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蛇人類の誕生です。
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エバはアダムと一緒に大地に寝そべっていた。柔らかい草が体を受け止めてくれる。どこかから花の香りが漂って来ている。
青い空を見上げながら、エバは言った。
「生命の樹の実は食べてもいいのでしょう?」
「ああ、神は食べてはいけないとは言わなかった」
「でもあなたは食べてはいないわね」
「知恵の樹の実と生命の樹の実は特別だ。あれは食べない方がいいと思う」
「どうして?」
またどうして、と訊いてしまった。癖なのだ。
「なんとなく」
アダムはあくびをした。楽天的で何も考えていないように見える。
エバは体をひねって、背後の高台に生えている知恵の樹と生命の樹を見た。二本の樹は高く、エデンの園のどこからでも見える。この楽園を象徴するような一対の樹。
「いちじくは美味しいのかしら?」
「美味しいんじゃないかな。たぶんね」
「でも食べないのね」
「食べないよ。りんごといちじくは食べない」
アダムの瞳は青く澄んでいて美しい。瞳孔は深い紺色だ。彼の返事には迷いがなく、疑問も悩みも感じられない。
雲が太陽をさえぎり、大地が陰に覆われた。
アダムは目を瞑り、眠ってしまった。
エバは話し相手が欲しかった。あの蛇が来ればいいのにと思った。草がざわざわと鳴り、黒髪の蛇がひょっこりと顔を出した。赤い瞳をして、ニタリと笑っている。
「おはようございます、エバ」
「おはよう、デモン」
「まだ知恵の樹の実を食べる気にはなりませんか」
「ならないわ」
「ちぇっ」蛇は舌打ちをした。よく舌打ちをする蛇だ。
「あなたはずいぶん知恵の樹の実に執着があるのね」
「そうですね。知恵に憧れがあるんです」
「知恵って、どんなものなのかしら」
「考える力ですよ。もっといろいろなことがわかるようになって、世界を知り、世界を変えることができるようになるかもしれません」
「世界を変えるのは神の御業よ」
「知恵の樹の実を食べると、神に近づけるのかもしれません」
蛇の瞳はらんらんと輝いていた。
「神に近づけるなんて、すごいわね」
「すごいです。私はあれが食べたい。エバがあくまでも食べないと言うなら、私が食べるしかありませんね」
エバは驚いた。
「食べる気なの?」
「ええ。でも一人で食べるのは怖いから、他の蛇も誘いました。これから食べに行きます」
エバはデモンの周りにたくさんの蛇がいることに気づいた。本当に食べる気なのだ。
「神が禁じているのよ。何か悪いことが起こるわよ」
「私はあまのじゃくだと言ったでしょう。禁じられると破りたくなるんです」
デモンは蛇の群れを先導して、高台へ向かった。エバは後をつけた。蛇たちは知恵の樹の幹や枝にくねくねと身を巻き付けて登り、その実を食べ始めた。
「禁忌の実を食べてる」とエバはつぶやいた。
蛇の群れは赤く熟れたりんごをすっかり食べ尽くしてしまい、樹から下りてきた。黒髪の蛇がエバの前でニタァと笑った。
「ついに食べてしまいました。今まで食べた実の中で、一番美味しかったです」
「神の祟りがあるわ」
「そうかもしれませんね。神は私たち蛇を許さないでしょう。でもかわりに私たちは知恵を得ました。私には考える力がついた。それはまちがいありません」
エバの目にはデモンの頭が少し大きくなったように見えた。口元は引き締まり、目付きが鋭くなったようだ。周りの蛇たちも同じように顔付きが変わっていた。彼らは本当に賢くなったのだろう。
「おれたちは知恵をつけた」とめったにしゃべらなかった金髪の蛇が言った。
「そうです。私たちは今や深く考えることができる」とデモンは言った。「おそらく神は自分に似せて創った人間に知恵の樹の実を食べさせたかったのでしょう。禁じても食べてしまうと考えていた。しかしエバもアダムも神に忠実すぎて、食べなかった。だから私たちが食べることになった。蛇人類の誕生です」
「蛇人類?」
「私たちはもはやただの蛇ではない。蛇人です。新しい世界を創る生物です」
デモンが腰から上を直立させて、誇らしげに胸を張っていた。その背後にはたくさんの蛇たちが従っていた。
いつの間にかアダムがやって来ていて、エバの隣に立っていた。
「恐ろしいことをしたな、蛇たちよ」
「アダム。考えない人間」
「神が怒る」
天の雲が分厚く、暗くなり、雷が光った。轟音がエデンの園に響き渡った。雷はいくだびも光り、エバの目は眩んだ。雷が鳴り止んで、彼女がそっと目を開けたとき、神が降臨されていた。
