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第29話 涙
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午後は49センチ水路に戻って葦撃ちを再開した。
午前中、美沙希はカズミの指導で自分の釣りに集中できなかったが、午後はビシバシとルアーを葦際に撃ち込んでいった。
「来たっ!」
3時30分ごろ、美沙希が鋭くロッドをあわせた。
慎重にバスの口をつかんで取り込み、42センチをゲット。
「これは正真正銘の40アップ」と言って、カズミを悔しがらせた。
「あたしだって!」
カズミがルアーを6インチジャンボグラブに変えて、デカバスを狙う。
グラブは水の中でピロピロと動くしっぽを持ったソフトルアーだ。
4時15分にバスを釣ったが、惜しくも37センチ。
「ああ~っ、また40センチに届かなかったよぉ」
「がんばって、まだ時間はあるわよ!」
5時ごろにダブルヒット。
美沙希は30センチ、カズミは34センチのバスを獲った。
「だんだんサイズが小さくなるぅ」
「あはははは。でもりっぱなものよ。ベイトタックル初使用で3匹のバスを釣ったんだもの」
その後は魚が出ず、6時が過ぎ、空が橙色に染まってきた。
やがて空は暗い紺になり、うっすらと見えていた月がしだいに明るくなり、一番星が光った。
カラスの群れが巣に帰っていき、コウモリが舞う。
「そろそろ終わりかなぁ」とカズミがつぶやいた。
「まだよ。まだやれるわ」
美沙希は葦撃ちを続けていた。
「でもここには街灯もないし、明かりが残っているうちに片付けないと」
「嫌……。今日が終わるなんて嫌よ……」
美沙希の声が震えているのに、カズミは気づいた。
数時間前に40アップを釣ってドヤ顔をしていた美沙希が、涙を流して泣いていた。
「ど、どうしたの、美沙希?!」
「明日は学校……」
「そうね。今日がゴールデンウィークの最終日だから」
「学校なんて行きたくない!!」
美沙希の両目から大粒の涙がこぼれて、頬を伝い、地面にポツリと落ちて、しみをつくった。
「カズミ、私は学校に行きたくないの……。もうあんなところに行くのはいや。じっと我慢して時が過ぎるのを待つだけ。周りの人たちは楽しそうにしているけど、私はちっとも楽しくない。話しかけられるのが怖い!!」
「美沙希……」
カズミは子どものように泣きじゃくる美沙希に近づき、抱きしめた。
彼女はしがみついてきた。
「行きたくないよお。行きたくないんだよお……」
五月病だ、とカズミは思ったが、もちろんそんなことは言わなかった。
「学校なんか行きたくない。ずっとカズミと釣りしていたいよお」
美沙希を強く強く抱きしめる。
この子はあたしのものだ、誰にも渡したくない、という気持ちが湧きあがった。
「行かなくていいんじゃない」とカズミは言った。
「え? いいの?!」
「あたしは美沙希の親じゃないから、こんなこと言っていいのかわからないけど、行きたくないなら行かなければいい」
「そんなこと言ってくれた人は初めて……。お父さんも中学校の先生も、学校へ行けとしか言わなかった……」
「無理に学校へ行って、心を病んで、自殺する人もいる。あたしは美沙希にそんなふうになってほしくない。生きてあたしと一緒にいてほしい」
「明日も一緒に釣りする?」
「ごめん。悪いけど、あたしは学校に行くよ。放課後ならつきあうけど」
カズミは高校をきちんと卒業するつもりだ。できれば大学にも行って、安定した収入を得られる就職をしたい。
そうしなければ、好きな人を養うことができない。
あたしはたぶん、ちゃんとした結婚はできない、とカズミは考えている。彼女の将来の夢は、好きな女の子と共同生活をして生きていくことだ。
好きな子を経済的にも心理的にも支えられる自立した女になるのが、カズミの目標だ。
「そっかあ、カズミは学校行くのか……。そりゃそうだよね」
いつのまにか、美沙希は泣きやんでいた。
そして、カズミから身体を離した。
「ごめんね、急に泣いたりして。私、情緒不安定だね」
「いいのよ、美沙希はそのままで。その分、あたしが強くなるから」
「えっ、なんで私の分、カズミが強くなるの?」
「そりゃあ、美沙希を守るためじゃない?」
えっ、何を言ってるの?
