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馬岱
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「陽平関に夏侯淵軍二十万が到達しました」と馬岱軍から送られてきた伝令が言った。
「できるだけ長期間守り、敵兵を減らし、疲弊させよ。たが、無理はしなくてよい。守り切れないと判断したら撤退し、敵を定軍山に誘導せよ、と馬岱将軍に伝えてくれ」と魏延は言った。
伝令が陽平関へ引き返した後、私は「馬岱とはどういう人か知っているか」と魏延にたずねた。
「一度だけですが、馬岱殿とふたりで酒を飲みました。従兄の馬超殿を尊敬しているようです。曹操をあと一歩というところまで追いつめた。離間の計にはまって負けてしまったが、武力で負けたとは思っていない。兄貴と俺は、再び曹操と戦う機会を待っている。劉禅軍の中にいたら、その機会が得られるのではないかと思っている。そう話していました」
「そうか」
馬岱の心には、熱く燃えるものがあるのだろう、と思った。
「馬超と馬岱に、直接曹操と戦う機会を与えてやれるかどうかは、わからぬ。私自身ですら、曹操と戦場で相まみえるときが来るかわからないのだ。すべてはめぐり合わせであろう」
伝令は、その後も陽平関と定軍山の間を、何度も往復した。
馬岱は粘り強く戦い、夏候淵軍に陽平関を突破させなかった。
敵は梯子を持って押し寄せ、城壁に登ってこようとしているが、ていねいに弓で射殺し、大軍を押しとどめている。
「夏候淵軍はそれほど強くないのだろうか」と私は魏延にたずねた。
「弱くはないと思います。馬岱殿ががんばっているのでしょう。三万の兵でも、城壁でしっかりと守れば、二十万の兵と戦うことができるのです。幸い敵は大型の攻城兵器を持っていないようです」
成都から龐統が送り出してくれた輜重隊がやってくる。
兵糧や矢などが運び込まれている。
七割を定軍山で受け取り、三割は陽平関へ送る。
南鄭からも食糧が送られてくる。
補給はうまくいっている。
「敵の補給は楽ではないと思います。二十万の大軍で、補給線は長い。長期戦になれば、敵は疲弊してくる筈です」と魏延は言う。
定軍山で、趙雲は四千の騎兵をひたすら駆けさせていた。
山から麓まで逆落としをする調練も行っている。
定軍山の麓には、箕谷道が通っている。
趙雲の騎兵隊が箕谷道に逆落としをかける様子は、ものすごい迫力だった。
魏延は歩兵の調練を熱心に行っている。
箕谷道での決戦を想定した訓練。
定軍山に籠もる訓練。
魏延は兵を使って、山を要塞化する工事も行った。
柵を立て、穴を掘り、投石用の石を集めた。
趙雲騎兵隊が逆落としをさらにうまく行えるように、坂道も整備した。
山腹には豊富な湧き水がある。
前世の街亭の戦いで、馬謖が高地に登り、惨敗する原因のひとつとなった水源を断たれる怖れは、この山にはない。
夜になると、魏延は尹黙と小型連弩などの新兵器についての話をしている。
尹黙は成都で製作した連弩を百個、定軍山へ運んできた。
魏延は百人の兵を連弩部隊にして、特別訓練を行っている。
十本の矢を連射し、再装填して、また連射する。
訓練を見ていて、恐るべき兵器だと思う。
通常の弓矢より、射程が短いという欠点がある。
魏延は効果的に連弩を使う戦術を考えているようだ。
「近い将来、一大連弩部隊を結成し、益州の主力軍のひとつにしたいと考えています」と彼は言った。
李恢も親衛隊の調練を怠りなくやっている。
彼は真面目な男だが、趙雲のような超人的な戦闘能力は持っていない。
どうすれば強くなれるのか、趙雲にたずねたようだ。
「趙雲様は、基礎体力を上げ、ひたすら剣を振れ、と教えてくださいました」
