枯葉と帆船

みらいつりびと

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どんな作物を育て、いかにして生きていくべきか

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 何が転機でそれが収拾されたのだろう。そう、あれは母が健康を害し、げっそり痩せ細って寝込んでしまった時だった。
 あの時の母の衰弱はひどかった。毎夜うなされ、食も進まなくなった。頬はこけて、僕は彼女がそのまま死んでしまうのでないかと怖れた。母の目に光はなくなり、息をしているのか疑うほど生気が失せていく。
 初めて父は自分の我儘がどれほど母に酷な仕打ちであったか痛烈に悟ったらしい。彼は役所にも行かなくなり、それこそ寝食も忘れて付きっ切りで看病した。医者から栄養を取らせるのが一番だと言われ、母に何が欲しい、何か欲しいものはないかと尋ね、食事の本を引っ張り出して、これはどうだとひとつひとつ聞いているのは、滑稽でもあった。というのは、父はオムレツも作ったことがなかったからだ。
 ともかく父は自分のことなどまったくかまわず母に尽くした。そして、三週間たった頃、母はようやく健康を取り戻してきた。
 それからもしばらく静養期間は続いた。その間父は移住のことは一切言わなかった。母が完全に健康を取り戻し、家事ができるようになってから、父は焦らずにゆっくりと、移住についての具体的な話をするようになった。
 アメリカに昔の知り合いがひとりいる。彼の名はバリ・タイラーといって、この間手紙を出したら、牧場を経営して元気でやっているそうだ、といったようなことを。
 彼は、あからさまにアメリカへの憧れを語ったりはしなくなった。しかし無意識的にアメリカのことを静かに話す彼は雄弁だった。母の衰弱を目の当たりに見て、以前のような熱狂的な叫びは姿を消したのだが、淡々と途切れることなく、アメリカの情報を話し続けるのだ。
 そして気づいた。父は驚くほどアメリカを研究していた。ヴァジニア会社の制度やアメリカへ渡った人々の事。気候、風土、インディアンの事。アメリカの将来性。どんな作物を育て、いかにして生きていくべきかなどを考えていた。
 殊にアメリカの風景を話す時は、まるで見て来たかのように新鮮で、詳しく話した。透き通るような水を満々と湛えた巨大な湖。深閑とした獣たちの楽園である森林。そして、人々の住む草原を切り拓いた町。そんなことを夢見るような瞳で語るのだ。どこでそんな情報を得ていたのか、僕にはわからない。
 いつ母の心が変わったのだろうか。彼女は父とともにアメリカへ行く気になったようだった。
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