人格ライゼ

水鳴諒

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―― Chapter:0 - SIDE:ユキナ ――

【001】ユキナの人格ライゼ

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 目を覚ました時、〝ユキナ〟はノートパソコンの画面の中にいたんだ。その前には十三歳のゆずりは博士が立っていて、だぶだぶの白衣を引き摺りながら、真正面のモニターを見据えていたんだよ。僕はそれを識っているけれど、見ていたわけではないんだ。

 ――僕がなにか?
 それは追って話す日が来たら語ろう。

「ここは……何処?」

 ユキナが画面の向こうから、ペタペタと触っているから、掌がよく見える。

「僕が生みだしたデジタル空間の中」

 抑揚の無い淡々とした声で、楪博士が答えている。するときょとんとしたユキナが、目を丸くしたまま首を傾げた。薄いピンク色の長い髪が揺れている。彼女は今生じたのだけれど、十七歳だ。そういう、設定だ。

「そこのベッドが見える?」

 楪博士が振り返る。白いシーツが掛けられた寝台の上には、一人の女性が横たわっていた。つんと形のいい胸が、ハイネックのサマーセーターの下から存在を主張している。彼女もまた白衣を纏っている。化粧の施された長い睫毛が彩る瞼はきつく閉じられていて、寝入っているのは明らかだ。金色の波打つ髪をしている二十七歳の日本人女性だ。

「彼女は僕の助手。春樋はるひ
「そうなんだ。それがどうかしたの?」
「今から音楽を流すから、彼女を見てそれを聴いて」
「うん」
「そうしたら、きみの人格は、人格ライゼされて、彼女の中に移動――旅行するはずだよ。僕はその実験のために、ユキナを生みだしたんだ」

 つらつらと語った楪博士は、細い指をENTERキーの上に載せる。

「行くよ」

 するとその場に、流麗な調べとも雑音ノイズともつかない、ハイテンポとスローテンポを繰り返す曲が流れ始めた。確かに、それは誰かが唱っている。魂の叫びのようにも、機械的で無機質にも聞こえる、高い少年あるいは低い少女の声のようだった。

 僕に聞き取ることが出来た歌詞は、非常に少ない。

 ――終末前夜カタストロフィは目前だ。
 ――地球の最果てにて海から落ちた先にある実験室の硝子には皹。
 ――見ている方はどちらなのか。
 ――地球が丸いなんていう虚偽デタラメを嘯くクック・ロビンは何処にいるの?

 果たしてこれで、正確に聞き取れていたのかは怪しい。

 音が響いている中で、ノートパソコンの画面にカラフルな線が入り始める。ジジジと音がしては、映像が歪み始める。ギュッと目を閉じたユキナが、両手で耳を押さえる。直後、彼女の姿が画面からかき消え、プツンと音を立ててノートパソコンの電源も落ちた。

「え……なに?」

 すると寝台で春樋博士の体が上半身を起こし、赤い口紅ルージュが塗られた唇で声を発した。声帯が震えた喉を、驚いたように彼女は押さえている。

「私、え? どういうこと?」
「きみの名前は?」
「ユキナだよ?」
「成功だね。幸いだ。今、きみは春樋の人格を奪取している。彼女の中に人格ライゼしているんだ」
「人格ライゼ……?」
「特定の音楽こーどを聞くと、他者の中に入れることだと思ってくれればいいよ。その間、元々の体の持ち主の人格は心の奥底に深く沈んで、きみが次に別の体に移動するまで眠るんだ。元の人格に戻ってからは、きみが中にいた間の記憶は消失する。短期の健忘状態になる」

 語る楪博士は、立ち上がったまさにユキナとなった春樋を見上げる。
 彼女は耳に髪をかけながら、呆然としたような顔付きになった。

「さぁ、この実験室から出て行くといいよ。モニタリングはこちらで出来る。きみは街へ行き、次の人格ライゼ先を見つけるんだ。音楽は、こちらで用意したWebサイトに接続すればいつでも聞こえる。今、春樋の白衣のポケットには、スマホとワイヤレスイヤホンが入っているから、次の対象を見つけたら、今度は自分で音楽を再生して、視界に対象を捉えればいい。音楽を聴いているときに、視界に捉えている相手に移動が出来るんだ。ああ、音楽が再生できるように、スマホかパソコン、そうした音楽を再生可能で、Wi-Fiに接続しているデバイスの持ち主に人格ライゼするように気をつけて。まぁ、持っていなかったら、持っている誰かのところまで徒歩で移動すればいいんだけどね。元の人格が騒いでハウリングするようになったら、特に移動をするように」

 それを聞いたユキナが出て行く。
 ドアがバタンと閉まった時、ノートパソコンの前に移動し、楪博士は薄茶色の髪を揺らすと、電源を入れた。

「さて、二つ目の人格の用意とテストをしないとね。モニタリングも並行するけど、ユキナは多分、失敗・・だ」

 平坦な声音が、一人きりになった白い箱に響く。ただ飴色のドアと銀色のノートパソコンだけが、人工物では色彩を持っている。

 レトロなノートパソコンに見える品だが、それは見た目だけだ。
 内部は全く異なる。
 楪博士は、パソコンが起動した後、EscキーとENTERキーを同時に押した。するとキーボードの上に、光で出来たコンソールが広がる。その上に掌を載せた少年が、プログラムが起動するようにと思考すると、指向性キーボードが、光のように動いていき、思考のままにパソコンが動作する。まるでピアノの鍵盤のように、その光は動いていた。

「これで一つ終わりだから、次のはじまりだね」

 聞く者が誰もいない声を、楪博士が放つ。僕だけが、それを識り、記憶している。
 これが、あるいは開幕の一風景だった。


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