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会社のビルのロビー、相川さんの後ろ姿が見えなくなってからも私は動けないままでいた。
相川さんがいなくなることに対して“寂しい”という気持ち、そして何故か砂川さんがここまでついてきていて。



“何で砂川さんまで来たの!?”



その言葉は飲み込み、キーカードを握る手に力を入れて振り返る。



「戻りましょうか。」



オフィスビルの入口ゲートに向かって足を踏み出した。
いや、踏み出そうとした。



なのに砂川さんが声を出してきて・・・



「俺は昨日の夜まで戻りたい。」



それを聞き、私の足は動くことなく止まってしまった。



すぐそこにある受付、すぐ目の前にある入口ゲート、そこに向かって沢山の人達が私の横を通り過ぎていく。



みんな当たり前かのようにスーツを着て、みんな当たり前かのように仕事をする。
そんな“普通”の男女がこのオフィスビルの中を行き交っている。



すれ違う多くの“普通”の人達を眺めながら、“そういう人”である砂川さんに口にした。



「増田財閥の分家の人達にどんな文句を言ったんですか?」



「文句ではないよ、至極当然のことを言っただけ。
特に酷かった人には弁護士をつけて訴えた。」



「え・・・!?パワハラとか?」



予想を上回るその話には思わず砂川さんのことを見上げた。
砂川さんは“普通”の顔で“普通”に口を開き・・・



「俺は犬が大嫌いなんだよね。」



「犬・・・?」



「ちょこまかとつきまとっては“構って”と訴えかけられるのが無理で。
気持ち的にも無理だし俺は酷い犬アレルギーだから身体的にも本当に無理で。」



「はあ・・・。」



「それを何度も伝えているのに不細工なブルドッグを連れて営業所に顔を出しに来る分家の人間がいたんだよ。
“俺の家族を侮辱するつもりか”と全く話にならないことを喚いて、精神的にも肉体的にも苦痛を与えてきたので訴えた。」



「・・・めっちゃウケるんですけど。
それでどうなったんですか?」



「犬の件だけじゃなく俺のことを名前ではなく中国人と呼んでいて。
昼飯や飲み会に声を掛けられることがあっても俺はその時に中華料理の気分だからと毎回断っていて・・・あ、俺は中華料理が好きなんだよ。」



何だか笑えてきてしまって普通に笑いながら私も口にした。



「私も中華料理が1番好きです。」



「だからって中国人って毎回呼ばれたら良い気持ちはしないよね?」



「そうですね。
でも、だからといって訴えることまで私には出来そうにないですけど。」



「“やめて欲しい”と何度もハッキリと伝え、文書にもし、本社にも報告をしたのに余計に酷くなった。
精神的にも肉体的にも苦痛を与え続けてきたので普通に訴えた。」



「“普通”に・・・。」



「うちの弁護士もやり手らしいから普通に訴えれば勝てると思っていたけどね、最終的に示談になってしまった。
長い間頓珍漢な主張をしてきたかと思ったら、俺が地主の息子だと知ってからは急に示談を持ち掛けてきて。
うちの弁護士と“もう面倒だから終わりにしよう”となって。」



「“うちの弁護士”って?」



「ああ、うちの家の。」



「そっか、砂川さんって地主の家の人だから。
ここの財閥の人間のことも普通に訴えられるんですね。」



「訴える時に自分の家など何も関係がない。
俺自身に酷い苦痛を与えてきたから訴えただけ。」



その返事にも笑ってしまった。
この大きな大きな財閥に対して“普通”に訴えようと思える個人がいるなんて思いもしなかった。



「砂川さんは“めっちゃ変な人”ですけど、私はそういう所が嫌いではありません。」



“好き”と素直に口に出来るほど私は女の子ではないけれど、誰も出来ないようなことを“普通”にやってしまうことが出来る砂川さんにこれだけでも伝える。



「砂川さんは“普通”ではない所もありますけど、砂川さんの“普通”ではない所も私は嫌いではありません。」



そう言葉にした私のことを砂川さんはジッと見下ろしてきた。



「それじゃあ、昨日の夜に戻ってくれる?」



「いや、それとこれとは話は別!!
もういいって!
もう散々試したじゃん!!
またどうしたの!?」



「もっと頑張れると思って。」



「頑張っても無理だったじゃん!!」



「うん、だから精力剤を飲む。」



「そこまでして!?」



これには大きく笑ってしまい、そのままの顔で砂川さんに頷いた。



「分かりました、2回も3回も変わらないのであと1回だったら付き合います。
これで本当に最後ですからね?」



「分かった、待ってて。
すぐに戻るから。」



安心した顔で砂川さんが笑い返し、笑い続けている私の顔をマジマジと見下ろしながらスーツのポケットからキーケースを取り出し、そこから鍵を外して私に差し出してきた。



何度も砂川さんに返したその鍵がまた私の所に戻ってきて、私は自然に笑いながらその鍵を受け取った。



皆が思ってしまうくらい砂川さんは“普通”ではない。
でも私はそんな砂川さんのことが“好きだな”と思う。



私には出来なかった、ここの財閥の分家の人間達と闘うということ。
相川さん以上のことを“普通”にやった砂川さんのことが、私はやっぱり“男の人として凄く好きだな”と思ってしまう。



無意識に握り締めた砂川さんから受け取った鍵は、何だか凄く大切な物のように思えた。



家主の砂川さんにとってだけではなく、私にとっても凄く凄く大切な鍵なような気がした。
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