美沙希はびっくりしてカズミを見た。
目が合った。
彼女はカズミの目をのぞき込んだ。
映画のような目だ、と思った。
恋愛映画に出てくるような切ない目。
これは恋しい人を見る目だ……。
嘘、今まで気づかなかった。
美沙希は男の子が怖い。
でも、心の奥底では、強い男の子に憧れる気持ちを持っていた。
いつか自分を守ってくれる男の子が現れたらいいのに、と強く想っていた。
もし、やさしくて強い男の子がいたら。
私だけの騎士がいたら。
甘えたい。
尽くしたい。
すべてを与えて、その人のためだけに生きたい。
カズミが男の子だったらよかったのにな……。
あれ?
女の子のカズミではいけないのかな?
カズミはやさしくて強い人だ。
私を愛し、守ろうとしてくれている。
私史上最初の友だちだと思っていたけれど。
女の子だけど。
私史上最初で最後の騎士なのかもしれない。
カズミを直視できなくなって、美沙希は目を伏せた。
頭が混乱して、心臓がバクバクして、何がなんだかよくわからなくなっていた。
「帰ろう」と美沙希は俯いたまま言った。
釣り具を片付け、自転車を漕ぎ出す。
カズミはそのあとを追いながら、今度はあたしが泣きそうだよ、と思っていた。
美沙希がカズミの目を見ていたように、カズミも美沙希の目を見ていた。
美沙希は、性的にはノーマルだ。彼女の目を見て確信した。
あたしが男の身体を持っていたら、美沙希を落とせたのに。
この子を自分のものにするのは、かなわぬ夢かもしれない……。
午前中、美沙希はカズミの指導で自分の釣りに集中できなかったが、午後はビシバシとルアーを葦際に撃ち込んでいった。
「来たっ!」
3時30分ごろ、美沙希が鋭くロッドをあわせた。
慎重にバスの口をつかんで取り込み、42センチをゲット。
「これは正真正銘の40アップ」と言って、カズミを悔しがらせた。
「あたしだって!」
カズミがルアーを6インチジャンボグラブに変えて、デカバスを狙う。
グラブは水の中でピロピロと動くしっぽを持ったソフトルアーだ。
4時15分にバスを釣ったが、惜しくも37センチ。
「ああ~っ、また40センチに届かなかったよぉ」
「がんばって、まだ時間はあるわよ!」
5時ごろにダブルヒット。
美沙希は30センチ、カズミは34センチのバスを獲った。
「だんだんサイズが小さくなるぅ」
「あはははは。でもりっぱなものよ。ベイトタックル初使用で3匹のバスを釣ったんだもの」
その後は魚が出ず、6時が過ぎ、空が橙色に染まってきた。
やがて空は暗い紺になり、うっすらと見えていた月がしだいに明るくなり、一番星が光った。
カラスの群れが巣に帰っていき、コウモリが舞う。
「そろそろ終わりかなぁ」とカズミがつぶやいた。
「まだよ。まだやれるわ」
美沙希は葦撃ちを続けていた。
「でもここには街灯もないし、明かりが残っているうちに片付けないと」
「嫌……。今日が終わるなんて嫌よ……」
美沙希の声が震えているのに、カズミは気づいた。
数時間前に40アップを釣ってドヤ顔をしていた美沙希が、涙を流して泣いていた。
「ど、どうしたの、美沙希?!」
「明日は学校……」
「そうね。今日がゴールデンウィークの最終日だから」
「学校なんて行きたくない!!」
美沙希の両目から大粒の涙がこぼれて、頬を伝い、地面にポツリと落ちて、しみをつくった。
「カズミ、私は学校に行きたくないの……。もうあんなところに行くのはいや。じっと我慢して時が過ぎるのを待つだけ。周りの人たちは楽しそうにしているけど、私はちっとも楽しくない。話しかけられるのが怖い!!」
