劉禅が勝つ三国志

みらいつりびと

文字の大きさ
上 下
30 / 39

定軍山の戦い

しおりを挟む
 夏候淵は曹操軍の最古参の武将のひとりである。
 対董卓戦のときからいた曹仁、曹洪、夏侯惇、夏候淵。
 四人とも、いまは大幹部になっている。

 夏候淵軍が陽平関を抜け、定軍山に接近しているとの報を受けた夜、私は魏延、趙雲とともに焚き火を囲んでいた。
 渓流で釣った岩魚に塩をかけ、竹串に刺し、焚き火にかざして焼いている。
 この岩魚は私が釣ったものだ。
 馬超に教えられて以来、釣りが好きになった。
 三人で塩焼きをかじった。

「夏候淵を討ちたい。人材好きの曹操にとっては、痛手となろう」と私は言った。
「敵の総大将です。簡単には討ち取れませんよ」と魏延は答えた。
 まあそうだろうな、と私も思った。
 趙雲は、黙って岩魚を食べていた。

「十八万の大軍が、箕谷道を縦列になって進んでいます。定軍山の麓は広々とした原野です。ここに敵軍を半ば引き込み、敵陣が整わないうちに攻撃しようと思います」
「定軍山に籠もるのではなく、決戦するのか」
「戦わなければ、兵は強くならない。乾坤一擲の勝負をしなければ、敵を撃滅できない。亡き黄忠殿に教えられたことです」
「勝負をかけるのならば、勝算がほしい」
「勝算ならあります。趙雲大将軍に働いていただきたい」
 魏延は、趙雲に作戦を語った。
 趙雲はうなずき、「若君、これはとても旨い魚ですね。もう一匹いただいてもよろしいですか」と言った。作戦とはなんの関係もない言葉。彼には気負いがない。自然体。
「好きなだけ食べてくれ、子龍」
 私は新たに岩魚を火であぶった。
 昼間に十匹ほど釣っていた。
 火が魚の皮を焼き、少し焦げて、よい匂いのする煙が漂う。
「いい香りがする。私も食べていいですか」と言って、馬岱が寄ってきた。
 李恢はそばで屹立し、周囲を警戒していた。

 魏延が九万の兵を率い、定軍山麓に鶴翼の陣を敷いた。
 鶴翼は、敵を包囲する陣形である。
 九万が十八万を包囲するのは無理があるが、敵は狭い道から原野に入ってくる。全軍が揃わないうちに攻撃するから、鶴翼でよいと魏延は考えたようだ。
 私は最前線には出させてもらえなかった。
 要塞化した定軍山にとどまり、戦いを見ていてほしい、と魏延から言われた。
 私は素直に従い、李恢が指揮する親衛隊とともに、中腹にいることにした。
 見晴らしのよい場所を選び、山麓を見下ろした。

 夏の朝、敵の騎馬隊が原野に突入してきた。
 五千ほどの騎兵。率いているのは、張郃であろうか。
 騎馬隊は停止し、後続の歩兵隊が進軍してくるのを待った。
 夏候淵の中軍が続々と山麓に侵入してくる。三万、四万、五万と膨れあがっていく。
 敵が六万ほどになったとき、魏延の鶴翼の陣が、包囲攻撃を仕掛けた。
 張郃の騎馬隊が中央突破をしようとして、突撃してきた。
 魏延軍はいったん停止して、大量の矢を降り注がせた。
 敵騎兵はたまらず、反転した。

 鶴翼が、再び進撃した。
 魏延の包囲陣が敵兵を打ち倒していく。
 緒戦は順調であった。
 いまのところ、山麓で多勢なのは、益州側なのである。
 寡兵の夏候淵軍を圧倒し、敵軍を削っていった。
 しかし、魏軍はなかなかの精鋭だった。
 総崩れにはならず、踏みとどまって戦っている。
 しだいに敵軍の方が多勢になっていき、魏延軍を押し始めた。
 鉦が鳴り響いた。
 魏延軍は撤退を始めた。南鄭方面へ退いていく。
 夏候淵軍は追撃してきた。
 十八万の大軍が、九万を追う。

 敵軍が縦列になって、定軍山麓を進んでいるとき、ドドドドドというすさまじい馬蹄の音が湧きあがった。
 定軍山にいた趙雲の騎馬隊が動いたのだ。
 趙雲は逆落としをかけ、夏候淵軍の横っ腹を切り裂いた。
 魏延軍が反転し、敵軍に突撃。
 敵の行軍が乱れ、見ていてはっきりとわかるほど、味方が優勢になった。

「これは、勝ったか?」と私は隣にいる李恢に話しかけた。
「勝っているように見えます」
 私は走り出したいような気持ちになったが、李恢は落ち着き払って、私の横に立ち、微動だにしなかった。

 夏候淵軍は算を乱して逃げた。
 益州軍は掃討戦に移った。
 逃げる兵は討ち、降伏する兵は受け入れている。
 夕方には戦は終わり、定軍山麓には、益州兵と捕虜、死体しか残っていなかった。死骸の大半は、魏兵のものであろう。逃げ延びた敵兵もいるだろうが、かなりの数を討ち果たしたようだ。夏候淵軍は、すでに影も形もない。大勝利。