尊顔としか言いようのない容貌をした神を初めて見た。後光が差していた。私たちとは別次元の存在だとエバは感じた。
「デモンよ、蛇よ、エデンの園から追放する。荒野へ行け」と神は言われた。
すると蛇たちは空に舞い上がり、ものすごい速度で吹き飛ばされた。緑の楽園から遠ざかり、見えなくなった。
エバは恐る恐る神に声をかけた。
「神よ、蛇たちはこれからどうなるのですか?」
「知りたいか」
「知りたいです」
「では生命の樹の実を食べよ。永遠の生命を得て、この世の末を確かめるがよい」
「エデンの園から追放されたくはありません」
「知恵の樹の実を食べない限り、追放しない。生命の樹は食べてもよい。ただし、永劫の時を生きることになる」
「楽園で生きていたいです」
「今、エデンの園と蛇たちの荒野とは切り離された。エデンの園の果てまで行き、末永く荒野を眺めていればよい。蛇たちの行く末が見られるだろう」
「エデンの園に居ながらにして、荒野を見られるのですか?」
「見られる」と神は言われた。
そして神は地上から離れ、天に昇った。人間は空を飛べない。雲間に消える神をエバは見送るしかなかった。
彼女は隣にいる男の肩を両手で握った。
「アダム、生命の樹の実を食べましょう。永遠の生命を得るのよ」
「僕は食べたくない。永遠の生命なんていらない」
アダムは首を振った。
「でも私は蛇たちの行く末が気になるの」
「生命のある限り見ればいい。永遠でなくていい」
「神が食べよと言った」
「きみ一人で食べてよ。永遠の生命はなんとなく怖い」
エバは迷った。どう考えればいいのかわからなかった。でもデモンたちのことが気になった。考えるのが嫌になって、彼女は衝動的にいちじくを食べた。甘かったが、特別に美味しいというほどではなかった。りんごはどれほど美味しかったのだろうと思ったが、蛇に食べ尽くされていて、知恵の樹の実は残っていない。それに、彼女は楽園から追放されたくはなかった。
いちじくを食べると、体に力がみなぎった。全身がすっきりと爽快で、いつまでも生きていけるような気がした。実際に、生きていけるのだろう。私は死なないのだ、とエバは思った。
「食べてしまったね」
「食べたわ」
アダムはバナナを食べた。
「これで十分なのに」
エバには永遠の生命がいいものなのか悪しきものなのかわからなかった。自分の未来に思いを馳せるほどの知性を彼女は持っていない。
青い空を見上げながら、エバは言った。
「生命の樹の実は食べてもいいのでしょう?」
「ああ、神は食べてはいけないとは言わなかった」
「でもあなたは食べてはいないわね」
「知恵の樹の実と生命の樹の実は特別だ。あれは食べない方がいいと思う」
「どうして?」
またどうして、と訊いてしまった。癖なのだ。
「なんとなく」
アダムはあくびをした。楽天的で何も考えていないように見える。
エバは体をひねって、背後の高台に生えている知恵の樹と生命の樹を見た。二本の樹は高く、エデンの園のどこからでも見える。この楽園を象徴するような一対の樹。
「いちじくは美味しいのかしら?」
「美味しいんじゃないかな。たぶんね」
「でも食べないのね」
「食べないよ。りんごといちじくは食べない」
アダムの瞳は青く澄んでいて美しい。瞳孔は深い紺色だ。彼の返事には迷いがなく、疑問も悩みも感じられない。
雲が太陽をさえぎり、大地が陰に覆われた。
アダムは目を瞑り、眠ってしまった。
エバは話し相手が欲しかった。あの蛇が来ればいいのにと思った。草がざわざわと鳴り、黒髪の蛇がひょっこりと顔を出した。赤い瞳をして、ニタリと笑っている。
「おはようございます、エバ」
「おはよう、デモン」
「まだ知恵の樹の実を食べる気にはなりませんか」
「ならないわ」
「ちぇっ」蛇は舌打ちをした。よく舌打ちをする蛇だ。
「あなたはずいぶん知恵の樹の実に執着があるのね」
「そうですね。知恵に憧れがあるんです」
「知恵って、どんなものなのかしら」
「考える力ですよ。もっといろいろなことがわかるようになって、世界を知り、世界を変えることができるようになるかもしれません」
「世界を変えるのは神の御業よ」
「知恵の樹の実を食べると、神に近づけるのかもしれません」
蛇の瞳はらんらんと輝いていた。
「神に近づけるなんて、すごいわね」
「すごいです。私はあれが食べたい。エバがあくまでも食べないと言うなら、私が食べるしかありませんね」
エバは驚いた。
「食べる気なの?」