昼間、李恢は兵とともに走り、剣を振っている。
夜になっても、ひとりで黙々と腕や足の筋肉を鍛えている。
二か月、馬岱は敵兵を撃退しつづけた。
夏候淵はこのままではらちが明かぬと考えたのか、遠路はるばる、衝車と投石車を運ばせ、大型攻城兵器による攻撃を開始した。
「城門周辺に手練れの弓兵を集め、衝車を撃退しております。しかし、投石は防ぎようがなく、味方に被害が出始めています」と伝令が定軍山へ来て言った。
「分解式投石車を送る。城壁に上げ、敵兵に向かって石を投げてみよ。上から下への攻撃は、効果的な筈だ」と魏延は答えた。
定軍山要塞から投石車を五十台、陽平関へ送った。
馬岱はそれを使って、総攻撃をかけてきた夏候淵軍に甚大な被害を与えたようだ。
敵は投石車を怖れ、陣を射程距離外に下げた。
夏候淵軍は地下道を何本も掘り始めた。
「地下道攻撃対策は、こちらからも地下道を掘り、地下戦闘を行うというものですが、敵の大軍が総力をあげて穴を掘っているので、対抗するのはむずかしいです」と馬岱の伝令が報告した。
「潮時ですね」と魏延は言った。
「秘密兵器の分解式投石車を敵に渡すな。まず投石車を定軍山に戻し、その後、陽平関を放棄して、定軍山へ退け」と伝令に伝えた。
しばらく後、投石車隊が定軍山に帰ってきた。
建安二十年夏、馬岱軍が定軍山へ退却してきた。馬岱自らが殿軍となり、攻め寄せる敵先鋒の張郃軍を二度、三度と撃退した。
馬岱軍三万は整然と、定軍山の本隊と合流した。
「敵を二万ほどは減らしました。味方の死傷者は少なく、千人ほどです。城壁の利を活かせたと思います」と馬岱は言った。
「見事な防衛戦であった。魏延の指揮下に入り、引きつづき、戦ってほしい」と私は言った。
「御意」
馬岱の身体は引き締まっていて、疲れたようすは微塵もなかった。
まだまだ戦うという熱気を放っていた。
損害軽微な馬岱軍を迎え、定軍山の兵力は十万になった。
夏候淵軍が定軍山に迫ってくる。
その兵力は十八万に減ったとはいえ、まだ劉禅軍の二倍近くの大軍である。
「できるだけ長期間守り、敵兵を減らし、疲弊させよ。たが、無理はしなくてよい。守り切れないと判断したら撤退し、敵を定軍山に誘導せよ、と馬岱将軍に伝えてくれ」と魏延は言った。
伝令が陽平関へ引き返した後、私は「馬岱とはどういう人か知っているか」と魏延にたずねた。
「一度だけですが、馬岱殿とふたりで酒を飲みました。従兄の馬超殿を尊敬しているようです。曹操をあと一歩というところまで追いつめた。離間の計にはまって負けてしまったが、武力で負けたとは思っていない。兄貴と俺は、再び曹操と戦う機会を待っている。劉禅軍の中にいたら、その機会が得られるのではないかと思っている。そう話していました」
「そうか」
馬岱の心には、熱く燃えるものがあるのだろう、と思った。
「馬超と馬岱に、直接曹操と戦う機会を与えてやれるかどうかは、わからぬ。私自身ですら、曹操と戦場で相まみえるときが来るかわからないのだ。すべてはめぐり合わせであろう」
伝令は、その後も陽平関と定軍山の間を、何度も往復した。
馬岱は粘り強く戦い、夏候淵軍に陽平関を突破させなかった。
敵は梯子を持って押し寄せ、城壁に登ってこようとしているが、ていねいに弓で射殺し、大軍を押しとどめている。
「夏候淵軍はそれほど強くないのだろうか」と私は魏延にたずねた。
「弱くはないと思います。馬岱殿ががんばっているのでしょう。三万の兵でも、城壁でしっかりと守れば、二十万の兵と戦うことができるのです。幸い敵は大型の攻城兵器を持っていないようです」
成都から龐統が送り出してくれた輜重隊がやってくる。
兵糧や矢などが運び込まれている。
七割を定軍山で受け取り、三割は陽平関へ送る。
南鄭からも食糧が送られてくる。