 私は親衛隊とともに、山を下りた。
 魏延が益州兵に指示し、武器を捨てた捕虜を一か所にまとめさせていた。すさまじい数。数万の敵が降伏したようだ。

 馬岱が私に近づいてきた。首級を持っている。
「夏候淵の首です」と彼は言った。
「よくやってくれた。陽平関での守備、敵将の首。そなたが戦功第一である。大きな褒美を与えねばならんな」
「欲しいものがあります」
「言ってみよ」
「約束。劉禅様が曹操と戦うときには、必ず私と兄貴を連れていってください」
 馬岱が言う兄貴とは、馬超のことである。
「必ずそうするであろう」

 魏延に話しかけた。
「お疲れさま、文長。素晴らしい指揮だった」
「ありがたいお言葉です、若君」
「張郃と徐晃がどうなったか、知っているか」
「徐晃は乱戦の中で死にました。張郃は騎馬隊をまとめ、撤退しました。見事な逃げっぷりで、追い切れませんでした」
「夏候淵と徐晃を討ち取ったのだから、上出来だ。そなたが名軍師であるということは、この戦いで明らかになった」
「さらに精進する所存です」
 魏延は微笑んでいた。彼にもっと力を発揮する場所を与えたい、と私は思った。

 趙雲はひとりの若い武将を捕らえ、私の前に連れてきた。
「私の槍に屈せず、立ち向かってきました。見どころのある若者です。殺すのが惜しくなり、捕らえました」
 私は武将を見つめた。
 趙雲が虎だとしたら、狼のような男だと感じた。眼に野生的な光がある。
 私はこの男を知っている。前世で、蜀軍を背負って立っていた。
 あえて知らないふりをした。
「名前は?」
「姜維……」
 姜維伯約は、ぶっきらぼうにつぶやいた。
「姜維、私は蜀の副総帥、劉禅だ。私に従うか?」
「子どもになど従わない。だが、趙雲様には従う。槍で負けたのは、初めてだ……」
「姜維、私に従うということは、劉禅様にも従うということだ。この若君は、私の主なのだからな」
 姜維は、鋭い瞳で私を見た。
「我は軍人。それが指揮系統ならば、従います。しかし、どういう方が主なのか、知っておきたい。劉禅様は、どのようなお方ですか」
「姜維、おまえは捕虜なのだぞ。若君を知ろうとするなど、十年早い」
「かまわない、子龍。その問いに答えよう」と私は言った。相手は姜維なのだ。話をする価値はある。

「私にはたいした才はない。だからせめて、才ある人を使う才を磨きたいと心がけている」
「才ある人を使う才……。我に才があれば、使ってくれますか」
「もちろん使う」
 姜維は、ふっと笑った。
「子龍、この男はしばらくあなたに預ける。使い物になるようだったら、いつか私のもとへ連れてきてほしい」
 趙雲はうなずいた。
 夏候淵を倒したことより、姜維を得たことの方がより大きな幸運かもしれない、と私は思った。 
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

無敵の人あらば敵百万と雖も恐るるに足らず

みらいつりびと
歴史・時代
楚軍は垓下城に追いつめられていた。 四面から楚歌が湧き上がり、羽将軍は絶望し、弱気な詩を読んだ。 力拔山兮 氣蓋世  時不利兮 騅不逝  騅不逝兮 可奈何  虞兮虞兮 奈若何 「無敵の人あらば敵百万と雖も恐るるに足らず」とわたしは言った。  虞美人偽史。

三国志 群像譚 ~瞳の奥の天地~ 家族愛の三国志大河

墨笑
歴史・時代
『家族愛と人の心』『個性と社会性』をテーマにした三国志の大河小説です。 三国志を知らない方も楽しんでいただけるよう意識して書きました。 全体の文量はかなり多いのですが、半分以上は様々な人物を中心にした短編・中編の集まりです。 本編がちょっと長いので、お試しで読まれる方は後ろの方の短編・中編から読んでいただいても良いと思います。 おすすめは『小覇王の暗殺者(ep.216)』『呂布の娘の嫁入り噺(ep.239)』『段煨(ep.285)』あたりです。 本編では蜀において諸葛亮孔明に次ぐ官職を務めた許靖という人物を取り上げています。 戦乱に翻弄され、中国各地を放浪する波乱万丈の人生を送りました。 歴史ものとはいえ軽めに書いていますので、歴史が苦手、三国志を知らないという方でもぜひお気軽にお読みください。 ※人名が分かりづらくなるのを避けるため、アザナは一切使わないことにしました。ご了承ください。 ※切りのいい時には完結設定になっていますが、三国志小説の執筆は私のライフワークです。生きている限り話を追加し続けていくつもりですので、ブックマークしておいていただけると幸いです。

西涼女侠伝

水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超  舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。  役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。  家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。  ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。  荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。  主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。  三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)  涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。