「ええ。でも一人で食べるのは怖いから、他の蛇も誘いました。これから食べに行きます」
エバはデモンの周りにたくさんの蛇がいることに気づいた。本当に食べる気なのだ。
「神が禁じているのよ。何か悪いことが起こるわよ」
「私はあまのじゃくだと言ったでしょう。禁じられると破りたくなるんです」
デモンは蛇の群れを先導して、高台へ向かった。エバは後をつけた。蛇たちは知恵の樹の幹や枝にくねくねと身を巻き付けて登り、その実を食べ始めた。
「禁忌の実を食べてる」とエバはつぶやいた。
蛇の群れは赤く熟れたりんごをすっかり食べ尽くしてしまい、樹から下りてきた。黒髪の蛇がエバの前でニタァと笑った。
「ついに食べてしまいました。今まで食べた実の中で、一番美味しかったです」
「神の祟りがあるわ」
「そうかもしれませんね。神は私たち蛇を許さないでしょう。でもかわりに私たちは知恵を得ました。私には考える力がついた。それはまちがいありません」
エバの目にはデモンの頭が少し大きくなったように見えた。口元は引き締まり、目付きが鋭くなったようだ。周りの蛇たちも同じように顔付きが変わっていた。彼らは本当に賢くなったのだろう。
「おれたちは知恵をつけた」とめったにしゃべらなかった金髪の蛇が言った。
「そうです。私たちは今や深く考えることができる」とデモンは言った。「おそらく神は自分に似せて創った人間に知恵の樹の実を食べさせたかったのでしょう。禁じても食べてしまうと考えていた。しかしエバもアダムも神に忠実すぎて、食べなかった。だから私たちが食べることになった。蛇人類の誕生です」
「蛇人類?」
「私たちはもはやただの蛇ではない。蛇人です。新しい世界を創る生物です」
デモンが腰から上を直立させて、誇らしげに胸を張っていた。その背後にはたくさんの蛇たちが従っていた。
いつの間にかアダムがやって来ていて、エバの隣に立っていた。
「恐ろしいことをしたな、蛇たちよ」
「アダム。考えない人間」
「神が怒る」
天の雲が分厚く、暗くなり、雷が光った。轟音がエデンの園に響き渡った。雷はいくだびも光り、エバの目は眩んだ。雷が鳴り止んで、彼女がそっと目を開けたとき、神が降臨されていた。
尊顔としか言いようのない容貌をした神を初めて見た。後光が差していた。私たちとは別次元の存在だとエバは感じた。
「デモンよ、蛇よ、エデンの園から追放する。荒野へ行け」と神は言われた。
すると蛇たちは空に舞い上がり、ものすごい速度で吹き飛ばされた。緑の楽園から遠ざかり、見えなくなった。
エバは恐る恐る神に声をかけた。
「神よ、蛇たちはこれからどうなるのですか?」
「知りたいか」
「知りたいです」
「では生命の樹の実を食べよ。永遠の生命を得て、この世の末を確かめるがよい」
「エデンの園から追放されたくはありません」
「知恵の樹の実を食べない限り、追放しない。生命の樹は食べてもよい。ただし、永劫の時を生きることになる」
「楽園で生きていたいです」
「今、エデンの園と蛇たちの荒野とは切り離された。エデンの園の果てまで行き、末永く荒野を眺めていればよい。蛇たちの行く末が見られるだろう」
「エデンの園に居ながらにして、荒野を見られるのですか?」
「見られる」と神は言われた。
そして神は地上から離れ、天に昇った。人間は空を飛べない。雲間に消える神をエバは見送るしかなかった。
彼女は隣にいる男の肩を両手で握った。
「アダム、生命の樹の実を食べましょう。永遠の生命を得るのよ」
「僕は食べたくない。永遠の生命なんていらない」
アダムは首を振った。
「でも私は蛇たちの行く末が気になるの」
「生命のある限り見ればいい。永遠でなくていい」
「神が食べよと言った」
「きみ一人で食べてよ。永遠の生命はなんとなく怖い」
エバは迷った。どう考えればいいのかわからなかった。でもデモンたちのことが気になった。考えるのが嫌になって、彼女は衝動的にいちじくを食べた。甘かったが、特別に美味しいというほどではなかった。りんごはどれほど美味しかったのだろうと思ったが、蛇に食べ尽くされていて、知恵の樹の実は残っていない。それに、彼女は楽園から追放されたくはなかった。
いちじくを食べると、体に力がみなぎった。全身がすっきりと爽快で、いつまでも生きていけるような気がした。実際に、生きていけるのだろう。私は死なないのだ、とエバは思った。
「食べてしまったね」
「食べたわ」
アダムはバナナを食べた。
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