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王平
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私は王平の前で、木刀の素振りをしていた。
考え事をしていたので、素振りに集中できなかった。
私には、悩みがあった。
孟達のことだ。
彼を信じ切ることができない。
「孟達、よくぞ見せてくれた。私はあなたを信じる」とまで言ったのに、信じることができないのだ。
私は弱い人間だ。
「劉禅様、振りが鈍いです」と王平が言った。
彼には、私が素振りに集中できていないことを見抜かれているようだ。
「無心で木刀を振っていませんね。なにか悩みを持っておられる」
「悩みはある。しかし、そなたに相談するようなことではない」
「孟達殿のこと……」と王平がつぶやいた。
私は驚いて、彼を見つめた。
完全に見抜かれている。
翌日の鍛錬のとき、王平は私にひとりの男を紹介した。
「李恢という男です。親衛隊の一員で、私がもっとも信頼している者です」
「李恢徳昂です」
「劉禅だ。親衛隊の仕事、ご苦労である」
「今日は李恢に、劉禅様の鍛錬を任せようと思っております」
「わかった。よろしく頼む、李恢」
「劉禅様、木刀を持ち、私に打ちかかってきてください。全力で」
李恢は木刀を持ち、私に正対した。
私は彼に向かって、思い切り木刀を振った。
私の打ち込みは、軽く打ち払われた。
「何度でも、打ち込んできてください。ひたすらに」
私はくり返し、李恢にかかっていった。
彼は軽々と、私の木刀をいなしつづけた。
「まだまだ」
私は木刀を振りつづけた。
いつしか悩みは消え、無心になることができていた。
「よい鍛錬ができた。ありがとう、王平、李恢」と私は言った。
李恢は私に拝礼した。
王平は私の目を見つめた。
「劉禅様、私にはやらなければならない用件があり、しばらくの間、親衛隊長の役目を李恢に任せたいと思います。いとまをください」
「王平、用件とはなんだ。私はそなたにずっと護衛してもらいたいと思っているのだ。そなたを信頼している」
「私用です。李恢を信じて、身辺警護にお使いください。兵の指揮もうまい男です」
「私用で、私から離れるのか」
「大切な私用なのです。どうかお許しください」
「そなたがそれほど言うなら、許そう。だが、できるだけ早く、戻ってきてほしい」
「ありがたきお言葉。では、いまから後、私の任務を李恢に引き継ぎます。李恢、しっかりとつとめよ」
「はい」
王平は、成都城の城門から出ていった。
その後、李恢が私のそばに立ち、私を守るようになった。
魏延や龐統、法正は、王平が消えたことをいぶかしがった。
「王平の用件とは、なんなのでしょうか」と魏延は言った。
「私にもわからない。私用としか、言わなかった」
「王平ほどの男が、私用で任務を放棄するとは、信じられません。親が亡くなったのでしょうか」
「それならそうと言うであろう。なにか特別な用件があるのではないかと思う」
魏延は首を傾げた。
私にはひとつだけ思い当たることがあった。
嫌な予感がした。
杞憂であってほしいと願った。
予感は当たった。
犍為郡武陽県の路上で、王平が孟達を斬り殺すという事件が発生したのだ。
事件後、王平は武陽城に出頭し、自首した。
彼は捕縛され、檻に入れられて、成都城へ運ばれた。
「王平を刺史室に。立ち合いは魏延のみとする」と私は李恢に命じた。
縛られた王平が私の前に立った。
私の横で、魏延が王平を睨んでいる。
益州刺史室の中は、その三人だけだった。
「王平、なぜ孟達を斬った?」と私は問うた。
「私は孟達殿の目を、ずっと観察しておりました。あの方は、信じることができない人です。いつか裏切ります。劉禅様も、孟達殿を心の底からは信じられなかったのではないですか?」
「それは……」
「王平、おまえが孟達殿を斬ったために、偽りの投降という策が、実施できなくなった。この罪は大きいぞ」と魏延が言った。
「偽りの投降が、真実の投降になったら、益州軍は危機に陥ります。魏延殿は、孟達殿を完璧に信じることができておりましたか?」
魏延は沈黙した。返す言葉がないという感じだった。
「孟達殿が偽りの投降をやり遂げたとしても、出世し、大軍を指揮するようになって、将来、蜀を滅ぼすような裏切りをしかねないと思いました。私はその危険を座視できませんでした」
「王平、その危惧は、私の中にも確かにあった。しかし、孟達は蜀に忠実でありつづけたかもしれぬ。そなたは憶測で郡太守を斬った。その罪は重い」
「わかっております。万死に値する罪です。斬首してください」
私はうつむいた。
考えに考え、顔をあげた。
「斬首にはせぬ。投獄する」
「劉禅様、私を死刑にしてください。それほどの罪を犯したのです」
「孟達を失った。この上、王平までなくすわけにはいかぬ。牢獄で頭を冷やしておれ」
「若君、郡太守殺害の罰が、投獄のみでは、しめしがつきません」
「いいのだ。孟達は、曹操と内通していた。それを知った王平が独断で孟達を斬った。表面上は、そういうことにする。王平は、私のかわりに手を汚してくれた。そういう気がする」
魏延は黙って、頭を下げた。
王平は牢獄に入った。
李恢を正式に親衛隊長にした。
孟達の後任の犍為郡太守には、龐統が推薦した陳震を登用した。
