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第38話 豚王の末路

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 そんな豚王の姿を見て、この国も長くはないと感じた者も多かった、右大臣と左大臣亡きあと、二大巨頭となった財務大臣と軍務大臣も危機感を強くしていた。
 財務大臣は早くも国を見限り、王家の財産を奪って国外へ脱出しようと考えていた。宝物庫の財宝を持ち出せれば、世界中のどこででも子々孫々まで悠々と暮らしていける。
 その計画を察知し、財務大臣を粛正したのは、軍務大臣である。彼は共に国を支える使命をになっていた同僚の裏切りに激怒し、財務大臣の屋敷を包囲し、焼き討ちにした。
 建国の忠臣マルクスクスの血を引く軍務大臣は、豚王に篤い忠誠心を抱いていた。おれがなんとかせねばこの国は滅ぶ、と彼は思いつめ、豚王ににじり寄って直言した。
「陛下、もはや一刻の猶予もありません。ただちに陛下自ら大軍を発し、反乱を平定していただかなければなりません。もし差し障りがあれば、この私にご命令ください。軍の総力をあげ、陛下にかわって反乱を鎮圧してみせます」
 しかし、すでに豚王は正常な判断力を有する人ではなくなっていた。彼は玉座の周りを浮遊するめのうを追いかけ、剣を振り回すばかりで、軍務大臣の言葉に答えなかった。ときどき、何のきっかけもなくこめかみから血を噴き出し、転倒している。やつれ果てた紫色の顔は幽界へ行くのも間近、と思わせた。
「やむを得ない。独断専行とそしられようが、この上はわしが軍を率いて事に当たるほかあるまい」と軍務大臣は決断した。
 そのときから、くそまじめ大臣の活躍が始まる。
 彼は作戦本部に軍の首脳陣を集め、どうやって反乱を鎮圧していくかを諮った。独裁者豚王とちがい、軍務大臣は部下の意見をよく聞くタイプの男だった。彼の下で、軍部のエリートたちの議論が白熱した。
 反乱は王国全土に広がっているとはいえ、いくつもの反乱軍が乱立しているだけで、それらを統率する将帥がいるわけではない。ブダペスト周辺から始め、各個撃破していけば治安の回復はむずかしくない、という強気な意見が大半を占めた。
 たった一人、参謀長だけがなんの意見も述べようとしなかった。彼は会議の成り行きを不安そうに見守っていた。その態度に疑問を抱いた軍務大臣が水を向けると、参謀長はおそるおそる発言した。
「あのー、水を差すようで申し上げにくいのですが、私は反乱よりも野豚の大群の方が気になるのです。豚の群れは進路上の都市を壊滅させながら、確実にブダペストへ向かって北上しています。私には野豚の進行を阻止することの方が急務ではないかと思えるのです」
「ふむ。しかしそれにはロンドン少将が対処しておろう」
「そのとおりです。しかし野豚はただ通り過ぎるだけでブダノーサを滅ぼしたのです。かの地にも駐留師団がおりましたが、まったく抵抗できなかったようです。ロンドン軍一万で勝てる見込みはありますまい」
 参謀長の意見には説得力があった。居並ぶ面々は顔を見合わせた。いずれ野豚と人類は存亡を賭けて最終戦争を戦うことになるだろうとの見方は、すでに知識人の間では常識になっていることだった。その前哨戦が、この豚王国で始まっている。そう考えると、責任感ある軍人にとって、これは外国人の旅人などにまかせておける戦いではなかった。
「確かにそうかもしれん。反乱に気を取られて、対野豚戦をロンドン殿にまかせたことは、陛下の致命的な失敗になるかもしれんな」
 軍務大臣は重苦しく発言した。
 彼は、ロンドンが火攻めと水攻めの秘策をもって野豚に対抗しようとしているのを知らなかった。しかし、知っていたとしても、同じことを言っただろう。たった一万の軍隊でそんな雄大な作戦を遂行できるはずがない、というのがごくふつうの見解だ。
「参謀長、ロンドン軍が戦端を開くのはいつだ? もし彼らが敗れたとしたら、いつ頃野豚はブダペストへ到来するのだ?」
 軍務大臣の問いに、参謀長は慎重に計算してから答えた。
「煉獄盆地は明日にでも戦場になるだろうとの情報を得ています。そしておそらく、その十日後には、我々はブダペスト付近で野豚と戦わざるを得なくなっているでしょう」
 作戦本部に刃を突きつけられたかのような緊張感が走った。その場にいる誰もが、野豚の大軍を相手にどのように戦えばいいのか、うまくイメージできなかった。
「なんということだ! 我々にはたったそれだけの時間しか残されていないのか」
 軍務大臣はうめいた。彼の胸に野豚の脅威が重くのしかかってきた。
 野豚という不気味な要素が加わって軍議は紛糾し、深更までおよんだ。
 その夜、軍務大臣の苦境に追い打ちをかけるように、重大な事態が待ち受けていた。
 豚王の死、である。
 軍務大臣が指なし党の反乱と野豚の大群の挟撃に頭を抱えていた頃、豚王の寿命はいよいよ尽きようとしていたのだ。
 王は侍医につき添われて寝室で伏せっていた。たび重なる出血が、ついに立ち上がることもできないほど彼の体力を奪っていた。
 その夜は、なぜかめのうの姿は見えなかった。豚王は一時的に神経衰弱の状態から脱し、侍医を相手に体が元に戻ったら余も戦闘を開始せねばならん、などと話していた。
 しかし、めのうが友達を連れて豚王の寝室に現れたとき、王の精神は再び恐慌をきたした。
 めのうの友達とはすなわち、首だけになって歌うタローズ・ミヤタの幽霊であり、キャベツ姫の恋人だった御前武闘会の準優勝者であり、自殺した関白であり、さらし首になった右大臣と左大臣であり、その他豚王に恨みを残して死んだありとあらゆる幽霊たちであった。
 彼らは豚王を取り囲んで「うらめしや~」と唱和した。
 豚王は何か言おうとして口を開いた。しかし出てきたものは声ではなく、大量の血であった。輸血の連続ですでに一滴も彼本来のものではなくなっていた血液を、彼はほとんど失うまで吐血し続けた。侍医は幽霊の群れに腰を抜かし、何もすることができなかった。
 豚王は血溜まりの中に倒れた。侍医はようやくよろよろと動いて、王の手首を取った。脈はなくなっていた。
 こうして、王国の危機を放置したまま、超大国の王は死亡したのである。
 豚王の訃報を軍務大臣は軍議中に聞いた。彼が王の寝室にかけつけたとき、王は拭き清められ、ベッドに横たえられていた。紫色だった顔は青白くなっていた。すでに幽霊の群れはおらず、ただ一人、満足げに微笑んだめのうだけが、死体の上でいつまでも踊り続けていた。
 軍務大臣の脳裡に、すべての負債を引き継がねばならない軟禁中の少女の顔が浮かんだ。
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