補給はうまくいっている。
「敵の補給は楽ではないと思います。二十万の大軍で、補給線は長い。長期戦になれば、敵は疲弊してくる筈です」と魏延は言う。
定軍山で、趙雲は四千の騎兵をひたすら駆けさせていた。
山から麓まで逆落としをする調練も行っている。
定軍山の麓には、箕谷道が通っている。
趙雲の騎兵隊が箕谷道に逆落としをかける様子は、ものすごい迫力だった。
魏延は歩兵の調練を熱心に行っている。
箕谷道での決戦を想定した訓練。
定軍山に籠もる訓練。
魏延は兵を使って、山を要塞化する工事も行った。
柵を立て、穴を掘り、投石用の石を集めた。
趙雲騎兵隊が逆落としをさらにうまく行えるように、坂道も整備した。
山腹には豊富な湧き水がある。
前世の街亭の戦いで、馬謖が高地に登り、惨敗する原因のひとつとなった水源を断たれる怖れは、この山にはない。
夜になると、魏延は尹黙と小型連弩などの新兵器についての話をしている。
尹黙は成都で製作した連弩を百個、定軍山へ運んできた。
魏延は百人の兵を連弩部隊にして、特別訓練を行っている。
十本の矢を連射し、再装填して、また連射する。
訓練を見ていて、恐るべき兵器だと思う。
通常の弓矢より、射程が短いという欠点がある。
魏延は効果的に連弩を使う戦術を考えているようだ。
「近い将来、一大連弩部隊を結成し、益州の主力軍のひとつにしたいと考えています」と彼は言った。
李恢も親衛隊の調練を怠りなくやっている。
彼は真面目な男だが、趙雲のような超人的な戦闘能力は持っていない。
どうすれば強くなれるのか、趙雲にたずねたようだ。
「趙雲様は、基礎体力を上げ、ひたすら剣を振れ、と教えてくださいました」
昼間、李恢は兵とともに走り、剣を振っている。
夜になっても、ひとりで黙々と腕や足の筋肉を鍛えている。
二か月、馬岱は敵兵を撃退しつづけた。
夏候淵はこのままではらちが明かぬと考えたのか、遠路はるばる、衝車と投石車を運ばせ、大型攻城兵器による攻撃を開始した。
「城門周辺に手練れの弓兵を集め、衝車を撃退しております。しかし、投石は防ぎようがなく、味方に被害が出始めています」と伝令が定軍山へ来て言った。
「分解式投石車を送る。城壁に上げ、敵兵に向かって石を投げてみよ。上から下への攻撃は、効果的な筈だ」と魏延は答えた。
定軍山要塞から投石車を五十台、陽平関へ送った。
馬岱はそれを使って、総攻撃をかけてきた夏候淵軍に甚大な被害を与えたようだ。
敵は投石車を怖れ、陣を射程距離外に下げた。
夏候淵軍は地下道を何本も掘り始めた。
「地下道攻撃対策は、こちらからも地下道を掘り、地下戦闘を行うというものですが、敵の大軍が総力をあげて穴を掘っているので、対抗するのはむずかしいです」と馬岱の伝令が報告した。
「潮時ですね」と魏延は言った。
「秘密兵器の分解式投石車を敵に渡すな。まず投石車を定軍山に戻し、その後、陽平関を放棄して、定軍山へ退け」と伝令に伝えた。
しばらく後、投石車隊が定軍山に帰ってきた。
建安二十年夏、馬岱軍が定軍山へ退却してきた。馬岱自らが殿軍となり、攻め寄せる敵先鋒の張郃軍を二度、三度と撃退した。
馬岱軍三万は整然と、定軍山の本隊と合流した。
「敵を二万ほどは減らしました。味方の死傷者は少なく、千人ほどです。城壁の利を活かせたと思います」と馬岱は言った。
「見事な防衛戦であった。魏延の指揮下に入り、引きつづき、戦ってほしい」と私は言った。
「御意」
馬岱の身体は引き締まっていて、疲れたようすは微塵もなかった。
まだまだ戦うという熱気を放っていた。
損害軽微な馬岱軍を迎え、定軍山の兵力は十万になった。
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