建安二十年春、夏候淵軍が長安から出陣した、と忍凜が私と魏延に報告した。
二十万もの大軍であるらしい。
考え事をしていたので、素振りに集中できなかった。
私には、悩みがあった。
孟達のことだ。
彼を信じ切ることができない。
「孟達、よくぞ見せてくれた。私はあなたを信じる」とまで言ったのに、信じることができないのだ。
私は弱い人間だ。
「劉禅様、振りが鈍いです」と王平が言った。
彼には、私が素振りに集中できていないことを見抜かれているようだ。
「無心で木刀を振っていませんね。なにか悩みを持っておられる」
「悩みはある。しかし、そなたに相談するようなことではない」
「孟達殿のこと……」と王平がつぶやいた。
私は驚いて、彼を見つめた。
完全に見抜かれている。
翌日の鍛錬のとき、王平は私にひとりの男を紹介した。
「李恢という男です。親衛隊の一員で、私がもっとも信頼している者です」
「李恢徳昂です」
「劉禅だ。親衛隊の仕事、ご苦労である」
「今日は李恢に、劉禅様の鍛錬を任せようと思っております」
「わかった。よろしく頼む、李恢」
「劉禅様、木刀を持ち、私に打ちかかってきてください。全力で」
李恢は木刀を持ち、私に正対した。
私は彼に向かって、思い切り木刀を振った。
私の打ち込みは、軽く打ち払われた。
「何度でも、打ち込んできてください。ひたすらに」
私はくり返し、李恢にかかっていった。
彼は軽々と、私の木刀をいなしつづけた。
「まだまだ」
私は木刀を振りつづけた。
いつしか悩みは消え、無心になることができていた。
「よい鍛錬ができた。ありがとう、王平、李恢」と私は言った。
李恢は私に拝礼した。
王平は私の目を見つめた。
「劉禅様、私にはやらなければならない用件があり、しばらくの間、親衛隊長の役目を李恢に任せたいと思います。いとまをください」
「王平、用件とはなんだ。私はそなたにずっと護衛してもらいたいと思っているのだ。そなたを信頼している」
「私用です。李恢を信じて、身辺警護にお使いください。兵の指揮もうまい男です」
「私用で、私から離れるのか」
「大切な私用なのです。どうかお許しください」
「そなたがそれほど言うなら、許そう。だが、できるだけ早く、戻ってきてほしい」
「ありがたきお言葉。では、いまから後、私の任務を李恢に引き継ぎます。李恢、しっかりとつとめよ」
「はい」
王平は、成都城の城門から出ていった。
その後、李恢が私のそばに立ち、私を守るようになった。
魏延や龐統、法正は、王平が消えたことをいぶかしがった。
「王平の用件とは、なんなのでしょうか」と魏延は言った。
「私にもわからない。私用としか、言わなかった」
「王平ほどの男が、私用で任務を放棄するとは、信じられません。親が亡くなったのでしょうか」
「それならそうと言うであろう。なにか特別な用件があるのではないかと思う」
魏延は首を傾げた。
私にはひとつだけ思い当たることがあった。
嫌な予感がした。
杞憂であってほしいと願った。
予感は当たった。
犍為郡武陽県の路上で、王平が孟達を斬り殺すという事件が発生したのだ。
事件後、王平は武陽城に出頭し、自首した。
彼は捕縛され、檻に入れられて、成都城へ運ばれた。
「王平を刺史室に。立ち合いは魏延のみとする」と私は李恢に命じた。
縛られた王平が私の前に立った。
私の横で、魏延が王平を睨んでいる。
益州刺史室の中は、その三人だけだった。
「王平、なぜ孟達を斬った?」と私は問うた。
「私は孟達殿の目を、ずっと観察しておりました。あの方は、信じることができない人です。いつか裏切ります。劉禅様も、孟達殿を心の底からは信じられなかったのではないですか?」
「それは……」
「王平、おまえが孟達殿を斬ったために、偽りの投降という策が、実施できなくなった。この罪は大きいぞ」と魏延が言った。
「偽りの投降が、真実の投降になったら、益州軍は危機に陥ります。魏延殿は、孟達殿を完璧に信じることができておりましたか?」
魏延は沈黙した。返す言葉がないという感じだった。
「孟達殿が偽りの投降をやり遂げたとしても、出世し、大軍を指揮するようになって、将来、蜀を滅ぼすような裏切りをしかねないと思いました。私はその危険を座視できませんでした」
「王平、その危惧は、私の中にも確かにあった。しかし、孟達は蜀に忠実でありつづけたかもしれぬ。そなたは憶測で郡太守を斬った。その罪は重い」
「わかっております。万死に値する罪です。斬首してください」
私はうつむいた。
考えに考え、顔をあげた。
「斬首にはせぬ。投獄する」
「劉禅様、私を死刑にしてください。それほどの罪を犯したのです」
「孟達を失った。この上、王平までなくすわけにはいかぬ。牢獄で頭を冷やしておれ」
「若君、郡太守殺害の罰が、投獄のみでは、しめしがつきません」
「いいのだ。孟達は、曹操と内通していた。それを知った王平が独断で孟達を斬った。表面上は、そういうことにする。王平は、私のかわりに手を汚してくれた。そういう気がする」
魏延は黙って、頭を下げた。
王平は牢獄に入った。
李恢を正式に親衛隊長にした。
孟達の後任の犍為郡太守には、龐統が推薦した陳震を登用した。
建安二十年春、夏候淵軍が長安から出陣した、と忍凜が私と魏延に報告した。
二十万もの大軍であるらしい。
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