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3年生
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雨の月曜日、僕たちは室内練習場で汗を流した。
高浜監督の指導のもと、筋トレをし、ストレッチをし、短距離ダッシュを繰り返す。
地道に身体を鍛える。
例によって、志賀さんとネネさんは早々にバテていた。
「やっぱこれしんどいわ。いやんなる」と志賀さんが言い、
「体力がついたら、少しはマシになるよ。きついことはきついけど」と僕は答えた。
「あのあの、志賀さん、話し方が激変してるよ」と能々さんが指摘し、
「これが本来のウチの話し方やねん」と志賀さんは応じた。
そんな話をしているとき、新たな人影が練習場に入ってきた。
赤縁眼鏡をかけ、濃い茶髪を肩まで伸ばしたクールな雰囲気の女子生徒だった。
「練習の邪魔をしてごめんなさい! どうしても訊きたいことがあるの。野球部のポスターを描いたのは誰かしら?」と大きく声を響かせる。
「聖子先輩……」と雨宮先輩がつぶやいた。
2年生が先輩と言うからには、3年生か。
「ウチが描きました」と志賀さんが答える。
「標語もあなたが考えたのかしら?」
「標語を決めたのはワタシです」ときみが言い、
「僕も一緒に考えました」と僕は言った。
女子生徒の表情が険しくなった。
「甲子園を舐めないで! 無責任に『共に行こうよ甲子園』なんて書かないで!」と赤縁眼鏡さんは叫んだ。
「方舟、邪魔すんな」と高浜先生が言った。
「少し時間をください、先生」
3年生はきみと僕を睨んだ。
「わたくしは3年の方舟聖子。風紀の乱れに嫌気が差して辞めた元野球部員よ」
「はあ」と僕は言った。この人も草壁先輩が原因で辞めたひとりなのか。
「先輩が話をしてるのよ。気の抜けた返事をしないで!」
クールではなかった。面倒くさいタイプだ。
「あなたたち、名前は?」
「空尾凜奈」
「時根巡也です」
「空尾さん、時根くん、あなたたちは甲子園をなんだと思っているのかしら?」
「全国大会を開催する場所です」
「高校球児の聖地よ!」
方舟先輩がかぶせるように言う。
「軽々しく共に行こうよなんて言っていい場所じゃないの! あのポスターをはがしなさい!」
きみの目がギラッと光った。
「軽々しくはありません。大真面目です。ワタシたちは甲子園に出ます!」
「出ますだなんて断言しないで。軽いわね!」
きみと方舟先輩は睨み合う。
「勝って勝って勝ちまくって出るんです!」
「その軽い口をいますぐ閉じなさい!」
こんな争いは無益だ。
「先輩、バッティングは得意ですか?」と僕はたずねた。
「まあまあかしら」
「方舟は今年の4番候補だった」と先生が言う。
「では先輩、空尾の球を打ってみませんか? 打たれたらはがします。打てなかったら、申し訳ありませんが、ポスターは貼ったままにさせてもらいます。どうでしょう?」
「その勝負、受けて立つわ!」
「では着替えてきてください」
方舟先輩は制服を着ている。
「このままでけっこうよ」
先輩は強気だった。
室内練習場はダイヤモンド程度の広さがあり、打撃練習もできる。
監督が認め、きみと方舟先輩の勝負は決行されることになった。
「強い打球が打てれば、わたくしの勝ちということでいいかしら?」
僕はうなずいたが、きみは「三振以外は先輩の勝ちでいいですよ」と言ってしまった。余計なことを。
「バカにして! 軽薄にもほどがあるわ!」
先輩がプンスカと怒る。
きみは軽く投球練習をして、肩をあたためた。キャッチャーはもちろん僕だ。
勝負の前にバッテリーで軽く打ち合わせをした。
「スプリットを投げる」ときみは言った。
「無茶だ。昨日練習したばかりの球だぞ」
「自信がある。必ず決めるから」
「サインに従ってくれ。指1本はストレート。5本はスプリットだ」
「オーケー。スプリットを投げさせてよ」
きみは自信満々だった。
昨日すごいスプリットを投げたのは確かだが、打者相手にいきなり決められるだろうか。不安だ。
「俺が審判をやる」と監督が僕の背後に立って言った。
方舟先輩が右のバッターボックスに入る。
「プレイ!」
