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賈詡文和
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賈詡は、不眠不休で働いた。
南征の軍師。曹操に召し抱えられて、ついにもらった大役である。
荊州と揚州の攻略を果たせば、中国全土の平和が見えてくる。
主に喜ばれ、天下万民を救うことができる。やりがいがある。いくらでも働くことができた。
賈詡文和は、147年、涼州武威郡姑臧県生まれ。
孝廉に選ばれ、洛陽に出仕した。
董卓時代、世の乱れを憂いながらも、官僚の仕事を淡々とこなしつづけた。
董卓が王允と呂布に暗殺されたとき、司隷弘農郡陝県で軍務についていた。ともにいたのが、李傕と郭汜。
「我らはどうすればよいのだ。呂布に殺されるのを待つしかないのか」
李傕に相談され、賈詡は長安急襲作戦を授けた。頼られると、助けてしまう性格だった。
献帝が許都へ移った頃、荊州南陽郡で勢力のあった張繡の招きに応じた。
強大な曹操と敵対した張繡を補佐し、宛城の戦いで勝たせた。
有能で、主に忠実。
賈詡は董卓、李傕、段煨、張繡、曹操と主君を変えてきたが、呂布のような裏切りをしたことはない。常に誠実であろうとしながら、むずかしい時代を生き抜いてきた。
曹昂を死なせた策士なのに、曹操に重用されている。清廉で魔術的というめったにいないタイプの天才である。
ちなみに張繡は、賈詡とともに降伏した後、曹操に重く遇された。
官渡の戦いで戦功があり、破羌将軍に任じられたが、207年に惜しくも戦陣で病没している。
曹操から南征作戦を託され、賈詡は地図を睨んでいる。
作戦とは、突き詰めれば、軍隊の進路を決めることと言えるかもしれない。
むろん軍事には、いろいろな要素がある。兵士の動員、将軍や将校の選任、諜報、戦術、兵站……。
しかしすべては軍を進め、敵を倒すことに集約される。
今回は、官渡以上の大作戦である。
攻略目標は劉表と孫権。
進路を想定しなければならない。
戦況によっていくらでも臨機応変できるようにしながら、理想の進軍経路を描いておくのである。
賈詡はさまざまな情報を集め、分析し、曹操軍の行路を考えた。
許都、新野、襄陽、江陵、烏林、柴桑、建業と進めばよいであろう、とイメージをまとめあげた。
その理想進路を曹操に伝えた。
「許都に五十万の兵を集め、出発します。南陽郡に入り、新野県の劉備を蹴散らします」
曹操は、賈詡が丞相執務室に持ってきた地図をのぞき込んだ。
「南郡襄陽県へ進み、劉表軍と決戦します」
丞相がうなずくのを見ながら、説明していく。
「荊州軍に勝利した後、南郡江陵県に進出し、兵站基地と水軍基地を設置します」
「うむ……その先へ進むと、孫権の領土に入っていくな……」
「はい。われらは陸路と水路にわかれて進み、長江北岸の烏林に陣を敷きます。おそらく孫権軍は、南岸の赤壁に陣取るでしょう。そこが最初の水戦場となります」
「烏林と赤壁か。南郡、江夏郡、長沙郡の境界だな」
「そこで敵水軍を撃滅します。その後、豫章郡柴桑を落とし、最後に孫権の本拠地、丹陽郡建業へ至ります」
「そう進めれば、理想的だ……」
曹操がつぶやいた。予定進路は承認された、と賈詡は思った。
「賈詡、これはそなたにだけ言うのだが……」
賈詡はごくりとつばを飲み込んだ。
「今回はできるだけ死者を出したくないと思っておる。劉表と孫権を、戦わずに降伏させたい」
「私もそうなればよいと思っています。そのためには、大いなる圧力をかけなければなりません」
「そうだ。五十万の大軍で……」
賈詡の心は歓喜でいっぱいになった。
丞相は、戦わずに勝つことをめざしておられる。素晴らしい。
荀彧殿は苦労しているだろうが、どうしても大兵力が必要だ……!
賈詡は進路を描いた地図を曹操に進呈し、一礼して、部屋を出た。
曹操と参謀たちが打ち合わせ、六月に兵を許都に集めることになった。
そして、曹操は諸将を集め、遠征に連れていく参謀と将軍を発表した。
賈詡、荀攸、曹仁、曹純、夏侯淵、楽進、于禁、徐晃、張遼、許褚、張郃、李典、朱霊、牛金、臧覇。
八州の治安との兼ね合いで、優秀な将を全員連れていくわけにはいかない。
「大事な作戦である。選ばれた者に奮闘を期待する。任地に残る者にも、大切な役目がある。私の留守をよろしく頼む」などと曹操は演説した。
最後に「郭嘉を連れていきたかった……」と言った。
私が彼の分も働きます、と賈詡は誓った。
出陣に至るまで、やるべき仕事はいくらでもあった。
賈詡は働きつづけ、ある日、倒れた。
気がついたとき、華佗が寝台の横にいた。
「華佗殿……私は……」
「ただの過労です。ゆっくりと休んでいたら治りますよ。心配はいりません」
「休んでなどいられない。私にはやらなくてはならないことが山ほどあるのだ」
「だめです。過労に過労を重ねては、本当に重病になってしまいます。出陣できなくなりますよ」
「そうか……」
賈詡は天井を見た。見慣れた自宅の天井だった。
「賈詡様、今度の戦場は南方だそうですね」
「ああ……」
ぼんやりと答えた。医者に作戦を伝えるわけにはいかない。
「華北の兵に南方で無理をさせると、疫病が流行る怖れがあります」
「えっ……」
「くれぐれもご注意なさってください」
