ、それが即ち武力に自信があるということではないはずだ。だが――。
「!」
次の瞬間、椋之助は目を見開いた。
正面で、どさりどさりと音がし、四人の武士が一瞬で地に伏した。見れば、倒れた四人の向こうで、右手を持ち上げている伊八の姿がある。傘は左手で持っている。地面に視線を向ければ、皆気絶しているのだと分かった。早すぎて、何が起きたのか、椋之助には見て取ることが出来なかった。
「これは……」
「椋之助、急ごう。とはいえ、江戸屋敷に向かうというのに、そこにいるはずの斗北の武士に斬りかかられたんだから、気をつけないとな」
「気を抜かず、用心します。そういうことではなくて、その――」
どのような技で、刀を持つ武士を瞬時に四人も倒したのかと訊ねたかったのだが、伊八が早足で歩き出してしまった。無言で顔を向けられ、視線で先を促される。慌てて椋之助は、それに従った。
その後二人は走るようにして、斗北藩の江戸屋敷まで向かい、なんとか無事に到着した。
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