審判がコールし、僕はミットを構え、サインを出す。
きみはうなずき、猫科の獣のようにしなやかな動作で、ボールを投げた。
キュンと伸びて、外角低めにバシッと決まる。
先輩は微動だにせず、見逃した。目をぱちくりとさせていた。
「ストライクワン」
「速いのね……」
そう、空尾のストレートは速いんです。初見ではまず打てませんよ。
2球目もストレート。先輩は空振りした。
「ストライクツー」
「ふーっ」と彼女は息を吐く。
「なるほど。口先だけの人ではなかったようね」
方舟先輩は軽く背中をそらし、バットを構え直した。
1球はスプリットを投げさせなければ、きみは納得しないだろう。
僕は指を5本開いた。
きみは微笑み、球を放る。
投げた瞬間、コントロールミスだとわかった。
高めから真ん中に落ちていくスプリット。甘い球。
先輩がバットを振り、ミートした。カーンという快音が響いた。
一瞬負けたと思ったが、3塁側へのファールライナーだった。助かった。
「くっ、打ち損じたわ」と先輩は悔しがった。
「ん? 変化球があったのか」と監督はつぶやいた。
もうスプリットはなしだ。
指1本のサインを出したが、きみは首を振った。強情なやつ。しかたがない。好きなようにしろ。負けてもポスターをはがせばいいだけだ。
僕は低く構えた。
きみは速球と同じフォームで、豹のように美しく球を投げる。
今度はいいスプリットだ。
ほとんど速球と変わらないスピードで低めに来て、クンと落ちた。
先輩のバットが空を切る。
僕はしっかりと球を受ける。
「ストライクスリー」と高浜監督がコールする。
勝った。
方舟先輩は天を仰いだ。
「わたくしの負けね。本格派のすごいピッチャーだわ。見たことのない速さと変化だった」
「先輩、勝負してくれて、ありがとうございました。初めて打者相手にスプリットを投げられて、楽しかったです」
きみは爽やかに笑う。
「あのスプリットが初めて……?」
先輩はぽかんと口を開けた。
「高浜先生」と彼女は言った。
「また入部してもいいですか?」
「かまわんさ」
「8人目!」ときみは叫ぶ。
「甲子園……」と方舟先輩はつぶやく。「高校球児の夢の場所……」
高浜監督の指導のもと、筋トレをし、ストレッチをし、短距離ダッシュを繰り返す。
地道に身体を鍛える。
例によって、志賀さんとネネさんは早々にバテていた。
「やっぱこれしんどいわ。いやんなる」と志賀さんが言い、
「体力がついたら、少しはマシになるよ。きついことはきついけど」と僕は答えた。
「あのあの、志賀さん、話し方が激変してるよ」と能々さんが指摘し、
「これが本来のウチの話し方やねん」と志賀さんは応じた。
そんな話をしているとき、新たな人影が練習場に入ってきた。
赤縁眼鏡をかけ、濃い茶髪を肩まで伸ばしたクールな雰囲気の女子生徒だった。
「練習の邪魔をしてごめんなさい! どうしても訊きたいことがあるの。野球部のポスターを描いたのは誰かしら?」と大きく声を響かせる。
「聖子先輩……」と雨宮先輩がつぶやいた。
2年生が先輩と言うからには、3年生か。
「ウチが描きました」と志賀さんが答える。
「標語もあなたが考えたのかしら?」
「標語を決めたのはワタシです」ときみが言い、
「僕も一緒に考えました」と僕は言った。
女子生徒の表情が険しくなった。
「甲子園を舐めないで! 無責任に『共に行こうよ甲子園』なんて書かないで!」と赤縁眼鏡さんは叫んだ。
「方舟、邪魔すんな」と高浜先生が言った。
「少し時間をください、先生」
3年生はきみと僕を睨んだ。
「わたくしは3年の方舟聖子。風紀の乱れに嫌気が差して辞めた元野球部員よ」
「はあ」と僕は言った。この人も草壁先輩が原因で辞めたひとりなのか。
「先輩が話をしてるのよ。気の抜けた返事をしないで!」
クールではなかった。面倒くさいタイプだ。
「あなたたち、名前は?」
「空尾凜奈」
「時根巡也です」
「空尾さん、時根くん、あなたたちは甲子園をなんだと思っているのかしら?」
「全国大会を開催する場所です」
「高校球児の聖地よ!」
方舟先輩がかぶせるように言う。
「軽々しく共に行こうよなんて言っていい場所じゃないの! あのポスターをはがしなさい!」
きみの目がギラッと光った。