平隊士の日々

china01
歴史・時代
新選組に本当に居た平隊士、松崎静馬が書いただろうな日記で 事実と思われる内容で平隊士の日常を描いています また、多くの平隊士も登場します ただし、局長や副長はほんの少し、井上組長が多いかな

AIシミュレーション歴史小説『瑞華夢幻録』- 華麗なる夢幻の系譜 -

静風
歴史・時代
この物語は、ChatGPTで仮想空間Xを形成し、更にパラレルワールドを形成したAIシミュレーション歴史小説です。 【詳細ページ】 https://note.com/mbbs/n/ncb1a722b27fd 基本的にAIと著者との共創ですが、AIの出力を上手く引出そうと工夫しています。 以下は、AIによる「あらすじ」の出力です。 【あらすじ】 この物語は、戦国時代の日本を舞台に、織田信長と彼に仕えた数々の武将たちの壮大な物語を描いています。信長は野望を胸に秘め、天下統一を目指し勇猛果敢に戦い、国を統一するための道を歩んでいきます。 明智光秀や羽柴秀吉、黒田官兵衛など、信長に協力する強力な部下たちとの絆や葛藤、そして敵対する勢力との戦いが繰り広げられます。彼らはそれぞれの個性や戦略を持ち、信長の野望を支えながら自身の野心や信念を追い求めます。 また、物語は細川忠興や小早川隆景、真田昌幸や伊達政宗、徳川家康など、他の武将たちの活躍も描かれます。彼らの命運や人間関係、武勇と政略の交錯が繊細に描かれ、時には血なまぐさい戦いや感動的な友情、家族の絆などが描かれます。 信長の野望の果てには、国を統一するという大きな目標がありますが、その道のりには数々の試練や困難が待ち受けています。戦いの中で織り成される絆や裏切り、政治や外交の駆け引き、そして歴史の流れに乗る個々の運命が交錯しながら、物語は進んでいきます。 瑞華夢幻録は、戦国時代のダイナミックな舞台と、豪華なキャストが織り成すドラマチックな物語であり、武将たちの魂の闘いと成長、そして人間の尊厳と栄光が描かれています。一つの時代の終わりと新たな時代の始まりを背景に、信長と彼を取り巻く人々の情熱と野心、そして絆の物語が紡がれていきます。

曹操桜【曹操孟徳の伝記 彼はなぜ天下を統一できなかったのか】

みらいつりびと
歴史・時代
赤壁の戦いには謎があります。 曹操軍は、周瑜率いる孫権軍の火攻めにより、大敗北を喫したとされています。 しかし、曹操はおろか、主な武将は誰も死んでいません。どうして? これを解き明かす新釈三国志をめざして、筆を執りました。 曹操の徐州大虐殺、官渡の捕虜虐殺についても考察します。 劉備は流浪しつづけたのに、なぜ関羽と張飛は離れなかったのか。 呂布と孫堅はどちらの方が強かったのか。 荀彧、荀攸、陳宮、程昱、郭嘉、賈詡、司馬懿はどのような軍師だったのか。 そんな謎について考えながら描いた物語です。 主人公は曹操孟徳。全46話。

富嶽を駆けよ

有馬桓次郎
歴史・時代
★☆★ 第10回歴史・時代小説大賞〈あの時代の名脇役賞〉受賞作 ★☆★ https://www.alphapolis.co.jp/prize/result/853000200  天保三年。  尾張藩江戸屋敷の奥女中を勤めていた辰は、身長五尺七寸の大女。  嫁入りが決まって奉公も明けていたが、女人禁足の山・富士の山頂に立つという夢のため、養父と衝突しつつもなお深川で一人暮らしを続けている。  許婚の万次郎の口利きで富士講の大先達・小谷三志と面会した辰は、小谷翁の手引きで遂に富士山への登拝を決行する。  しかし人目を避けるために選ばれたその日程は、閉山から一ヶ月が経った長月二十六日。人跡の絶えた富士山は、五合目から上が完全に真冬となっていた。  逆巻く暴風、身を切る寒気、そして高山病……数多の試練を乗り越え、無事に富士山頂へ辿りつくことができた辰であったが──。  江戸後期、史上初の富士山女性登頂者「高山たつ」の挑戦を描く冒険記。

【短編】輿上(よじょう)の敵 ~ 私本 桶狭間 ~

四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】 今川義元の大軍が尾張に迫る中、織田信長の家臣、簗田政綱は、輿(こし)が来るのを待ち構えていた。幕府により、尾張において輿に乗れるは斯波家の斯波義銀。かつて、信長が傀儡の国主として推戴していた男である。義元は、義銀を御輿にして、尾張の支配を目論んでいた。義銀を討ち、義元を止めるよう策す信長。が、義元が落馬し、義銀の輿に乗って進軍。それを知った信長は、義銀ではなく、輿上の敵・義元を討つべく出陣する。 【表紙画像】 English: Kano Soshu (1551-1601)日本語: 狩野元秀(1551〜1601年), Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で

処理中です...