「美沙希……」
カズミは子どものように泣きじゃくる美沙希に近づき、抱きしめた。
彼女はしがみついてきた。
「行きたくないよお。行きたくないんだよお……」
五月病だ、とカズミは思ったが、もちろんそんなことは言わなかった。
「学校なんか行きたくない。ずっとカズミと釣りしていたいよお」
美沙希を強く強く抱きしめる。
この子はあたしのものだ、誰にも渡したくない、という気持ちが湧きあがった。
「行かなくていいんじゃない」とカズミは言った。
「え? いいの?!」
「あたしは美沙希の親じゃないから、こんなこと言っていいのかわからないけど、行きたくないなら行かなければいい」
「そんなこと言ってくれた人は初めて……。お父さんも中学校の先生も、学校へ行けとしか言わなかった……」
「無理に学校へ行って、心を病んで、自殺する人もいる。あたしは美沙希にそんなふうになってほしくない。生きてあたしと一緒にいてほしい」
「明日も一緒に釣りする?」
「ごめん。悪いけど、あたしは学校に行くよ。放課後ならつきあうけど」
カズミは高校をきちんと卒業するつもりだ。できれば大学にも行って、安定した収入を得られる就職をしたい。
そうしなければ、好きな人を養うことができない。
あたしはたぶん、ちゃんとした結婚はできない、とカズミは考えている。彼女の将来の夢は、好きな女の子と共同生活をして生きていくことだ。
好きな子を経済的にも心理的にも支えられる自立した女になるのが、カズミの目標だ。
「そっかあ、カズミは学校行くのか……。そりゃそうだよね」
いつのまにか、美沙希は泣きやんでいた。
そして、カズミから身体を離した。
「ごめんね、急に泣いたりして。私、情緒不安定だね」
「いいのよ、美沙希はそのままで。その分、あたしが強くなるから」
「えっ、なんで私の分、カズミが強くなるの?」
「そりゃあ、美沙希を守るためじゃない?」
えっ、何を言ってるの?
美沙希はびっくりしてカズミを見た。
目が合った。
彼女はカズミの目をのぞき込んだ。
映画のような目だ、と思った。
恋愛映画に出てくるような切ない目。
これは恋しい人を見る目だ……。
嘘、今まで気づかなかった。
美沙希は男の子が怖い。
でも、心の奥底では、強い男の子に憧れる気持ちを持っていた。
いつか自分を守ってくれる男の子が現れたらいいのに、と強く想っていた。
もし、やさしくて強い男の子がいたら。
私だけの騎士がいたら。
甘えたい。
尽くしたい。
すべてを与えて、その人のためだけに生きたい。
カズミが男の子だったらよかったのにな……。
あれ?
女の子のカズミではいけないのかな?
カズミはやさしくて強い人だ。
私を愛し、守ろうとしてくれている。
私史上最初の友だちだと思っていたけれど。
女の子だけど。
私史上最初で最後の騎士なのかもしれない。
カズミを直視できなくなって、美沙希は目を伏せた。
頭が混乱して、心臓がバクバクして、何がなんだかよくわからなくなっていた。
「帰ろう」と美沙希は俯いたまま言った。
釣り具を片付け、自転車を漕ぎ出す。
カズミはそのあとを追いながら、今度はあたしが泣きそうだよ、と思っていた。
美沙希がカズミの目を見ていたように、カズミも美沙希の目を見ていた。
美沙希は、性的にはノーマルだ。彼女の目を見て確信した。
あたしが男の身体を持っていたら、美沙希を落とせたのに。
この子を自分のものにするのは、かなわぬ夢かもしれない……。
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