華佗は薬を置いて、部屋から出ていった。
疫病という言葉が、賈詡の脳内で反響していた。
南征の軍師。曹操に召し抱えられて、ついにもらった大役である。
荊州と揚州の攻略を果たせば、中国全土の平和が見えてくる。
主に喜ばれ、天下万民を救うことができる。やりがいがある。いくらでも働くことができた。
賈詡文和は、147年、涼州武威郡姑臧県生まれ。
孝廉に選ばれ、洛陽に出仕した。
董卓時代、世の乱れを憂いながらも、官僚の仕事を淡々とこなしつづけた。
董卓が王允と呂布に暗殺されたとき、司隷弘農郡陝県で軍務についていた。ともにいたのが、李傕と郭汜。
「我らはどうすればよいのだ。呂布に殺されるのを待つしかないのか」
李傕に相談され、賈詡は長安急襲作戦を授けた。頼られると、助けてしまう性格だった。
献帝が許都へ移った頃、荊州南陽郡で勢力のあった張繡の招きに応じた。
強大な曹操と敵対した張繡を補佐し、宛城の戦いで勝たせた。
有能で、主に忠実。
賈詡は董卓、李傕、段煨、張繡、曹操と主君を変えてきたが、呂布のような裏切りをしたことはない。常に誠実であろうとしながら、むずかしい時代を生き抜いてきた。
曹昂を死なせた策士なのに、曹操に重用されている。清廉で魔術的というめったにいないタイプの天才である。
ちなみに張繡は、賈詡とともに降伏した後、曹操に重く遇された。
官渡の戦いで戦功があり、破羌将軍に任じられたが、207年に惜しくも戦陣で病没している。
曹操から南征作戦を託され、賈詡は地図を睨んでいる。
作戦とは、突き詰めれば、軍隊の進路を決めることと言えるかもしれない。
むろん軍事には、いろいろな要素がある。兵士の動員、将軍や将校の選任、諜報、戦術、兵站……。
しかしすべては軍を進め、敵を倒すことに集約される。
今回は、官渡以上の大作戦である。
攻略目標は劉表と孫権。
進路を想定しなければならない。
戦況によっていくらでも臨機応変できるようにしながら、理想の進軍経路を描いておくのである。
賈詡はさまざまな情報を集め、分析し、曹操軍の行路を考えた。
許都、新野、襄陽、江陵、烏林、柴桑、建業と進めばよいであろう、とイメージをまとめあげた。
その理想進路を曹操に伝えた。
「許都に五十万の兵を集め、出発します。南陽郡に入り、新野県の劉備を蹴散らします」
曹操は、賈詡が丞相執務室に持ってきた地図をのぞき込んだ。
「南郡襄陽県へ進み、劉表軍と決戦します」
丞相がうなずくのを見ながら、説明していく。
「荊州軍に勝利した後、南郡江陵県に進出し、兵站基地と水軍基地を設置します」
「うむ……その先へ進むと、孫権の領土に入っていくな……」
「はい。われらは陸路と水路にわかれて進み、長江北岸の烏林に陣を敷きます。おそらく孫権軍は、南岸の赤壁に陣取るでしょう。そこが最初の水戦場となります」
「烏林と赤壁か。南郡、江夏郡、長沙郡の境界だな」
「そこで敵水軍を撃滅します。その後、豫章郡柴桑を落とし、最後に孫権の本拠地、丹陽郡建業へ至ります」
「そう進めれば、理想的だ……」
曹操がつぶやいた。予定進路は承認された、と賈詡は思った。
「賈詡、これはそなたにだけ言うのだが……」
賈詡はごくりとつばを飲み込んだ。
「今回はできるだけ死者を出したくないと思っておる。劉表と孫権を、戦わずに降伏させたい」
「私もそうなればよいと思っています。そのためには、大いなる圧力をかけなければなりません」
「そうだ。五十万の大軍で……」
賈詡の心は歓喜でいっぱいになった。
丞相は、戦わずに勝つことをめざしておられる。素晴らしい。
荀彧殿は苦労しているだろうが、どうしても大兵力が必要だ……!
賈詡は進路を描いた地図を曹操に進呈し、一礼して、部屋を出た。
曹操と参謀たちが打ち合わせ、六月に兵を許都に集めることになった。
そして、曹操は諸将を集め、遠征に連れていく参謀と将軍を発表した。
賈詡、荀攸、曹仁、曹純、夏侯淵、楽進、于禁、徐晃、張遼、許褚、張郃、李典、朱霊、牛金、臧覇。
八州の治安との兼ね合いで、優秀な将を全員連れていくわけにはいかない。
「大事な作戦である。選ばれた者に奮闘を期待する。任地に残る者にも、大切な役目がある。私の留守をよろしく頼む」などと曹操は演説した。
最後に「郭嘉を連れていきたかった……」と言った。
私が彼の分も働きます、と賈詡は誓った。
出陣に至るまで、やるべき仕事はいくらでもあった。
賈詡は働きつづけ、ある日、倒れた。
気がついたとき、華佗が寝台の横にいた。
「華佗殿……私は……」
「ただの過労です。ゆっくりと休んでいたら治りますよ。心配はいりません」
「休んでなどいられない。私にはやらなくてはならないことが山ほどあるのだ」
「だめです。過労に過労を重ねては、本当に重病になってしまいます。出陣できなくなりますよ」
「そうか……」
賈詡は天井を見た。見慣れた自宅の天井だった。
「賈詡様、今度の戦場は南方だそうですね」
「ああ……」
ぼんやりと答えた。医者に作戦を伝えるわけにはいかない。
「華北の兵に南方で無理をさせると、疫病が流行る怖れがあります」
「えっ……」
「くれぐれもご注意なさってください」
華佗は薬を置いて、部屋から出ていった。
疫病という言葉が、賈詡の脳内で反響していた。
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