「軽々しくはありません。大真面目です。ワタシたちは甲子園に出ます!」
「出ますだなんて断言しないで。軽いわね!」
きみと方舟先輩は睨み合う。
「勝って勝って勝ちまくって出るんです!」
「その軽い口をいますぐ閉じなさい!」
こんな争いは無益だ。
「先輩、バッティングは得意ですか?」と僕はたずねた。
「まあまあかしら」
「方舟は今年の4番候補だった」と先生が言う。
「では先輩、空尾の球を打ってみませんか? 打たれたらはがします。打てなかったら、申し訳ありませんが、ポスターは貼ったままにさせてもらいます。どうでしょう?」
「その勝負、受けて立つわ!」
「では着替えてきてください」
方舟先輩は制服を着ている。
「このままでけっこうよ」
先輩は強気だった。
室内練習場はダイヤモンド程度の広さがあり、打撃練習もできる。
監督が認め、きみと方舟先輩の勝負は決行されることになった。
「強い打球が打てれば、わたくしの勝ちということでいいかしら?」
僕はうなずいたが、きみは「三振以外は先輩の勝ちでいいですよ」と言ってしまった。余計なことを。
「バカにして! 軽薄にもほどがあるわ!」
先輩がプンスカと怒る。
きみは軽く投球練習をして、肩をあたためた。キャッチャーはもちろん僕だ。
勝負の前にバッテリーで軽く打ち合わせをした。
「スプリットを投げる」ときみは言った。
「無茶だ。昨日練習したばかりの球だぞ」
「自信がある。必ず決めるから」
「サインに従ってくれ。指1本はストレート。5本はスプリットだ」
「オーケー。スプリットを投げさせてよ」
きみは自信満々だった。
昨日すごいスプリットを投げたのは確かだが、打者相手にいきなり決められるだろうか。不安だ。
「俺が審判をやる」と監督が僕の背後に立って言った。
方舟先輩が右のバッターボックスに入る。
「プレイ!」
審判がコールし、僕はミットを構え、サインを出す。
きみはうなずき、猫科の獣のようにしなやかな動作で、ボールを投げた。
キュンと伸びて、外角低めにバシッと決まる。
先輩は微動だにせず、見逃した。目をぱちくりとさせていた。
「ストライクワン」
「速いのね……」
そう、空尾のストレートは速いんです。初見ではまず打てませんよ。
2球目もストレート。先輩は空振りした。
「ストライクツー」
「ふーっ」と彼女は息を吐く。
「なるほど。口先だけの人ではなかったようね」
方舟先輩は軽く背中をそらし、バットを構え直した。
1球はスプリットを投げさせなければ、きみは納得しないだろう。
僕は指を5本開いた。
きみは微笑み、球を放る。
投げた瞬間、コントロールミスだとわかった。
高めから真ん中に落ちていくスプリット。甘い球。
先輩がバットを振り、ミートした。カーンという快音が響いた。
一瞬負けたと思ったが、3塁側へのファールライナーだった。助かった。
「くっ、打ち損じたわ」と先輩は悔しがった。
「ん? 変化球があったのか」と監督はつぶやいた。
もうスプリットはなしだ。
指1本のサインを出したが、きみは首を振った。強情なやつ。しかたがない。好きなようにしろ。負けてもポスターをはがせばいいだけだ。
僕は低く構えた。
きみは速球と同じフォームで、豹のように美しく球を投げる。
今度はいいスプリットだ。
ほとんど速球と変わらないスピードで低めに来て、クンと落ちた。
先輩のバットが空を切る。
僕はしっかりと球を受ける。
「ストライクスリー」と高浜監督がコールする。
勝った。
方舟先輩は天を仰いだ。
「わたくしの負けね。本格派のすごいピッチャーだわ。見たことのない速さと変化だった」
「先輩、勝負してくれて、ありがとうございました。初めて打者相手にスプリットを投げられて、楽しかったです」
きみは爽やかに笑う。
「あのスプリットが初めて……?」
先輩はぽかんと口を開けた。
「高浜先生」と彼女は言った。
「また入部してもいいですか?」
「かまわんさ」
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「甲子園……」と方舟先輩はつぶやく。「高校球児の夢の場所……」
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