月の塔

みらいつりびと

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月の塔の終わり

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 月の塔の頂上で何年も働いた。
 クレーンのロープの巻きあげ、巨石の積みあげ、免震ゴムの設置、料理、新人教育、安全管理、地上との連絡、怪我人の搬送、機械の修理……。
 さまざまな仕事をやったが、できるだけ単純な作業がいいとおれは思った。なにも考えず、ひたすら力をふりしぼっているのが好きだ。
 だが、月のアルフォンズ国の姫はおれを指名し、意外な仕事を命じた。
「王庭、わたしの補佐役になり、手足となって助けなさい」
 彼女は月の塔建設の最高顧問で、おれは単なる一労働者だ。拒否権はない。意に反する仕事だろうと、どれだけ面倒くさかろうと、言われた仕事をこなすしかない。
「なにをやればいいのですか」
 以前は使わなかった敬語を、彼女に対して使った。
「頂上にいて、労働者を監視しなさい。なにか異常を感じたらわたしに報告しなさい」
「わかりました」
「休息は第一気密小屋で。わたしもそこで休んでいます」
 おれは姫の補佐役を始めた。
 頂上を歩き回り、労働者たちの仕事ぶりを監視した。
 特に異常は感じなかった。 
 第一気密小屋に入った。月人たちがいる小屋だった。人間はおれだけ。
 彼らは黒い水を飲み、立って眠った。月人は地球人とは根本から異なる存在のように思えた。
「わたしたちは機械でできているのです。空気も飲み物も食べ物も必要としません」と姫は言った。
「黒い水を飲んでいるではないですか」
「あれは燃料です」
 燃料とはなんなのか、おれにはわからなかった。
 おれは監視をつづけた。
 労働者を眺め、地球を眺めた。地平線は確かに弧を描いていた。
「異常ありません」とおれは毎日姫に報告した。
「ひとり転落しました」というような報告をすることもあった。
「そんなささいなことは異常ではありません」と言われた。
「わたしが動かなくてはならないようなことがあれば報告しなさい。たとえば、音が伝わらなくなったとか」
 おれは少し驚いた。
「音が伝わらないなどということが起こるのですか」
「音とは空気の振動です。空気がなくなったら、伝わりません」
 高度を上げるにつれて、空気は薄くなっている。
「宇宙は真空です。そこでは声で指示を伝えることはできない。身振り手振りで指示しなければならない」
 姫は宙から下りてきて、おれの前に立った。 
「宇宙空間では高エネルギー放射線が飛び交っています。地球人は宇宙線を浴びて病気になり、ばたばたと倒れるようになるでしょう。そのような事態になったら報告しなさい」
 おれは呆然と立ち尽くした。
「塔を月につなげ、完成させるのは、とてつもなく困難なようですね……」
「困難? ふっふふっ、あはははは」
 姫は笑った。
「まだこの塔は二万メートルにも達していないのですよ。宇宙は地球表面から百キロメートルも離れています。そして月は三十八万キロメートルの彼方。あなたは月の塔が竣工するとでも思っているのですか?」
 思っていた。そのためにおれは働いているのだ。
「月を見なさい」
 おれは月を見上げた。地表にいたときと見た目の大きさは変わっていない。近づいている実感はまったくなかった。
「動いているでしょう?」
 確かに月は動いていた。ゆっくりとだが、昇り、沈む。
「満ち欠けするでしょう?」
 確かに月は満ち、欠ける。満月は半月になり、三日月になり、やがて新月になって消える。
「天体が他の天体の周りを回ることを公転と言います。月は非常に速く公転しています。毎秒千メートルの速度で、地球の周りを回っています。地球もとても速く公転しています。毎秒三十万メートルの速度で、太陽の周りを回っています」
 姫は楽しそうにおれに説明した。
「月も地球も公転しているだけでなく、独楽のように軸を持って回っています。これを自転と言います。月は自転し、地球の周りを公転し、地球とともに太陽の周りを公転しています」
 姫の背はおれより低い。彼女は斜め下からおれの目を見上げ、口角を上げて微笑んだ。
「高速で回る天体と天体をつなぐなんて、機械人であるわたしたちにもできはしません。つまり、月の塔は完成しない」
 おれの中で働く意欲が崩壊した。
「石材も枯渇しています。国中の山が平らになり、いまでは平地を掘って石を取り出している始末。月の塔もバベルの塔もできるはずがないじゃないですか」
 ついに姫は哄笑した。
「あはっ、あははっ、くっくっくっ、ひっ、うひっ、あはははははは」
 目の前で笑う月の美女を見ていられなくて、おれは後ずさって彼女から離れ、塔頂上の中央気密小屋へ入った。そこには内部らせん階段がある。
 おれは月の塔を駆け下りた。一気に地上まで。
 労働者と技術者と商人と役人たちの街は相変わらずにぎわっていた。
 役所へ行き、何年も働いた分の賃金を受け取った。背嚢の中は金貨でいっぱいになった。
 月の石でつくられているというかんざしをふたつ買い、故郷へ帰った。
 そこでは妻と娘が米をつくっていた。
 おれは月のかんざしをふたりに渡した。
 故郷からは山はひとつも見えず、月の塔が高く聳えているばかりだった。
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