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幸治君が呼んでくれたタクシーに乗り着いたのは、唯乃と内覧をした最後のマンション。



幸治君と一緒に暮らした家で使っていたベッドと、ここで暮らす為に購入した家電は全て設置が終わっている。
1LDKの部屋にはいくつもの段ボールが積まれ、引っ越し業者の人達もいなくなり静かな部屋の中でブタネコ之助を抱っこし、キャリーバッグからまだ出せていない桜が足元にいる。



「カーテン、つけないと・・・。」



暗くなり始めたこの街の空が窓から見える。
オフィスビルも高層マンションも窓からは見えず、広い空が4階の窓ガラスには広がっている。
すぐ近くにある公園の緑が空の下には広がっていて、少しだけ窓を開けると子ども達の高い笑い声が微かに聞こえてくる。



車の音もしない静かな住宅街に子ども達の笑い声だけが響くこの街は、何だかとても悲しい夜が始まるような夕方のように感じてしまう。



「夜ご飯はカレーなんだ・・・。」



どこからかカレーの香りが漂ってきて、気持ち悪い身体がその匂いを受け付けられず、慌てて窓を閉めた。



ピンポ─────────ン



窓を閉めたタイミングでインターフォンが押され、重い足を必死に動かしながらインターフォンのカメラを確認した。



そしたら、いた。



インターフォンのカメラ越しなのに、もう・・・すっっっっごく格好良いのが分かる園江さんが。



「はい。」



『園江で・・・あ、砂川です。
荷解きの手伝いに来ました。
あ、サガワといっても引っ越し業者の方ではなくて砂に川の方の砂川です。』



「うん・・・っ」



格好良いしかないような旧姓園江さんが少し慌てながらそんな言葉を付け足していて、それには自然と笑いながら玄関の扉へと向かった。



「本当に来てくれたんだ、ありがとう。」



「約束したのにドタキャンしませんよ。
具合はどうですか?」



「あんまり良くないかも。」



「妊婦さんなのであとはゆっくりしててください。」



「そういうわけにはいかないよ・・・。
私1人でこの子を産んで育てなきゃいけないから・・・。」



「そうですね、だから今はその子を無事に産むことだけを考えてください。
羽鳥さんは産まれてきたその子を産んで育てるんですよね?」



静かな動きだけど不思議と力強くも感じる動きで、園江さんが玄関から私の家へと足を踏み入れた。



園江さんのその言葉には私は何度も頷き、私を通り過ぎた園江さんの後ろ姿に吐き出す。



「望さんにも秘密にしてくれてありがとう・・・。」



「妊娠するとお腹の子どものことを“敵”から守ろうとするのが普通らしいので。
人によっては旦那のことまで敵と認定することもあるらしいですよ。
だから普通ですよ、羽鳥さんは。」



園江さんが優しい顔で私のことを振り向いた。



「家族にも加藤の家の人間にも、お腹の子どもを殺されてしまうかもしれないと思うのは普通のことです。」



優しい顔で私に笑い掛けてくれる園江さんが桜が入っているキャリーバッグを持ち上げ、部屋の隅に置いた。



「今部屋を綺麗にするからもう少し待っててね、桜。」



いつもの声よりもっと優しい声で桜に声を掛けてくれる園江さんの横顔に聞く。



「砂川課長、怒ってた・・・?」



「いや、全然ですね。
砂川さんって“そういう人”だから。
むしろ羽鳥さんのことを心配してましたよ。」



園江さんがそう言って、ゆっくりと私のことを見た。



「“落ち着くまでうちで一緒に住もうか”とまで言ってました。」



「うん、ね。
この前課長からチラッと提案されたよ。」



園江さんが砂川課長と結婚をしてまで、私のこととお腹の子どものことを守ろうとしてくれた。
“Koseki”の代表取締役となりこれからアパレルブランドを立ち上げる以上、砂川課長に筋を通すように園江さんからあのレディースクリニックのおトイレで言われていた。



“私の口からは言えない。
幸治君にも言えないことを課長になんてもっと言えない。”



そう吐き出した私に園江さんは険しい顔をしながらも頷き、“私がどうにかします”と言ってくれた。



「課長にも園江さんにもいっぱい迷惑を掛けてるから、これ以上お世話になれないよ。」



「子どもは親だけが育てるものではないらしいので、家族や親戚や友達に頼れないなら、差し伸べてくれる人の手を掴んでも良いと思いますよ。」 



園江さんがそう言って、スラッと長くて綺麗な片手を私に伸ばした。



「カーテンください。」



そう言われ、段ボールの中から購入してあったカーテンを園江さんに手渡した。



「ありがとう・・・ごめんね・・・。」



「妊婦さんには優しくするように親から言われて育ったので、これが私の普通です。」



「お父様から・・・?」



長い両手でカーテンを広げた園江さんに聞くと、園江さんが楽しそうに笑いながら頷いた。



「まあ、そうですね、父から。」



楽しそに笑った園江さんが急に苦笑いになり、困った顔で私のことを見た。



「うちの父がすみません。
次の診察では私も付き添いますから。」



あのレメディーズクリニックの院長であり、私の診察をしてくれていた園江さんのお父様であるあの怖い先生のことを思い出し、首を横に振ろうとしたけれど思わず頷いてしまった。



「園江さんってお父様に全然似てないね・・・。」



「そうですね、兄も私も母親によく似た見た目です。」



妊婦である私に全然優しくなかったあの先生のことを思い浮かべ、“中身も全然似てないね”と心の中で吐き出した。
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